第51話 ネオ・アルカナへ
その日の朝、空は静かに輝いていた。
夜の名残の紫が、淡く金色に溶けていく。
新しい時代の夜明け――その空の下、
カイとリラは港町レーヴェンの埠頭に立っていた。
海は鏡のように滑らかで、波ひとつ立たない。
けれど、水平線の向こうには確かに“異質な輝き”があった。
そこが《ネオ・アルカナ》。
勇者の手記が指し示した、新たな舞台。
「まるで海そのものが息をしてるみたい……」
リラが呟く。
カイは頷き、手にした羅針盤を見る。
針が狂ったように震えながら、光を放っていた。
「“心の方向を示す羅針盤”――
勇者の遺産だってさ」
「じゃあ、心が迷ったら、針も止まるのね」
「止まらせないさ。俺たちが進む限りは」
◇ ◇ ◇
【レーヴェン港・酒場兼宿屋】
出航の準備をするため、二人は船員を募っていた。
だが、誰も“ネオ・アルカナ”行きに名乗りを上げようとはしなかった。
「海の外に“空の裂け目”があるって噂だ」
「去年、遠征に出た商船は全滅したそうだぞ」
人々の恐怖と不信が、紫の時代の穏やかな光の裏に潜んでいる。
リラは小さく眉をひそめた。
「平和になったって言っても、
“知らないもの”に怯える気持ちは変わらないのね」
カイは静かに微笑んだ。
「だからこそ、行く意味がある。
勇者の時代が残した“恐れ”を、確かめたいんだ」
◇ ◇ ◇
そのとき、奥の席から声がした。
「ネオ・アルカナに行くって? 面白いじゃねぇか」
振り向くと、そこには一人の青年がいた。
銀の髪を乱雑に結び、腰には双銃を下げている。
年の頃は二十代前半。
目元の傷がどこか無鉄砲な雰囲気を漂わせていた。
「……誰?」
「ヴァン・クロス。元・空挺艦隊の整備士だ」
彼は立ち上がり、肩をすくめた。
「今の時代、空を飛ぶ船も海を渡る船も減っちまった。
だけど、あんたらみたいな奴らがいるなら――
もう一度、船を動かしてやってもいい」
カイは目を細めた。
「報酬はない。
あるのは、伝説の“続きを見る権利”だけだ」
ヴァンは笑った。
「それで十分だ。俺は昔から、物語が好きでな」
◇ ◇ ◇
翌朝。
港に停泊していた古い帆船《レムナント号》が、
ゆっくりと紫の朝霧を割って進み出した。
甲板の上で、カイが帆を上げる。
風が吹き、海面がきらめく。
リラは舵を握り、ヴァンは甲板下のエンジンを整備する。
「機関、起動良好! 目標、《ネオ・アルカナ》!」
船体が低く唸り、光を放った。
空の色が変わり、波が立つ。
まるで海そのものが新しい物語を歓迎しているようだった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
三人の船は、霧の海域に入った。
海面が紫に染まり、羅針盤の針が不安定に回り始める。
「……これが、勇者が残した“外の世界”か」
カイが呟くと、リラの鈴が鳴った。
チリ……チリ……
「聞こえる? この音……」
「ええ。まるで、誰かが舞台の幕を開けてるみたい」
次の瞬間、海が割れた。
紫の霧の向こうに、巨大な光の柱が立ち上がる。
その周囲には、無数の浮遊島――まるで“空の劇場”のような景色。
ヴァンが叫んだ。
「こいつは……空そのものが反転してやがる!」
リラが息を呑む。
「まるで、世界が上下逆になったみたい……」
カイは、胸の中で“物語の核”が震えるのを感じていた。
その震動が言葉になって、心に響く。
――ようこそ、《ネオ・アルカナ》へ。
ここは、語り手の世界。
◇ ◇ ◇
光の柱の向こうに、巨大な影が浮かんでいた。
島の中央にそびえる黒い塔――
その先端からは、無数の文字が空へと流れ出している。
「……あれが、舞台の中心」
カイが呟く。
「物語を操る“筆”の塔だ」
リラが驚いたように息をのむ。
「つまり……ここでは、物語が“書かれてる”の?」
「そうだ。
そして、俺たちは――その中に、入る」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者は微かに目を細め、笑った。
「ついに辿り着いたね。
君たちが“物語の外側”へ行くとは思わなかった」
背後から、かつての仲間たちの声が聞こえる。
『見てるよ』『今度は、君たちの番だ』
勇者はうなずく。
「幕は開いた。
新しい脚本は、もう観客の手の中にある」
◇ ◇ ◇
船は、光の海へ突き進んだ。
空と海が反転し、世界がひとつの物語へと変わっていく。
カイは剣を握り、微笑んだ。
「――さぁ、第二幕を始めよう」




