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私を愛してくれる人  作者: 櫻井


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4.

 オリヴィアの生活は気ままなものだ。

 今までは家業を手伝っていたので相応の報酬は受け取っていた。今シーズンは隠遁するのでそれに対しての報酬は見込めないが、配当報酬はある。女性一人が楽に暮らすような金額ではないから、そこは貯蓄の切り崩しになるが家賃やハウスメイドの給金、その他諸々諸経費は親が手配してくれているので結局はオリヴィアがオリヴィアの為に使う趣味や娯楽、癒しの対価としての支払いのみに絞られる。


 労働階級から見れば、優雅な生活だっただろう。


 だが、これから先を考えれば、それは決して安穏とした未来につながっているわけではないとオリヴィアも分かっていた。


 ベッドに入る前に、日記にその日の出来事を記録する。

 今日感じたこと、考えたこと。市場での交渉や街の人々との会話、新聞で気になった記事など。

 社交界に戻るにしろ、戻らないにしろ、未来の自分のために気づきを残す大切な時間だ。そうして明日を思い、少しだけ前向きな気持ちでペンを置く。


 自分の一生、この先どうなるか。その先行きが分からぬ不安を傍らに、暫しの休息と日々を過ごす。







 パン屋から戻り、キッチンに立ったオリヴィアは、軽く鍋を洗うと焜炉にかけた。


 きれいな水が出る水道というのは本当に便利だ。生活補助をハウスメイドに任せているとはいえ、一人暮らしを始めたオリヴィアはつくづく水の有難みを感じている。


 マルタン最大の都市整備事業であるラスピ改造。セクア県知事のジョージ・オットマンが取り組んだそれは、沼の街と言われていたラスピを花の都へと変えた。


 その成功例を受け、イディーランドのカラレンツ大改造へと繋がり、今ではほとんどの都市で上下水道の整備が行われている。


 オリヴィアが生まれるずっと前から水道はあったが、家にまで水道が引かれていたのは貴族か豪商くらいで、それまでは広場などの共同の水場か川や泉に水を汲みに行くのが当たり前の生活だった。

 上水がそれでは下水はそれ以下だろう。

 ささやかな『この程度』の積み重ねで河川が汚染され、そこから病が広がっていく。


 そこからは、手をこまねくような一進一退だ。そして悪魔の眠り病モヴェの流行により時代が動く。

 しかし、当時の対応はきれいな泉の水を引き直すといった水源を変えるという安易なもので根本的な解決には至っていなかった。


 それが劇的に変わるのがヘンリー・キューザックの登場である。過去に一部地域で使われ、失われた技術となっていたサンドフィルターを復活させたヘンリーは、更に改良を加え水質を上げることに成功した。それにより疫病は急速にその数を減らしていく。


 さらに時代は進み、満を持して財貨の女主人が手にした天秤を掲げた。彼女の最期の偉業と言われる公害問題への法整備は、シヨン公国の空気を清浄に維持し、流れる川も透明度を維持させるに十分だった。

 他の国が頭を抱える問題を彼女は長い時間準備して成し遂げたのだ。あの国の衛生管理は、他の追随を許さないほどだと聞く。


 そうして今では、オリヴィアのように少しばかり高級な住宅であれば、住んでいるのが平民であろうと蛇口を開けば水が出る恩恵にあずかっている。

 とはいえ、料理に使う水はキッチンに置かれた浄水タンクを通し、煮沸してから使うのが基本なのだが。


 抗疫病(ハーブ)酢も作っておいたほうがいいかしら?


 鍋の中に薄くスライスしたジンジャーを入れ、てんさい糖、蜂蜜と加えたところでそんな考えがチラリとよぎった。


 感冒予防にとアーサーに渡したジンジャーシロップを自分用にも作り始めたオリヴィアだったが、それだけでは足りないかもと思ったのだ。


 でも、罹患するときは何をやっていても罹患するのよね。


 どれだけ気を配っても罹患する時は罹患する。シーズン中は特に、貴族や彼らに仕える使用人達だって健康には気を配るものだが、どの家でも何人かは必ず患って見舞いの品や手紙が飛び交う。ある種、恒例行事だ。


 去年の兄様は酷かったわ。


 昨年、ひどい風邪を患ったリチャードの様子を思い出しながら、オリヴィアは鷹の爪、クローブ、シナモンと順に鍋に加え、最後に水を入れて火を点す。


 伝染(うつ)されてはたまらないと、あの時も色々ハーブを使ったお茶やお菓子を作っては兄様の元へ持っていったのよね。


 発熱こそしなかったが、鼻水がひどく常に何かが伸し掛かるような倦怠感と闘っていた兄リチャードは、鼻のかみすぎで皮が剥け周囲の皮膚も爛れてかわいそうだった。


「……塗り薬も必要かも」


 その時の兄の顔を思い出し、思わず身震いする。


 万が一、去年の兄のようになったら物理としてではなく精神面で生きていけない。


 鍋が沸騰したところで中火にし、表面に浮いてきたアクを取りながら裏庭にあるハーブを幾つか思い浮かべる。前の宿主が様々な薬効を持つ植物を庭に植え残していってくれたことは有り難いが、貴族の庭の薬草園と比べたら数は限られた。


「足りない気がする……」


 幼い頃から母の庭で遊び、自然とその知識を身につけていたオリヴィアは、望む効果から材料となるハーブの逆引きも得意だ。この冬は、用心には用心を重ね、万全な状態で乗り切りたい。


 一度庭を確認して、足りない分は明日買いに行こう。


 十五分煮て火を止めた鍋に、仕上げとなる搾ったレモン果汁を混ぜ入れたオリヴィアは、万病予防だけではなく鼻先を真っ赤にする未来を阻止するための決意を新たにするのであった。





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