第44話 心を取り戻す者たち
黒い光が世界を覆ってから、三日が経った。
空は白く、夜は訪れない。
風も波も音を失い、
人々はまるで、夢の中を歩くように静かに生きていた。
誰も怒らず、誰も泣かず、誰も笑わない。
それは、黒の勇者が成し遂げた“完全な平和”だった。
けれど――その平和は、あまりにも無音だった。
◇ ◇ ◇
【議会棟・地下封印室】
アマリアは、暗い地下の隅で膝をついていた。
蝋燭の火がひとつ、かろうじて灯っている。
その光だけが、この世界でまだ“揺らいでいる”存在だった。
彼女の周囲には、意識を失った議員や兵士たちが倒れている。
彼らは生きている。
ただ、“感情”だけを奪われていた。
「……こんなの、救済なんかじゃない」
アマリアは祈り鈴を握りしめ、唇を震わせる。
「勇者さま……あなたなら、きっとこの光を壊せるはず……」
その声は、静寂の中でかすかに響いた。
◇ ◇ ◇
ミディアは研究塔の上で、黒の光を観測していた。
すべての魔法式が沈黙し、
魔力の流れが“無”に近づいている。
「……理論上、完璧ね。
でも、完璧すぎる世界ってのは、
つまり、誰かの“心”を削り取って成立してるのよ」
彼女は机の上の古い本を開いた。
そこには勇者が遺した言葉が書かれていた。
“物語は観客のためにある。
だからこそ、観客の心を奪ってはいけない。”
「そうよ……勇者ちゃん。
あなたの言葉を、もう一度取り戻さなきゃ」
◇ ◇ ◇
【街の廃区画】
ジークは、剣を失った腕を見つめていた。
黒の勇者の光に焼かれたあと、
彼の腕は金属のように硬直している。
「……あいつの言う“救済”ってのは、
戦う力も、誇りも、奪うってことか」
そんな中、瓦礫の影から子供の声がした。
「おじさん……こわいの、止まったの?」
ジークはハッとする。
その少年は、まだ感情を持っていた。
瞳に怯えと涙が宿っている。
「お前……まだ、消されてないのか」
少年は首を振った。
「お母さんが……泣くなって言った。
でも、泣かないと、心が死ぬって思ったんだ」
その言葉に、ジークの胸が熱くなった。
――心。
消されても、まだ灯る火。
「よし、行くぞ。
お前の涙を、奪わせてたまるかよ」
◇ ◇ ◇
【虚空】
僕は黒の勇者の広げた“白の世界”を見ていた。
その静寂は、完璧に設計された“虚無の劇場”だった。
「……これは救済なんかじゃない。
これは、脚本の最終ページを無理やり閉じる暴力だ」
指先に力がこもる。
僕の中で、忘れかけていた“熱”が蘇る。
「アマリア、ミディア、ジーク……
君たちは、まだ舞台に残っている。
なら――僕も、再び立とう」
僕は虚空の闇を裂き、
かつての“青と紅”の光を掴んだ。
それを混ぜ合わせると、
紫の火が生まれた。
「これは、希望でも絶望でもない。
――心そのものの色だ」
◇ ◇ ◇
【議会棟・大広間】
黒の勇者が民を前に立つ。
その背後では、無数の人々が無表情でひざまずいていた。
「苦しみは、もう終わりました。
悲しみも、怒りも、いらない。
世界は――これで完全です」
その声に、誰も反応しない。
だが、その静寂の中で――小さな鈴の音が響いた。
チリ……チリ……。
アマリアが立っていた。
涙を流しながら、まっすぐに彼を見上げる。
「完全なんて、いらない。
あなたは人の心を知らない!」
黒の勇者が顔を上げる。
「……心は不要だ。争いの原因になるだけだ」
アマリアは鈴を鳴らす。
「違う。
争いがあるからこそ、祈りが生まれるのよ!」
その瞬間、広間の空気が震えた。
白い光が裂け、黒の勇者の瞳が一瞬だけ揺らぐ。
◇ ◇ ◇
【虚空】
僕はそれを見届け、静かに呟いた。
「よくやった。
その音は、僕を呼ぶ鐘だ」
そして、闇の中で足を踏み出す。
封印されていた“紫の火”が燃え上がり、
僕の姿を再び形づくる。
「舞台に戻ろう。
――勇者という役を、もう一度演じるために」
◇ ◇ ◇
【大広間:終幕の予兆】
アマリアの祈り鈴が、激しく鳴り響く。
白の世界に、紫の光が差し込む。
黒の勇者が振り向く。
「……何だ、この干渉は……?」
空が割れた。
その裂け目の奥から、
あの懐かしい声が響く。
『……開演だよ、偽りの勇者』




