第8話 祭りの夜、影の幕開け
王都は熱気に包まれていた。
年に一度の「豊穣祭」。街路には露店が並び、果物や菓子が山積みされ、子供たちが走り回っている。
広場では踊り子が舞い、音楽家が笛を吹き鳴らす。
兵士たちですら兜を外し、祭りを楽しんでいた。
「王都って、本当に賑やかだな」
ジークは串焼きを手にし、嬉しそうに頬張る。
「見てください、この人の群れ。商機だわ」
ミディアは両目を輝かせながら、露店の値札を観察していた。
「神に感謝を捧げる祭りです」
アマリアは手を組み、穏やかに祈りを捧げている。
僕は三人の後ろで、群衆の喧噪を眺めていた。
──これこそ舞台。
群衆は観客席。誰もが無邪気に笑い、喜び、油断している。
だからこそ、ひとつの影が差し込むだけで劇的な転換が起こる。
◇ ◇ ◇
王城前の広場に、王と王妃、王子たちが姿を見せた。
人々は一斉に歓声を上げ、空には花火が打ち上がる。
赤、青、緑の光が夜空に咲き乱れ、王都の空を彩った。
「勇者よ」王が高らかに告げる。「この祭りも、そなたの活躍あってこそ無事に迎えられた」
拍手と喝采。
群衆の声は地鳴りのように広場を揺らす。
……そのとき。
花火の閃光に混じって、ひとつだけ異質な火柱が立ち昇った。
黒煙をまとった炎。
悲鳴が上がる。
「なんだ!?」
「火事だ!」
群衆が一気にざわめき、混乱に変わる。
◇ ◇ ◇
黒煙の中から飛び出してきたのは、異形の魔物だった。
狼のようでありながら、背には棘が並び、口から黒炎を吐く。
数匹が群れをなし、広場の人々へ襲いかかる。
「ジーク!」
僕が叫ぶより早く、彼は剣を抜いて前に飛び出した。
「ミディア、結界を!」
「はいはい、承知ですわ!」炎の壁が立ち上がり、人々を守る。
「アマリア、負傷者を!」
「神よ、加護を!」光が広場を満たし、倒れた者を癒やす。
舞台は一瞬で戦場に変わった。
群衆の歓声が悲鳴へと変わる。
予定調和の祭りが、惨劇の幕開けとなる。
……完璧だ。
◇ ◇ ◇
僕は剣を構えながら、黒煙の奥を見つめた。
そこに立つ影──黒外套の青年。
ワイングラスではなく、今夜は杖を手にしていた。
彼の口元が動く。
「さあ、演じてみせろ。勇者よ」
僕の心臓が高鳴る。
──そうだ。これだ。
観客がいる。舞台がある。幕は上がった。
「勇者!」ジークが振り返る。
「行くぞ!」僕は応じる。
剣を振り下ろし、魔物を斬り裂く。
だがその刃は、英雄のためではなく、黒幕のために振るわれていた。
◇ ◇ ◇
戦いは混乱のまま続いた。
炎に照らされた広場で、兵士たちが叫び、子供が泣き、貴族が逃げ惑う。
僕はそのすべてを視界に収め、ひとつの確信を得た。
──王都全体を震わせる幕は、すでに上がった。
あとは僕がどう演出するかだ。
「英雄」か。
「災厄」か。
選ぶのは僕自身。
胸の奥で、青い火花がまたひとつ大きく爆ぜた。