第41話 勇者なき世界
世界が再び息を吹き返してから――どれほどの時が経ったのだろう。
朝はやさしく、風は温かい。
空にはもはや、紅も蒼もない。
ただ、光と影が穏やかに混じり合う、ひとつの色。
かつての戦場も、祈りの大聖堂も、焦土の王都も――
いまは草が生い茂り、人々が集い、笑い声が響く。
誰もがそれを「奇跡」と呼んだ。
けれど、その奇跡を起こした“勇者”の名を覚えている者は、
もうほとんどいなかった。
◇ ◇ ◇
【リュミエール=カルマ共和国】
「おはようございます、アマリア議員」
声をかけた青年に、アマリアは微笑を返した。
議会の建物の前。
その頂には、かつての王国の紋章も、紅の印もなかった。
代わりに掲げられているのは――双環の旗。
青と紅が重なり、中央で白く輝く“調和”の紋。
アマリアは祈り鈴を胸に下げ、
かつて勇者に向けた祈りの言葉を、
いまは民へ、未来へと捧げている。
「彼は言いました。
“この世界は、観客のものだ”と。
だから私は、彼の言葉をこの国の理念にしました。
誰もが、自分の舞台の主役です」
◇ ◇ ◇
ジークは共和国防衛隊の訓練場にいた。
剣を構える若者たちの姿を眺めながら、
かつての戦火を思い出していた。
「勇者……お前がいないこの世界、
案外、悪くないぞ」
彼は剣を鞘に戻し、空を仰ぐ。
青くも紅くもない、ただの空。
けれど、その無色の穏やかさにこそ――
勇者の理想が宿っている気がした。
◇ ◇ ◇
ミディアは塔を離れ、街に住むようになっていた。
彼女の家の屋根には、蒼と紅のガラス片を溶かした“新しいステンド”が輝いている。
「ねぇ先生、これって魔法なの?」
子供たちが尋ねる。
ミディアは笑って答えた。
「違うわ。
これはね、“物語”の欠片。
誰かが信じた奇跡と、誰かが選んだ破壊が混ざったものよ。
どちらか一方じゃ、美しい色にならないの」
子供たちが目を輝かせる。
その笑顔に、彼女はそっと目を細めた。
「――勇者ちゃん、あなたの残した世界、悪くないわよ」
◇ ◇ ◇
そして、夜。
街の広場に人々が集まり、灯火を囲んで歌を歌う。
その旋律には、かつての祈りの調べも、戦いの鼓動も混じっていた。
アマリアは鈴を鳴らし、ジークは酒瓶を掲げ、
ミディアは魔法で小さな光を散らす。
誰もが笑い、泣き、語り合う。
勇者の名を出す者はいない。
けれど、その“空白”の存在が、
確かにこの世界を照らしていた。
◇ ◇ ◇
【虚空】
その光景を、僕は静かに見つめていた。
もう舞台は閉じられ、幕も降りた。
観客は舞台の上に立ち、自分の物語を生きている。
「……そうだよ。
これでいい。
僕のいない世界で、人が演じ続ける。
それこそが、最も美しい“続編”だ」
僕は微笑み、手のひらに小さな光を宿す。
青と紅が溶け合ったその光は、やがて純白になり――消えた。
◇ ◇ ◇
風が吹く。
夜空を流れる雲の隙間に、一瞬、光が走った。
それはまるで――勇者の笑みのようだった。
そして世界は、静かに、穏やかに次の幕を迎える。




