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私を愛してくれる人  作者: 櫻井


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6/7

5.

「おはようございます」


 オリヴィアが扉を開き、挨拶しながら店の中に入るとバゲットを天板からバスケットへ移し替えていたアーサーは、それら全てを投げ出す勢いで調理台に置き、転がり出るようにして厨房から売り場へと出てきた。



「お、おはようございます。オリヴィアさん!」

「あら、まぁ。どうなさったの?」


 自分でも肝が座っている方だと思っているオリヴィアだが、さすがにアーサーの勢いに驚いて目を丸める。


「あ、いや……その、ここ数日お見かけしなかったので」


 体調を崩されたのかと心配になった。という下りは、ゴニョゴニョと口の中で丸まって消えた。


「ああ」


 どうやら自分のことを心配してくれていたようだと察したオリヴィアは、アーサーの優しさが嬉しくてほんのりと頬を染め、はにかんだ笑顔を浮かべる。


「兄が来ておりましたの」

「お、お兄さんですか?」

「ええ」


 リチャードがオリヴィアのアパートメントにやって来たのは先週のことだ。

 オリヴィアのためのデタッチハウスが建屋としてはほぼ完成。邸を飾る外装が七割完成で、内装も五割は超えたらしい。突貫工事という、コスト度外視のスピード工事を甘く考えていたと驚かされた。どうやら雪が本格的に降り積もり始める前に屋根だけは葺いてしまおうと作業を急がせていたという。その屋根が完成し、他の作業もかなりな前倒しで進み、進行状況を逐一報告させていたヴァレンタイン家は、一度現場の確認とオリヴィアのご機嫌伺いにとリチャードを送り出したとのことだった。


 なんともまぁ面映ゆいことだと、兄から話を聞いたオリヴィアは相好を崩す。


 しかし、難儀なことに兄がくると食事の世話が複雑になった。

 単純にオリヴィア一人なら、凝った料理は必要ないと断っているし、主人の食べ残しは使用人達の口に入るという貴族の当たり前も通いのハウスメイドなら行う必要はない。余った食材は持ち帰っていいと伝えてあるからだ。

 しかし、兄は普通に貴族だ。

 オリヴィアの質素倹約を目の当たりにして、変に気を回し再び大騒ぎされたら面倒だと彼の滞在中の食事はすべて外食で済ますことにした。食材の持ち帰りが出来なくなったメイドには申し訳ないと思ったが、数日のことだから我慢してほしいと伝えたら逆に恐縮された。どうやらオリヴィアの世話は、かなりの好待遇だったらしい。


「それで、外食に……」


 ところどころぼかしながらも、家族が滞在して思うように行動できなかったと説明するオリヴィアに、なぜ朝食のパンを買いに来なかったか合点がいったアーサーは、半分魂が抜けたような表情で呟き、何事もなくてよかったですと笑った。


「うちの家族、思っていた以上に過保護でしたの」


 愛されているという実感はあったが、これほどまでに厚く、なんなら暑苦しいくらいに思われ、守られていたとは思わなかったとオリヴィアは眉を下げる。


「愛情深いことはいいことです」

「ええ、そうですわね」


 笑いあったあと、普段通りにオリヴィアはパンを選び、アーサーがすすめる本日の会心の出来も加えてもらう。そうして、会計を済ませようとしたところでアーサーはおずおずとオリヴィアは引っ越してしまったらもうパンは買いに来ないのかと問いかけた。


「いいえ。引っ越しといってもツーブロック先ですの」

「ツーブロック……」


 アーサーは、オリヴィアがどのライムストーンに住んでいるかは知らないが、この近隣の地図はすぐに思い浮かぶ。そして最近、とてつもない数の人足を繰り出して工事している土地も常連客たちの噂に上ったことで覚えていた。


「あの養鶏場の」

「ええ、土地を均すのが大変だったらしいですわ」


 程よい田舎であるこの町が、ただの田舎から毛が生えた程度の発展を見せ始めた頃、その養鶏場は、移転していった。当時、ようやく走っても転ばなくなったような年の頃だったアーサーは、そんな施設があったという記憶しかない。廃屋となった建物が放置された空き地となっていたが、数年前に手を加えられて整理されて以来、やはり手つかずとなっていたから秋の終わりに急に造成工事が始まって近隣住民たちは驚いたのだ。


