第34話 青と紅の伝承
「――聞いたか? 青い光の勇者が、夜空を渡ったらしい」
酒場の奥、客の一人が囁いた。
「いや、違う。見た奴が言ってた。“紅い影”が街を覆ったって」
「どっちなんだよ」
「さぁな。だが確かなのは――また、何かが起きてるってことだ」
王城崩壊から一週間。
王都はようやく再建の手を動かし始めたが、
同時に、街のあちこちで“奇妙な目撃談”が広がっていた。
青い火花の夜。
紅い影の夜。
どちらも現実であり、どちらも幻のようだった。
◇ ◇ ◇
「……まるで、物語が勝手に動いてるみたいね」
ミディアが呟いた。
彼女は仮設の司令塔となった旧礼拝堂の屋上で、
王都全体を見下ろしていた。
夜明け前の空気は冷たく、
遠くの瓦礫の上で人々の灯が小さく瞬いている。
背後から、ジークが上ってくる。
「街の連中が怯えてる。
“勇者が二人になった”とか、“紅の魔王が蘇った”とか……」
「まぁ、無理もありませんわね」ミディアが息を吐く。
「彼が姿を見せず、代わりに“印”だけが残ったんですもの。
信仰と恐怖はいつだって隣り合わせ」
ジークは拳を握る。
「だが、あいつがそんな存在になるはずがない」
ミディアは微笑した。
「そうかしら? だって、彼は“舞台の主役”ですもの。
主役はいつだって、善と悪の狭間で輝くわ」
◇ ◇ ◇
そのころ、アマリアは街の片隅にいた。
瓦礫の上に膝をつき、壊れた小さな祠の前で祈っている。
「勇者さま……どうか、あなたがどんな闇にいても、
この光が届きますように」
彼女の掌の上には、勇者の青い火花が宿る欠片。
王城の跡地から拾った、焦げた破片だった。
それがふっと揺れた瞬間――
アマリアの意識に、何かが流れ込んだ。
“見える”
燃えるような紅。
その奥に、微笑む“彼”の影。
そして囁くような声が響いた。
『アマリア……まだ祈ってるんだね』
◇ ◇ ◇
「……勇者さま!」
彼女は立ち上がり、周囲を見回す。
しかし誰もいない。
祈りの鈴が風に鳴り、空気がひどく冷たい。
それでも確かに、彼の声は届いていた。
『大丈夫。僕はここにいる。
ただ――舞台の裏側にね』
「……裏側?」
『うん。表の世界は崩れた。だから僕は、“もう一つの幕”を開ける。
でも、まだ観客席が足りない。
君たちが、この世界を見つめていてくれなきゃ』
アマリアは震える声で答える。
「……私たちは、ずっと見ています。どんな形になっても……!」
青い火花が弾け、風が彼女の頬を撫でた。
まるで“彼”が微笑んだように。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
王都の外れ、焦土の丘の上で、
紅い影がひとり、静かに立っていた。
仮面の主――その片側の仮面は割れ、顔の半分に紅い刻印が浮かんでいる。
その瞳には、確かな満足があった。
「……青と紅、二つの伝承。
どちらも真実。
そして、世界は分岐し始めた」
風に揺れる外套の裾。
仮面の主は夜空を見上げ、微笑む。
「さぁ、勇者。
どちらが“真の物語”か、決める時が来た」
◇ ◇ ◇
遠くの空で、青と紅の光が同時に瞬いた。
交わることなく、しかし互いを映し出すように。
まるで、舞台の幕がふたつに分かれ――
異なる物語が、同時に動き出したかのように。




