第63話 原初の空
――時はまだ、物語という概念を持たなかった。
世界は、名もなく、形もなく、ただ「在る」というだけの静寂だった。
その静寂の中で、
最初に生まれたのは「声」だった。
誰のものでもない、
けれど確かに“呼びかける”力を持つ響き。
『ここに――在れ。』
そして光が生まれた。
その光の残滓から闇が生まれ、
二つは同時に互いの存在を定義した。
◇ ◇ ◇
ナリアは、その中心にいた。
けれど彼女はまだ「ナリア」ではない。
ただ、“闇の声”として存在していた。
光は優しく、
けれど無垢で残酷だった。
それはあらゆる影を焼き、
闇が抱えていた“思い”までも白く塗りつぶそうとした。
『やめて……光ばかりでは、世界が壊れる。』
しかし光は答えた。
『壊れるのは闇の方だ。
影がある限り、悲しみが生まれる。』
◇ ◇ ◇
そして、彼女は理解した。
光は“正義”を名乗るがゆえに、
常に誰かを切り捨てる。
『ならば、私は――切り捨てられる者たちの名になる。』
その瞬間、
闇にひとつの意志が宿った。
それが“ナリア”の誕生だった。
◇ ◇ ◇
ナリアが歩くたび、
世界には色が増えていった。
夜、夢、静寂、孤独――
それらはすべて、光には理解されなかった美しさだった。
『私は光を否定しない。
ただ、光が見落とした形を描くだけ。』
やがて、光は彼女を「災い」と呼んだ。
そして、彼女は“魔王”と呼ばれた。
それが、最初の物語のはじまりだった。
◇ ◇ ◇
ナリアは目を閉じ、
遠い記憶を確かめるように息を吐いた。
「そう……これが、私たちの原罪。
光と闇――どちらも、名を得た瞬間に分かたれたのね。」
背後で、静かに波が揺れた。
そこには、かつて彼女を見つめた青年――若き勇者の姿が、
記憶の幻として立っていた。
「君は“光の側”に生まれ、
僕は“闇の側”を見ようとした。
――その出会いが、すべての始まりだったんだね。」
ナリアは頷いた。
「そう。
でも、あなたが“名を呼んだ”から、
私はもう一度、存在できた。」
◇ ◇ ◇
空が鳴った。
紫と黒の稲光が交差し、
原初の世界がゆっくりと形を変えていく。
“物語”という概念が生まれたのは、
この瞬間だった。
言葉が流れ、
名前が生まれ、
善と悪の境が引かれた。
『私たちは、創られたのではない。
呼ばれたのだ。
誰かが、物語を始めた。』
ナリアは空を見上げ、微笑む。
「だから、私はもう――戦わない。
光も闇も、等しく“誰かの心”なのだから。」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者がその光景を見つめていた。
「……そうか。
世界の最初の物語は、分かたれた心の記録だったのか。」
その背後で、
カイとリラが再び目を覚ます。
二人の目の前には、
“原初の空”が広がっていた。
風が吹く。
ナリアの声がその中で微かに響く。
『さあ、聞かせて。
あなたたちの時代の“物語”を。』




