エピローグ―風の向こうに
物語が終わったあと、
世界には静けさが残った。
誰もがそれを“平和”と呼んだ。
けれど本当は――“語られない時間”が始まっただけだった。
カイとリラは丘に家を建て、
風を友としながら生きていた。
季節が巡るたびに畑は実り、
風車は音もなく回り続けた。
語ることも、記すこともなく。
ただ、“いま”を感じていた。
◇ ◇ ◇
風が吹くと、
いつもあの音が聴こえる。
チリ……チリ……。
それは、勇者が残した祈りの鈴の音。
ナリアの羽が燃えたあとに残った、
たったひとつの“音の記憶”。
風がその音を運ぶたび、
人々は知らぬ間に笑顔になり、
空を見上げる。
それで十分だった。
もう、誰も「語り継がれる勇者」や「倒される魔王」を必要としない。
世界は、
語られない物語で満ちていた。
◇ ◇ ◇
リラは時おり手紙を書いた。
宛先はない。
けれど、読み返すとそこには確かに、
“生きている言葉”が宿っていた。
今日は風が強い日。
畑の実がよく揺れて、まるで笑っているみたい。
ねぇ、もし今もどこかであなたが見ているなら、
この景色を覚えていて。
物語は終わっても、風はまだ続いているから。
封をせず、窓を開ける。
手紙は風にさらわれ、空の彼方へと消えていく。
その姿を見送るたびに、
カイは微笑む。
「ほらな、リラ。
風はちゃんと、“誰か”に届けてくれるさ。」
◇ ◇ ◇
夜。
二人は焚き火の前で並び、
星を眺めていた。
火の粉が舞い上がり、
風に乗って流れ星のように消えていく。
リラが言う。
「ねぇカイ、風って、いつまで吹くんだろうね」
カイは少し考えてから答えた。
「誰かが“物語を思い出す”限り。
風は、その人の胸の中で吹き続ける」
リラは目を閉じて、微笑んだ。
「じゃあ、まだ当分止まらないね」
「たぶんな。
だって僕たちは、まだ生きてる」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者は最後の頁を閉じ、
ゆっくりと本を風に返した。
本は光となり、
やがて空へと溶けていく。
『――ありがとう。
勇者も魔王も、語る者も聞く者も。
すべては、風の一節。』
ナリアの声が、風に重なった。
『世界は静かに生きている。
それこそが、永遠の物語。』
二人の姿は光となり、
新しい風を生んで消えていく。
◇ ◇ ◇
丘の上。
朝の風が吹いた。
その風はどこか懐かしい香りを運び、
遠くの空へと消えていった。
チリ……チリ……。
あの音が、確かに響いた。
誰もが振り返ることのない日常の中で、
世界は今日も――生きている。
◇ ◇ ◇
――『黒幕勇者~魔王に憧れる勇者の話~』 完――
勇者とは「語られる者」であり、
魔王とは「語られぬ者」。
そして、そのどちらでもない“生きる者”こそが、
本当の主人公なのかもしれません。




