グッバイ、レディ
大好きなロマンス小説作家の新作を読み終えて、私はどうしても納得がいかなかった。
復讐の邪魔になった令嬢を「グッバイ、レディ」と囁きながら崖から突き落として殺してしまうヒーローと、純真無垢なヒロインが結ばれてハッピーエンド(もしかして、これはメリバ?)になる物語。
ロマンス小説のヒーローが手を汚していいのだろうか?
ヒロインは復讐のためとはいえ計四人も殺した彼を許し、罪を犯した彼に生涯寄り添う覚悟で、二人で新天地へ旅立つというラスト。
私は結末を受け入れられずにベッドの中で悶々としながらも、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝目覚めると、その納得がいかなかった小説の、ヒーローに殺される令嬢ジザベルに私がなってしまっていた。
これは悪い夢だと思い、二度寝、三度寝をして起きても、私がジザベルなのは変わらなかった。
「ベル、どこか具合でも悪いのかい?」
心配そうにジザベルの婚約者であるユリウスが枕辺に顔を寄せてきた。
原作の描写通りの、いかにも遊び慣れた美男子の彼は、彫刻のように美しく整った容貌だった。
この顔で何人もの令嬢を誘惑しては泣かせて来たのだな、ふむふむと感心しがら眺めた。
ジザベルはユリウスとは上部だけ仲良く見せているだけの、実際は冷めた関係だという設定だから、私もそのような態度で振る舞うことにした。
ユリウスはジザベル亡き後、すぐに別の令嬢と婚約する薄情男の設定だ。
もし私が無事に生き残れても、ユリウスとは結婚はしないつもりだ。
「いいえ、何ともないわ、少し寝不足だっただけよ」
ジザベルは復讐を目的に従姉妹のシャロンに近寄って来るジェイスン·バトラーというヒーローに、よせばいいのに粉かけて、邪魔になって殺されてしまう脇役だ。
それなら私はジェイスンとは関わらず、よせばいいのにということは一切しなければ、殺されることもなくなるのよね?
復讐によってシャロンの叔父と父親と執事は命を落とすけど、知らないふり、見ないふりを通せば、きっと大丈夫よね?
私はこれから起きるかもしれない復讐劇に備えることにした。
ジザベルは危険な香りのする男に惹かれる傾向があるから、気をつけないと。
わざわざ危ないところへ、自分から好んで首を突っ込む悪癖があるから。
人を疑うことを知らない純真無垢な従姉妹のシャロンとは真逆の性格だ。
ひと月後、シャロンの新しい家庭教師としてジェイスン·バトラーが叔父の伯爵家にやって来た。
いよいよ、彼の復讐がスタートするのだ。私は彼との接触を可能な限り避けた。
ジェイスンは不覚にもシャロンに恋をしてしまう。彼女は復讐対象ではないけれど、憎い男の娘であり、シャロンが自分の異母妹ということに強く葛藤し苛まれる。
その後、シャロンと父は血縁関係がないと知り、光明が差す。
シャロンは若くして未亡人となったシャロンの母と亡くなった夫の子どもだった。シャロンの実の父は我が子の誕生を見ることなく他界していた。
シャロンの叔父がまず不慮の事故で亡くなり、追い詰められて執事まで自死してしまうのは原作通りだった。
シャロンや私にはとても優しく温厚だった三人は、過去におぞましい罪を犯していた。
当時シャロンの父と交際していたジェイスンの母を、高位貴族と結婚するのに邪魔になったので三人は結託して生き埋めにしたのだ。彼女はジェイスンを妊娠していた。
ジェイスンの母の友人が気づいて助け出したが、母は子を産むと息絶え、ジェイスンは未熟児で生まれた。
シャロンの父はジェイスンの父でもあり、自分の母と自分を非情な手段で亡きものにしようとしたのだ。
その憎い父に後一歩で復讐を遂げることが出来ると思っていた矢先、ジェイスンに誤算が生じた。
シャロンがジェイスンの企みに気がつき、あろうことか私の婚約者ユリウスの協力を得て先回りしたのだ。
ユリウスがジェイスンの過去を暴きシャロンを焚き付けたのだ。
シャロンはジェイスンには兄のような親愛を抱いていたが、恋では決してなかった。
シャロンの父を狙いジェイスンが構えた銃口が火を吹くよりも早く、シャロンが放った弾丸がジェイスンの肩を貫いた。
「私のお父様まで殺されてたまるものですか!」
ジェイスンが反撃で放った弾はシャロンの頭を撃ち抜いた。
「シャ、シャロン!」
シャロンの父は半狂乱で倒れたシャロンにすがりついた。
ジェイスンはその場から逃走した。しかもなぜか彼は私の部屋へ逃げ込んで来た。
「ど、どうしてここに?」
私は血まみれの彼を見て恐怖で凍りついた。
「あなたの婚約者に用がある。あなたには手は出さない、絶対に危害は加えないと約束する」
「······とっ、取り敢えず手当てを」
私は彼の復讐に巻き込まれて負傷した時に使えるように必死で身につけた治癒魔法で、彼の傷口を塞いだ。
「···助かったよ。ありがとう」
「これに着替えて。今夜はここで休むといいわ」
ジェイスンはシャワーを浴びるとガウンを纏った。
押し黙ってソファに座る彼はガタガタと震えていた。
「何があったかは知らないけど、この部屋にいる間はあなたの安全は保証するわ」
濡れ鼠の怯えた子どものような彼の髪をタオルで拭いてあげた。
「······」
ジェイスンは、私にされるがままになっている。
美術品のようなユリウスには負けるけれど、流石本編のヒーロー、彼もなかなかの美青年だった。
緑の黒髪と、深淵を思わせる闇色の瞳は神秘的で引き込まれそうだ。
個人的にはユリウスよりも断然好みだ。しかもどこか影のある美青年なんて、そりゃあそそられるわよね。
だから小説のジザベルも彼に近寄ったのだろうと納得した。
明かりを落として、気分を落ち着けるお香を焚いた。
私は彼に何も聞かなかったので、この時点ではシャロンが亡くなっていたのをまだ知らなかった。
余計な詮索をすると殺されてしまいそうだから、彼が自分で何があったかを話すまではそっとしておくつもりだったけれど、ひとつだけ質問することにした。
「ユリウスに何の用があるの?」
「あいつはシャロンに手を出した」
(なんてことを!)
