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7.

 意識を取り戻すと両親がそばにいた。

 周囲にドクターはおらず、管理棟への連絡はなかったのだと気づいた。


「……かあさま、とうさま」


「よかった、ユシャイエ」


 母が駆け寄り、ユシャイエの顔を覗き込む。

 それからハッとしてポケットを探ると、あるべき感触がなかった。あの丸い錠剤が、跡形もなく消えていたのだ。

 おそるおそる両親を見ると、二人は身を寄せ合ってユシャイエを見ていた。


「……母さま、あの……」


「なぜ薬を飲まなかったんだい」


 母の目がユシャイエを見つめていた。


「誰かに唆されたのかい?」


 父がユシャイエを見下ろして言った。

 静かな声が部屋に響く。

 質問の声はいつもよりかたく、冷静で、そして低かった。

 だが、二人を怖いとは感じなかったのだ。


「……」


 バグだ、と父が小さな声で言った。

 だが、母は何も言わないままユシャイエの額を撫でてくれた。


「母さん、この子は()()()()にまた何かされたのかもしれない」


「違うよ、父さま」


 今回は何もされていない。


 今回のユシャイエは間違いなくサリューが大好きだったし、サリューもユシャイエにとっては優しい恋人だった。


 頭が混乱する。


 ユシャイエが好きなのは誰なのだろう。


 前回までの記憶がしっかりと残っていたのなら、ユシャイエは最初からシッシルを選んでいたかもしれない。サリューには近づかなかったかもしれない。

 記憶を消され、上手い具合に強固な修正を受けた結果、ユシャイエはシッシルを避け、サリューを好きになった。

 なぜそんなことになったのだろう。なぜ、ユシャイエを苦しめた相手を好きになったのだろう。

 いや、なぜかなど判りきっている。


 それが修正だ。


 より良い個体になること、そのためには時として記憶さえも奪われること。

 それがエンブリオに対して行われる修正なのだ。

 今までユシャイエは何の疑問も持たずに、九回もの修正を受けてきたのだろう。


 ユシャイエは両手でグシャリと前髪を握りしめた。

 

「……何があったの……?」 


 尋ねるまでもない。だが、自分の身に起きた出来事を、しっかりと知りたかったのだ。

 

「知らない方がいい。お前が辛い思いをするだけだよ」


 母は首を横に振った。

 焦れたように父が母の肩を叩く。


「母さん、やはり修正を受けさせよう。なに、ユシャイエはまだ九回目。サリューと違って次がある」


 サリューと違って?

 ユシャイエはゆっくりと父を見た。


「……父さま、それどういう意味……?」


「サリューは今回が駄目なら処分されるんだよ」


「あの子は性質が良くない」


 両親はさらりとそう言って、手続きをしなければ、だとか管理棟への連絡は、だとか話し合いをしている。


「洗脳は効くだろうか」


「薬が強くなるとどこまで記憶が失われるか判らない」


「母さま、」


「なるべく早く済ませよう」


「人類の未来の、いや、ユシャイエの明るい人生のためだ」


 何の話だ。ユシャイエの話をしているのだろうに、ユシャイエにはその話が何なのか全く判らない。

 いや、言っていることは判る。だが、当事者たるユシャイエが置き去りにされている現状が理解できなかった。


「父さま、」


「早くしないと余分な記憶が定着してしまう」


「そんなことになったら可哀想だ」


「辛い記憶は消してしまおう」


「ねえ、母さま、父さま、」


 両親はユシャイエを見向きもせずコソコソと話し合いを続ける。


「そうだ、次の目覚めは少し時間をおいて、シッシルやサリューが誰かと番ったあとにしよう」


「それがいい」


「それがいい」


「そうしよう」


「そうしよう」


「父さま、母さま!」


 堪らず大声で言うと、二人はようやくユシャイエを見て、それからにこりと笑った。

 部屋の空気が濁っているような感覚があった。

 背中を冷たい汗が伝っていく。掌が汗で濡れていた。心臓がドクドクと脈打って、胸が苦しいくらいだ。


「……ユシャイエ、大丈夫だよ。母さまが何とかしてあげるからね」


「ユシャイエ、父さまもユシャイエを守るからなんの心配もいらないよ」


 違う。ユシャイエが聞きたいのはそんなことではない。


 サリューが最後とはなんなのか、だとか洗脳とは? だとか、修正は受けたくないだとか色々あるが、ユシャイエが尋ねたいことはもっと根本的な、ユシャイエ自身に関わることで、つまり、つまりだ。


