第50話 再び、舞台が動き出す
雪原を抜けたとき、風の匂いが変わった。
冷たさの中に、土と草の香りが混じっている。
――世界が、春を思い出し始めていた。
カイとリラは、ゆっくりと丘を下る。
背後にそびえる“虚構の街”は、もう霞の中に消えかけていた。
まるで最初から幻だったかのように。
「……戻ってきたんだね」
リラの声は、少し震えていた。
「そうだな」
カイは頷く。
胸の奥には、紫の光――“物語の核”がまだ微かに脈打っている。
それが鼓動のように彼を導いていた。
◇ ◇ ◇
【リュミエール=カルマ共和国・中央広場】
人々はいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。
市場の喧騒、子供たちの笑い声、祈りの鈴。
だが、どこかに“空白”があった。
空はまだ紫がかっており、
まるで何かを待っているような静けさが漂っている。
アマリアが祈りの塔の上からそれを見ていた。
風に白髪を揺らしながら、彼女は呟く。
「また……時が動こうとしている」
その足元で、ミディアが魔力計を確認して顔を上げた。
「魔素濃度、微妙に上昇中。
それも――勇者時代の“波形”と酷似してるわ」
アマリアは小さく目を閉じた。
「なら……新しい語り手が、物語を始めたのね」
◇ ◇ ◇
【街道沿いの宿】
旅の帰り道。
カイとリラは古びた宿屋の一室にいた。
手記を机の上に広げ、紫の光を確かめている。
リラが言う。
「この光……前より強くなってる」
「たぶん、世界が呼んでるんだ」
「呼んでる?」
カイは窓の外の夜空を見上げた。
「勇者が残した舞台は、まだ終わってない。
俺たちがここに来た時点で、“次の幕”が始まったんだ」
リラは少し黙り込んでから、笑った。
「……ねぇ、あんた。
そうやってすぐに“舞台”とか“幕”とか言うところ、
本当に物語の中の人みたいよ」
「いや、違うさ」
カイは照れくさそうに笑う。
「俺たちは“語る側”だ。
舞台に上がる覚悟くらい、持ってる」
◇ ◇ ◇
夜更け。
風が止み、窓の外の鈴が鳴った。
チリ……チリ……
その音に、二人は同時に顔を上げた。
机の上の『勇者の手記』がひとりでに開く。
ページに、再び文字が浮かんだ。
――物語は再び動き出す。
だが今度の舞台は、誰の支配も受けない。
心のある者だけが、脚本を書き換える。
リラが小声で呟く。
「……“脚本を書き換える”?」
カイはその言葉を反芻するように口にした。
「つまり……新しい勇者の役は、“選ばれる”んじゃなく“作る”ものだ」
◇ ◇ ◇
その瞬間、宿の外から強い風が吹きつけた。
窓が開き、紫の光が部屋に流れ込む。
光の中で、二人の影が揺れた。
カイの胸の鈴が激しく鳴り、
手記のページがひとりでにめくれ続ける。
そして、最後のページに刻まれた文字。
――新しい舞台の名は《ネオ・アルカナ》。
それは、心を持つ者たちの物語。
◇ ◇ ◇
光が収まると、
机の上に一枚の地図が残されていた。
それは見たこともない地形――
海の上に浮かぶ巨大な島、
中央には“塔”のような紋章。
リラが息を呑む。
「……また、世界の外に“舞台”があるのね」
カイは地図を掴み、
紫の光に照らされた窓の外を見た。
「行こう。
勇者が作った世界の“続き”を、
俺たちの手で書くために」
◇ ◇ ◇
【虚空】
紫の勇者は、微かに笑っていた。
「そうか……《ネオ・アルカナ》か。
――いい名前だ」
その声が遠く響く。
「物語の外に出た者が、
再び物語を紡ぐ。
これこそ、勇者という“黒幕”の証だ」
彼の背後に、無数の光の粒が舞い上がる。
それは過去の登場人物たち――
祈り、戦い、愛した者たちの記憶だった。
「……さあ、見せてくれ。
君たちの時代の“勇者譚”を」
◇ ◇ ◇
雪の夜が明ける。
紫の空に、一筋の光が走った。
それは――
新しい物語の、最初の一行だった。