「ですから、まだまだお世話になりますわね」


 いたずらっぽく微笑うオリヴィアが可愛らしすぎて、アーサーは胸を撃ち抜かれるような衝撃を感じながらコクコクと頷く。


「ごきげんよう」

「またのご来店をお待ちしております」


 幸せそうにパンを抱え出ていくオリヴィアを見送ったあと。


「……かわいい」


 カウンターの中で崩れ落ちるアーサーまでがお約束なのであった。



 ◇



「いやぁ〜、蒸気暖房なんて初めてのことでいい勉強をさせて貰いました」


 そういって笑うのは、この施工の現場監督も務めた大工の親方だ。中央都市でも珍しい、地方などではほぼお目にかかれない工事に携われたことが誇らしいのだろう。

 彼の傍らには施工管理がいて、彼もまた順調に作業が進み、終わりが見えた現状に安堵してか表情が緩やかだ。


 オリヴィアの為に用意された邸は、基礎から打って造られた。そのため、何もかもが最新式で、建築工法から素材や構造についても厳選し百年先でも劣らず住み続けれる家というものを目指して建てられている。


 特に彼らが話題にしているのは、最近出始めたばかりの技術の集中暖房というものだろう。


 地下に設置した熱源発生装置でつくった熱を各部屋へ送り込み、室内と家全体を暖めるという仕組みなのだが、まだ出始めたばかりの技術ということで配管設計を行える設計士が少なく、コスト高も重なってなかなか浸透していない。それを予算度外視のヴァレンタイン家は、人脈と財力を惜しみなく使い他国から設計士を呼び、材料も良きものを、人足は存分に使えと制限をつけずオリヴィアの新居に注ぎ込んだ。

 規格外の発注に、建築予定地であるコーレットとコーレット近隣のワレア湖を囲む周辺の建築業界が沸いたのも当たり前のことと言えるだろう。人が動き、物資が動き、軽微ではあるが犯罪率に変動はあったが、その分、検挙率も上がりヴェルヌ領は今日も平和だ。


 家というのは財産である。将来、どのような形でオリヴィアが人生の伴侶を迎えるかは分からないが、その時に持たせる財産の一つとして、妥協は許さないとヴァレンタイン家が本気を滾らせ最新の工法を識る技術職人を招き、それに地元の大工、左官、土工が互いの技術連携にて応えたカタチがオリヴィアの邸宅である。


「広い庭だろう?」


 裏の庭へと案内されたオリヴィアは、ふふん。と、胸を張る兄に少々辟易しながらも庭を見て、生まれたばかりの妖精の森にでも迷い込んだのかと目を見張った。


「母上がオリヴィアは庭仕事が好きなようだから庭を広くしてやってほしいと父上に頼んだんだ」

「お母様が?」

「趣味に収めるには、お前の植物に対する知識は惜しいと」

「まぁ」


 品種改良に注力する兄と違い、オリヴィアは植物が持つ効能へと傾倒していった。母はそれをよく見ていたのだろう。

 兄に、どんな植物が生えている庭が理想かと問われたとき、愛する我が家(カントリー・ハウス)の庭は勿論思い浮かんだが、それとは別に夢語りとして、小さくていい。自分だけの庭、自分だけの『癒しと学びの庭』について話してしまっていた。


「先に聞いていた樹木や草花は植えておいた。だが、遥か海の向こうの植物達は無理が利かないものもあった。許せ」

「いいえ、いいえ。ありがとうございます。なんて素晴らしい庭なんでしょう」


 植樹や植替えされて間もない植物たちは、定着するのに時間がかかるだろう。無事、土地に馴染んで生長してくれればいいが少しばかり心配は残る。

 しかし、それでも。伸び伸びと枝葉を伸ばす木々たち。足元には、うっそりと葉を伸ばした薬草(ハーブ)たち。冬の寒さに耐えながら、懸命に命を謳歌している姿に心が震えた。


「定期的に植木屋に入ってもらう約束もしてある。追加でほしい何かがあったら、頼むといい」

「まぁ。至れり尽くせりですわね」


 顔を綻ばせる妹を見て、リチャードも口元を緩める。そんな兄は、少し間をおいてからオリヴィアに優しく語りかけた。それこそ、独り言(こころのうち)を言うように。


「オリヴィア。今はまだ、その気にはなれないかもしれないが……いつか、幸せにお成り」


 兄の言葉に、オリヴィアは眩しそうに目を細め、麗らかな春の日差しを浴びたかのような微笑みを浮かべるのであった。





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