「·····あの男は本当にクズね」
「あいつを殺しても構わないか?」
今彼がここにいること自体、物語の展開が既に違って来てしまっている。
彼の復讐を誰も止めれられないなら、成り行きに任せるしかないのかもしれない。
「······私は構わないわ」
「なぜだ?」
「これは冗談ではないのよね?」
「もちろん、本気だ」
「もしも私がやめてと頼んだら、やめてくれるの?」
「······」
彼は無表情のまま黙り込んだ。
「私達は愛し合ってはいなかったのよ。結婚する気がなかったのよお互いにね。彼はシャロンと結婚する気なのかもしれないわ」
どやどやと足音が部屋の外から聞こえて、ドアがノックされた。
「お嬢様、ユリウス様がお越しです」
私とジェイスンはハッと顔を見合わせた。
「······わかったわ、お通ししてちょうだい」
ユリウスは部屋に入って来るなり、ソファに腰掛けている私に慌てた表情で肩を掴んだ。
「ベル、大変なことになったよ」
「何があったの?」
私はとぼけて聞いた。
「シャロンが死んだ」
「なんですって!? どうして死んだの?」
「ジェイスンという家庭教師に銃で撃たれたんだ。伯爵夫妻は半狂乱だよ」
(そ、そんな、ジェイスンは、シャロンまで殺してしまったの?)
「···なぜシャロンが?」
私の声はショックでしがわがれていた。
ヒロインが死んでしまった物語の結末は一体どうなってしまうのだろうか?
「ジェイスンの復讐だよ」
「復讐?何で?」
彼の復讐の動機は知っていたが、まさかシャロンまで巻き添えになるなど、全く予想もしていなかった。
「ねえ、ユリウス、あなたはどうしてシャロンが死んだのを知っているの? まるでそこで見ていたように言うのね?」
「えっ!?ああ、たまたま伯爵に用があってね、お邪魔していたんだよ」
「それで、そのジェイスンはどうなったの?」
「シャロンが銃で彼の肩を撃ち抜いた。致命傷ではないとは思うけど、逃走したよ」
「シャロンがなぜ銃を?あなたはどうして止めなかったの!?」
(あのシャロンが銃を撃ったですって!?)
シャロンはジェイスンに反撃されて頭を撃ち抜かれて即死だという。
「そんな······」
私はあまりの惨劇に血の気が引いて、ぶるぶると震えた。恐ろしくてジェイスンの隠れている場所を見ることができなかった。
「ベル···」
ユリウスが私を抱きしめようとして来たので、咄嗟に振り払った。
「もう帰って。······私を一人にして」
「ベル、愛してるよ」
(この人はこんな時に何を言っているの?!)
「あなたはシャロンと関係を持っていたのに、こんな時によく平気でそんなことを言えるわね!」
しかも彼は、なぜかジェイスンの復讐を知っていた。それなのにジェイスンを伯爵邸から遠ざけることも、叔父に教えることもしなかった。
叔父様は自業自得でも、シャロンを避難させず、自分が彼女の盾になることもせずに見殺しにしたのだ、自分と関係を持ったシャロンにすらも。
私は強い怒りが込み上げた。でもそれはユリウスにではなくて、私自身にだった。
私こそ、叔父様達を見殺しにしたのだ。しかもその復讐をした犯人を今この部屋のクローゼットに匿っているのだ。
「あなたとは婚約破棄よ。金輪際私に構わないで」
「ベ、ベル···!」
ユリウスは青ざめて、あからさまに狼狽えた。
「出て行って!二度と来ないで!!」
***
シャロンの葬儀が終わると、正式に私はユリウスと婚約を破棄した。
亡くなったシャロンは妊娠していた。
そのことがシャロンの両親に更に追い討ちをかけてまい、伯爵夫人は精神のバランスを崩して入院し、伯爵はしばらくして猟銃で自殺した。
婚約破棄したユリウスは、別の令嬢と大急ぎで結婚したのだけれど、半年も経たずに乗馬中に落馬し呆気なくこの世を去った。
ジェイスンは、あの日クローゼットに身を隠した後、翌朝には姿を消していた。
「グッバイ、レディ」というメモを残して。
私はあれから彼をずっと探している。
ジェイスン·バトラーは偽名だった。私が彼の行方を探すのは、彼に私を殺して欲しいからだ。
私は自責の念に押し潰されそうになりながらも、彼に殺される日を夢見てなんとか生き長らえている。
だからまだ私の物語は完結しないのだ。
(了)




