第54話 未完の劇場
塔が静まり返った。
筆の光も、戦いの余韻も、いまはもうない。
ただ、空気の奥に――何かが潜んでいる。
リラが周囲を見渡す。
「……終わった、のよね?」
カイは頷こうとして、ふと眉をひそめた。
「いや――音がする」
床の下。
塔の根の奥から、規則的な“拍手”の音が響いていた。
◇ ◇ ◇
パン、パン、パン――。
それは、確かに人の手の音だった。
しかしその音には、温度も質量もない。
まるで空気そのものが“観客のふり”をしているかのようだった。
『――素晴らしい。まことに、見事な脚本だった。』
声が響く。
どこからともなく、いくつもの声が重なる。
『矛盾も』『混沌も』『悲しみも』『愛も』
『――それら全てが、実に良かった。』
リラが息を呑む。
「誰……? アークスは消えたはずなのに」
カイは静かに剣を抜いた。
「……観客だ」
◇ ◇ ◇
塔の周囲の壁が崩れ、
無限の闇が広がる。
その闇の中に、無数の“影”が座っていた。
階段状に並ぶそれは――まるで劇場の観客席。
影たちは人の形をしていたが、
顔はなく、瞳の位置に文字が浮かんでいる。
『我々は見ていた。勇者の時代も、紫の夜明けも。
だが、観客はいつでも次の幕を欲する。』
カイは剣を構え、声を張り上げた。
「俺たちは、もう観客のために生きてるんじゃない!」
『それでは、物語は続かぬ。
我々の拍手こそが、世界を動かしてきたのだ。』
リラが震える声で言う。
「……この世界の根源って、もしかして……」
カイが頷く。
「ああ――“観る者”。
勇者の物語を支えた、観客席の神々だ」
◇ ◇ ◇
観客の影が立ち上がる。
ひとり、またひとり。
その姿は、人、竜、魔王、王女、盗賊――
あらゆる“過去の登場人物たち”の影だった。
『我らは、語られた者。
そして同時に、語る者。
――物語の渇きこそが、世界を維持する。』
カイの胸の“物語の核”が脈打つ。
強く、苦しむように。
「……つまり、観客の欲望が、物語を生み続けてるってことか」
『然り。
勇者が死しても、我らは新しい勇者を望む。
終わりを拒むのは、創造そのものだ。』
リラが叫ぶ。
「そんなの、永遠に終わらない牢獄じゃない!」
『終わらないからこそ、美しいのだ。』
◇ ◇ ◇
カイは剣を地に突き立て、
強く言葉を吐き出した。
「終わりのない物語なんて、命を踏みにじってるだけだ!」
観客席の影たちがざわめく。
だがその中から、一つの影が歩み出た。
他よりも濃く、形を保っている。
その影は――初代勇者の形をしていた。
『君が言う“終わり”は、悲しみか?』
カイは息をのむ。
「……あなたは……」
『違う。私は君たちが“望んだ勇者”の姿を借りただけだ。
この劇場では、あらゆる像が再演される。』
カイはゆっくりと剣を下ろした。
「じゃあ……終わらせる。
俺たちが、“観客の物語”に幕を引く」
『できるのか?
拍手の音を、完全に止められるのか?』
◇ ◇ ◇
床が割れ、舞台が現れた。
真紅の幕。
中央に立つ二人――カイとリラ。
周囲には観客の影。
その数は無限。
全員が息をひそめ、見つめている。
リラが囁く。
「カイ……これ、試されてる」
「ああ。
今度は俺たちが、“舞台側の勇者”になる番だ」
彼は剣を構え、
リラは魔導書を掲げる。
「――俺たちの物語を、見届けろ!」
◇ ◇ ◇
光が弾けた。
紫と金の閃光が劇場を包み、
文字が雨のように降り注ぐ。
観客たちがざわめく。
『始まった……』『第二の筆が、書き始めた……!』
だがその声の中に、わずかに別の響きが混じる。
『……見たい』『でも……怖い』『終わってほしくない……』
リラが小さく微笑んだ。
「ほらね、観客だって怖いのよ。
“終わり”を受け入れるのが」
カイは静かに頷いた。
「なら、俺たちが見せてやる――
終わることが、どうして“救い”になるのかを」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者が、ゆっくりと目を閉じた。
「……そうだ。
終わらせる勇気を持った者こそ、真の黒幕だ」
観客席の向こうで、
拍手の音が少しずつ小さくなっていく。




