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第2話 青い囁きと森の目覚め

朝が来た。

夜明けの光が森を淡く染め、白い靄が草葉の上で揺れている。夜に囁かれた青い光の残滓は、もうどこにもない。けれど、僕の胸の奥にはまだ熱が残っていた。観客の男が囁いた名。その名は、影の奥でゆっくりと沈殿しながら、じわじわと僕を満たしている。


「勇者!」

森の奥からジークの声がした。見ると、彼が背に若者を背負って出てくる。その後ろにはアマリアが光を散らしながら歩み、ミディアは杖を支えに浮かんだ青白い魔法陣を引きずっていた。若者は四人。みな顔色が悪く、ぐったりとしていた。


「無事だ……!」老婆が駆け寄り、泣きながら若者たちの名を呼ぶ。

ジークが頷く。「体は無事だ。ただ……」


アマリアが小さく眉を寄せた。「昨夜の記憶をすべて失っています。森に入ったことすら覚えていません」


「魂に傷は残っていないが、空洞があるな」ミディアが若者たちを覗き込む。「懐かしさを食われた顔だわ。これではしばらく村の生活も難しいでしょう」


僕は四人を見下ろしながら、夜の会話を反芻していた。

──“役名を一つ、君に渡す”

観客の声は、まるで呪文のように胸の中で響いている。


◇ ◇ ◇


村へ戻ると、広場には人が集まっていた。若者たちが無事に帰ったと知ると、村人たちは涙を流し、歓声を上げ、僕たちの周囲を取り囲む。


「勇者さま! 勇者さまがまた村を救ってくださった!」

「さすがだ、俺たちにはとても真似できねえ!」


老婆は震える手を僕の手に重ね、泣きながら何度も「ありがとう」と繰り返す。


僕は笑顔を作って頷いた。

──救った? 本当に?

僕がしたのは、殻になった“灯”に新しい役を与えただけ。救済よりも改稿に近い。だが村人たちはそんな違いを知らない。舞台の仕掛けを観客は気づかなくても、芝居は芝居として成立する。


問題は、僕を理解する観客がここにはいないことだ。

必要なのは、昨夜のあの男のような“見抜く目”だ。


◇ ◇ ◇


村長が家へ招き、報酬を差し出した。

机の上には銀貨の袋、干し肉の束、野菜の籠。

「どうか受け取ってください。村に残された唯一の余裕です」


「ありがたく」僕は微笑みながら受け取った。


ジークは感謝を込めて深く頭を下げ、アマリアは「村の平和を祈っています」と手を合わせた。ミディアは小声で「銀貨の数、少なすぎません?」と僕に囁いた。


──報酬。

そう、報酬は大切だ。けれど、僕が本当に欲しいのは違う。

“勇者”より濃く、舞台を支配する名。

「ありがとう」ではなく「恐ろしい」と震える声。

拍手よりも、嘆きと悲鳴が欲しい。


◇ ◇ ◇


夜。村の外れ。

草の匂いが夜露に濡れて立ち上り、空には無数の星が瞬いている。僕はひとり腰を下ろし、星を見上げていた。


──観客から授かった名。

言葉にしてしまえば力を削ぐ気がして、誰にも打ち明けられない。

ジークに話せば「正義に背くな」と剣を振り下ろすだろう。アマリアなら涙を流して祈るに違いない。ミディアは面白がりながらも研究対象にするだろう。それでは駄目だ。

名は秘密であるほど力を増す。


「勇者さま、ここにいたのですね」

声がして振り返ると、アマリアが立っていた。月明かりに照らされた彼女は柔らかく光を帯び、白衣の裾が風に揺れている。


「みんな心配していました」


「心配しなくていいよ。僕は……強いから」

自分でも空虚に響く言葉だった。


アマリアは小さく笑った。「強い人ほど、孤独になるのかもしれませんね」


「孤独を選んだ人は、善行ポイントが減点されるんじゃないの?」僕は冗談めかして返す。


「ええ。帳簿の神様は、とても厳しいんです」

彼女の瞳は夜空よりも深く澄んでいた。


僕はしばし黙り込み、再び空を見上げた。

魔王がいるなら、きっとどこかで僕を見ている。

勇者が魔王を夢見る夜。

胸の奥で、青い火花がまだぱちぱちと鳴っている。


◇ ◇ ◇


翌朝。

僕らは旅支度を整えていた。森の事件は解決した。次の依頼がいつ下るかは分からないが、村人たちの安心した顔を見れば、この地に留まる理由はない。


「勇者」ジークが声をかける。「この村を離れたら、王都へ戻るのか?」


「さあね」僕は笑って肩を竦めた。「けど……舞台が広い方が、面白いだろ?」


ジークは首を傾げて「舞台舞台と言うのはやめろ」と眉をひそめる。

ミディアは「舞台って言い方、わたくしは好きですわ」と頷き、アマリアは小さく祈りを唱えた。


彼らは知らない。

僕が夜に囁かれた名を、舌の裏で何度も転がしていることを。

それはまだ仮名にすぎないが、王都に行けば、もっと大きな名に昇格させられる。


◇ ◇ ◇


村を離れる前、老婆が再びやってきて、僕の手を握った。

「勇者さま……どうか、どこに行ってもご無事で」


その言葉に、僕は心の中で笑った。

無事? 違う。僕が欲しいのは“無事”じゃない。

崩壊と混乱、そして恐怖の名声だ。


老婆の震える手をやさしく包みながら、僕は心の奥で囁いた。

──魔王よ。見ているか。

僕はきっと、あなたの座を奪う。

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