第一章 死体安置所から這い上がって、とりあえず善行してみることにした
薄暗い死体安置所に、冷たい空気がブゥンブゥンと唸っていた。
まるで吸い込むたびに霊圧でも混じってそうな、そんな不快な寒気が体中を包み込む。
ユリス・フォン・ウナールス――かつては京都のチンピラ「神原 蓮」。
今は帝国の聖裔、レオン・フォン・ウナールス伯爵の三男として、
一枚のボロいシーツを体に巻きつけ、薄暗いの中でガタガタ震えていた。
「……マジで、生き返ったのか?」
彼は自分の手を見つめた。
痩せこけた指、浮き出た血管、そして腹にうっすら浮かぶ灰白色のハスの紋様――すべてが現実を物語っている。
死体を借りて蘇っただけだとしても、今この瞬間、確かに“生きている”。
「異世界転生もの、まさかのテンプレ開幕……って、死体安置所スタートって聞いてないぞ。」
彼はぼそりと毒づきながら、近くにあった患者用の服を無理やり着て、
頭の中に流れ込んでくる“ユリス”としての記憶と格闘を始める。
ここは『ヘルツティア帝国』という名の異世界。
全てが“斗気”を中心に回っており、貴族たちは“斗魂の覚醒”を至高と崇めている。
そして、彼の新しい身分は帝国屈指の名門・聖ウナールス家の三男坊。
――聞こえはいいが、実際は名ばかりの“残念三男”だった。
「いや、残念どころか、“残飯レベル”かもな……」
ユリスは無表情で自己評価した。
三年間、斗魂が目覚めることは一度もなく、知能も平民以下。
外に出れば犬のフンを踏み、女の子に告れば即ビンタ、
さらには食事のたびに魚の骨で喉を詰まらせる始末。
前世ではスキルで食ってたのに、この世界では“生存”自体がハードモード。
「まあ、それでも生きてるだけマシか。神様にバチンとやられたけど……ある意味、第二の人生ってやつ?」
そんなぼやきをしていたその時、腹部の神紋がじんわりと熱を帯びた。
「現在状態:封印中」
「善行蓄積:0」
「注意:贖罪が進むまでは、一切の情欲行為を禁ず」
「再警告:違反時は即時、永久去勢処分を実行する」
「おいおい!」彼は思わず叫んだが、すぐに気づく。この口調……どうやら誰かが目の前で喋っているわけではなく、脳内に勝手に再生された“録音音声”っぽい。
「お前、まさかの録音音声残してんのかよ!?こんなもん残すくらいなら新手のチュートリアルでも寄越せや!」
「贖罪者に初期補助は与えられない。善行こそが力であり、禁欲こそが尊厳である。」
「ケッチするな!何がスキルやギフトを授与するのは異世界転生のお決まりだろう!?」
「贖罪者に初期補助は与えられない。善行こそが力であり、禁欲こそが尊厳である。」
「二回言うなや!」
ユリスはぶつくさ文句を言いながら、死体安置所の扉をそっと開けた。
目の前に広がるのは、人気のない医療施設の廊下。
光を反射する白い床、壁に飾られた不思議な紋章――それは聖裔の家系にしか使われない貴族専用施設の証だった。
「つまり、俺の体がまだ捨てられてなかったのは……親がまだ多少の権力を持ってるからか。」
彼は記憶を頼りに、貴族用の病室へと向かう。
数歩進んだその時、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「この下民がっ!俺様にぶつかっておいて謝罪もないとはどういうことだ!」
「ご、ごめんなさい……わざとじゃ……!」
「わざとじゃないだと?貴様、俺が誰か分かっているのか!?俺様はグラフィル侯爵家の嫡男、ゼルド様だぞ!」
お約束すぎるセリフに、ユリスの眉がピクリと動く。
「このノリ……まさかのテンプレ悪役じゃん。」
そっと顔を出すと、案の定だった。
廊下の端っこでは、メイド服の少女が金髪の貴族少年に怒鳴られており、
その横では護衛の男たちが腰の剣をドヤ顔でトントン叩いていた。
「よし、ここが試しどころだな。
行善システムってやつ、本当に作動するのか見せてもらおうじゃないか。」
ユリスは腹の神紋をそっとなぞりながら、小声でつぶやく。
「命を救うってのは……ポイント的にお得なんだよな?」
そう言いながら、彼は堂々と曲がり角を飛び出した。
「おい、そこのお坊ちゃん、何騒いでんだよ?女の子泣きそうじゃねぇか。」
金髪少年が振り返り、ユリスの顔を見た瞬間、まるで幽霊を見たような顔をした。
「……ユ、ユリス!?お前、死んだんじゃ……っ!?」
ユリスはニヤリと笑った。
「そうさ、俺は死んだ。でもな――死人が一発かましに来たって、別に不思議じゃねぇだろ?」
彼はズイッと指を突き出し、その笑みはどこか胡散臭くも、自信に満ちていた。