第10話 王都に垂れる影
王都は表向き、祭りの余韻に包まれていた。
夜空を彩った花火の記憶を語り合い、子供たちは屋台の玩具を振り回し、大人たちは酒場で喧騒を楽しむ。
だが、その笑顔の裏で──不穏な影が静かに広がっていた。
「勇者殿」
廊下を歩いていた僕のもとに、あの廷臣が近づいてきた。
青い羽飾りを揺らしながら、声を潜める。
「どうか今宵、裏庭へ」
……また舞台裏の誘いか。
僕は頷き、何事もない顔でその場を通り過ぎた。
◇ ◇ ◇
王城の裏庭は人影もなく、噴水の音だけが夜に響いていた。
そこに仮面の貴族たちが集っていた。
焚き火の光で浮かぶ白い仮面は無表情で、むしろ不気味なほど整っている。
「勇者殿」
ひとりが口を開く。
「北の街道の討伐、見事でした。民衆はあなたを絶対的な英雄と仰いでおります」
「拍手喝采はありがたい」僕は笑った。「だが、わざわざ呼び出してまで何を見せたい?」
「……王都に迫る大きな危機を」
別の貴族が低く告げた。
◇ ◇ ◇
広げられた羊皮紙には、王都の地図。
その各所に赤い印が記されていた。
「水路です」廷臣が指を差す。
「王都を巡る大水路に、何者かが毒を流し込もうとしている。すでにいくつかの地区では家畜が倒れ、人間にも熱病が広がりつつある」
「毒……」ジークが息を呑む。
「本当ですの?」ミディアは目を細め、羊皮紙を睨む。
アマリアは小さく祈りを唱えた。「神よ……」
僕は地図を眺めながら、心の奥で笑っていた。
──なるほど。
人々の生活を支える水路が、舞台装置に早変わりする。
その毒が広がれば、英雄は再び前に立たねばならない。
だが同時に、混乱と絶望が王都全体を覆う。
それは僕の求める“黒幕の劇場”そのものだった。
◇ ◇ ◇
「勇者殿」仮面の貴族が言う。
「これは王都を揺るがす陰謀。我らは陛下に報告すべきだと考えております。しかし……証拠が乏しい」
「だから勇者殿にお願いしたい」廷臣が囁く。
「影の黒幕を探り出し、討っていただきたい」
……黒幕を討て?
笑わせる。
僕は黒幕になろうとしているのに。
「いいだろう」僕はあっさり答えた。「その役、引き受けよう」
◇ ◇ ◇
部屋へ戻る途中、窓から王都の夜景を見下ろした。
川のように張り巡らされた水路が、月光を反射してきらめいている。
だが、そこに毒が流れ込めば──王都全体が恐怖と混乱の舞台に変わる。
「英雄の芝居を続けながら、裏で舞台を操る」
僕は小さく笑った。
「これ以上の役回りはないな」
胸の奥で、青い火花がまた大きく爆ぜた。
王都に垂れた影は、確かに広がっている。