第64話 語りの果てに
白と黒の空が重なり合い、
その境界に紫の風が吹いていた。
カイとリラは“原初の空”に立っていた。
大地はなく、時間もない。
ただ、光と闇が絶えず交わりながら、
静かに世界を描き続けていた。
リラが囁く。
「……ここが、本当に“始まりの場所”なんだね」
カイは頷く。
「そうみたいだ。
物語が生まれる前の、“言葉の源”」
風の中から、声が響いた。
『ようこそ、語りの果てへ。』
その声は懐かしくも新しい。
黒の羽を纏い、光の粒をまとった女性――ナリアが、
空そのものから姿を現した。
◇ ◇ ◇
『あなたたちが呼んだ名。
それは、私を再びこの世界に繋いだ。
けれど今、私は問わねばならない。
――あなたたちは何のために語るのか?』
カイは息を呑む。
リラが先に答えた。
「語ることは、残すこと。
過去を形にして、誰かの手に渡すために。」
ナリアは微笑む。
『それは、優しい嘘ね。
残すという行為は、
いつか“変質する記憶”を許すことでもある。』
彼女の掌が広がり、
空に一枚の紙片が現れた。
そこには、かつてカイが書いた「勇者の終幕」が浮かび上がっていた。
『あなたが書いた“終わり”。
本当にそれで、心は救われたの?』
◇ ◇ ◇
カイは答えられなかった。
終わらせたあの日、
確かに世界は救われた。
だが、それは“語る者”の都合であり、
“語られた者”の声ではなかったかもしれない。
「……僕は、ただ、正しい形にしたかった。
けど、それが誰かを消すことだったなら――」
ナリアが一歩、近づいた。
その瞳は悲しみの奥に、優しい光を宿していた。
『語る者は常に罪を背負う。
けれど、聞く者はその罪を赦すことができる。
――あなたは、今も聞けるかしら? この世界の声を。』
リラがカイの手を握った。
「聞けるよ。
彼は、“聞く者”としてここにいる。
語るためじゃなく、受け止めるために。」
◇ ◇ ◇
風が強くなり、
無数の声が吹き抜けていった。
勇者、王、魔法使い、民、そして神々。
この世界のあらゆる“語られた命”が、
ひとつの旋律となって渦を巻く。
ナリアは目を閉じ、
その中からひとつの声を拾い上げた。
『私を覚えていますか? あなたに救われた村の子です。
あの時の風の音、まだ耳に残っています。』
それは、カイがかつて助けた名もなき子供の声だった。
カイは息を詰め、目を閉じた。
風が頬を撫でる。
その感触の中に、確かに“生”があった。
◇ ◇ ◇
ナリアが静かに言った。
『語りとは、記憶の祈り。
けれど祈りに囚われれば、未来は書かれない。
――あなたたちの物語は、これから何を語るの?』
リラは答えた。
「過去じゃなく、いまを描く。
“語る”ことじゃなく、“生きる”ことを語る。」
カイも頷く。
「物語の外で、俺たちが続ける生を。
それが、勇者も魔王も知らなかった“終わりの先”だ。」
ナリアは微笑み、頷いた。
『ならば――あなたたちに、最後の頁を託すわ。』
◇ ◇ ◇
空がゆっくりと閉じていく。
光と闇が混じり、
紫の羽がひとつ、カイの手に落ちた。
その羽は文字に変わり、
一行の言葉を残した。
“語りの果てに、世界は生まれる。”
風が静まり、空が再び青に染まる。
ナリアの姿は消えていた。
リラがつぶやく。
「……彼女も、やっと救われたんだね」
カイは空を見上げ、微笑んだ。
「いや――“語る”ことをやめたから、救われたんだよ。」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者が微かに笑った。
「これでいい。
語りも、記憶も、光も闇も、
すべては“生”という名の一節に過ぎない。」
彼の背後で、
無数の羽が光となって消えていく。
『――次の物語は、誰の手で描かれるだろう。』