「ねえ、前のユシャイエには何があったの!?」


 肩が揺れる。ハッ、ハッ、ハッ、と呼吸が浅くなって上手く息を吸えない。


「ユシャイエは知る必要がないことだよ」


 なおも父は微笑み、そして何でもないことのようにそう言ったのだ。

 これはユシャイエのためで、ユシャイエの疑問はユシャイエが幸せな人生を歩むためには必要のないことなのだと両親は口々に言う。


「ユシャイエ、大丈夫だよ」


「ユシャイエ、安心しなさい」


 二人とも言葉が通じない生き物になってしまったようだ。


「違う、違う、母さま、父さま、違うの」


「ユシャイエ? どうしたんだい、泣いたりして」


 母が気遣わしげに背中を撫でた。

 ユシャイエもなぜ泣いているのか判らない。


「教えて、知りたいの。何があったの?」


「ユシャイエ、お前が知る必要はないんだよ」


「母さま! ……知りたいの」


 両親が顔を見合わせて暫くのあいだ、話し合う。

 それから決心したように、「お前はサリューに無理やり繁殖させられたのさ」と言った。


「……繁殖……?」


 背中がゾワリとした。

 ユシャイエとサリューは仲が良くて、いつでも一緒だ。自然と惹かれあった。期限のある恋人関係だとは判っていても、一緒にいて、一線を超えて、楽しい時間を過ごしていたのだ。


 なのに。


 サリューがユシャイエの意思に反することをした。無理やり押さえつけた。

 その上、繁殖させた。


「今回のサリューが女の子なのは、あの子がお前にひどい暴力を奮って、繁殖させたからさ」


 腹から何かが込み上げて気持ちが悪い。口を押さえると、母が「そのまま吐いておしまい」と言う。シーツが汚れる。

 一頻り吐いた後、疑問が浮かぶ。


 ユシャイエの腹に宿ったエンブリオはどうなったのか、ということだ。


「……エンブリオは……?」


「残念ながら、亡くなったよ」


「……本当に?」


「本当さ。嘘じゃない。ユシャイエはショックで飲まず食べずだった。管理棟も産ませるよりお腹の中を()()()()()全部忘れさせるのがいいだろうと判断したのさ」


 それはつまり、殺したということではないか。


 またもや涙が浮かぶ。


 なぜ泣いているのか、ユシャイエにも判らない。


 勝手に運命を決められているのがつらいのか、失われた命を憂えているのか、それとも信じていたサリューが幻だったことを悲しんでいるのか。


「ユシャイエ、大丈夫、大丈夫だよ。修正を受ければすぐに忘れるからね」


「忘れてどうなるの……」


 忘れたところで意味がない。


 ユシャイエはきっとこれまでも何度も忘れてはいけない何かを忘れて生きてきたのだろう。

 そうして何でもないように訪れた日常を、傷などなかったかのように過ごしていたに違いない。


 修正はより良いエンブリオになるためのもの。

 良いエンブリオとは、誰にとって「良い」ものなのか、ユシャイエには判らなかった。

 争わず、疑問を抱かず、ただ結婚をすることが幸せなのだと信じてただただ生きる。


 その『当たり前』がこれほど怖いと思うなんて、ユシャイエはどこかおかしいのかもしれない。

 だが、それでもその当たり前に倣おうとは、今のユシャイエは思そうにないのである。


「次こそはきっと大人になれるからね。なに、焦ることはない。まだユシャイエは九回目なんだから、大丈夫だよ」


 父の言葉にユシャイエは顔を覆う。


 会話が成立していない。


 両親は、なぜユシャイエが泣いているのかを、表面的にしか理解してくれていないと気づいてしまった。


「母さま、父さま……、ちょっとだけ待って。管理棟に行くまでにやらなきゃいけないことがあるの」


 涙を拭いて、にこりと笑って言った。

 上手く笑えているだろうか。


「……判った。ユシャイエが落ち着くまで父さまと母さまは待つよ」


「ありがとう、母さま、父さま」


 こんな状況下でさえも、母にぎゅっと抱きついてしまう。洗濯物の匂いがした。

 母に抱きしめられると安心してしまう自分の幼さが、ユシャイエは怖かった。


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