私は殿下の恋の見張り番
今年十七歳になる同じ年の王太子殿下とはアカデミーでも学友なため、王妃様から直々に殿下の女性関係を知らせるように監視役を頼まれたのが数ヶ月前。
私ミルトン侯爵家の次女バーシアは、今日も殿下の恋を偵察中。
ローレンス殿下の婚約者である隣国の王女殿下もこのアカデミーに留学している。
互いに才色兼備なお二人の関係は良好そうだ。
両殿下のいる生徒会にも所属し、仲間を装い取り巻きに混じって観察と偵察をする日々。
殿下は品行方正な方で、悪い虫など寄り付くわけもなく、また婚約者を裏切るような不貞行為もしていないから、偵察は困難ではない···筈だったのに······、最近なぜか殿下の取り巻き達につまはじきにされているような気がしている。
殿下の取り巻きの中には私の婚約者である宰相の子息グールドが、殿下のガード役にまわっている。
「お前、なんか最近おかしいぞ」
私を呼び出したグールドは普段以上に冷たい視線を向けてきた。
政略的な婚約だとしても、少しは良好な関係になろうと努力はして来たけれども、彼との見えない壁は常にある。
彼には意中の人がいたのに婚約のために諦めさせらたという真偽不明な噂が以前からあった。
その噂が仮に嘘であったとしても私達は上手くはいっていない。
「それは、どのようなところがでしょうか?」
「殿下のまわりを嗅ぎ回れと誰かに頼まれたのか?」
「そのようなことはありません」
「じゃあなぜ殿下の傍を必要以上にウロチョロするんだ?」
私はそれほど器用ではなく、隠密行為が得意ではないけれど、それでも王妃様に頼まれているとは口が裂けても言えなかった。
「もしかして、殿下に横恋慕か?」
「は!?」
どうしてそうなるのか、あまりに予想外のことを言われ、ぽかんという表情を浮かべてしまった。
婚約者のアイスブルーの瞳には私への侮蔑と不信感が露になっていた。
「これ以上殿下のまわりをうろつくな!殿下には俺達側近がついているんだから、お前ごときが詮索するな」
ダンッ!!
私が立っていたすぐ近くの壁を叩かれて、脅すように凄まれてしまった。
男同士の付き合いに口を挟むつもりは毛頭なく、今しか経験できないこともあるのだろうから、それを邪魔する意図はないのだけれど、王妃様に報告する義務、任務がある以上、嫌な顔をされたとしても、婚約者から不興を買ったとしてもやならないわけにはゆかなかった。
それでももう引き下がるしかないのだろう。
その後すぐに生徒会からも除籍されてしまった。
自分が失態を招いたのは事実なのかもしれないけれど、婚約者と余計に気まずくなり無視されるようになった。
先日ようやく久々に会話する機会があったのに、私との婚約を見直したいとまで言われてしまった。
このままゆくと破談になってしまうかもしれない。
嘘や演技でも、殿下ではなくて婚約者のあなたともっと一緒にいたかったからとか、甘え上手な令嬢なら、男性の扱いに慣れている令嬢であれば苦もなく言える言い訳を、不器用な私は口にすることはできなかった。
もし言えたとしても、心にも無いことを言った罪悪感で自己嫌悪に陥ってしまうかもしれない。
「ああ、私って本当にダメだなあ······、何やってるのだろう······」
婚約破棄の心配よりも、王妃様に謝罪と経緯を説明しないとならないことを想像すると溜め息しか出ない。
役目を果たせず自分が情けなく、また申し訳なくて仕方がなかった。
私が殿下の偵察を任されたのにこんな状況になっているのを婚約者が知ったら、鼻で嗤うか、使えない奴だと舌打ちされるような気がする。
次期宰相候補の妻など、どんくさい自分には到底相応しくないから、いっそ婚約破棄になった方が楽になれるかもしれない。
好きでもない相手に無理に合わせたり、気に入られようと無駄に媚びる必要がなくなる方がずっと気楽で幸せだ。
王妃様宛ての書簡を送ると、労いの言葉とは別に、生徒会室に盗聴機能のある魔道具を仕掛けることで偵察の任を解くという内容の手紙が、魔道具と一緒に王宮から届けられた。
なぜ王妃様はここまで執拗に殿下のことを監視したがるのか疑問に思ったけれど、自分の最後の仕事としてやるしかなかった。
人目を忍んで盗聴の魔道具を設置しに行くと、殿下の婚約者のエリス王女と護衛騎士が生徒会室に入って来たので咄嗟に束ねられたカーテンを少し広げてその影に身を隠した。
バルコニー側の窓の、天鵞絨のたっぷりとヒダが施されたボリュームのあるカーテンは、小柄な私を上手く隠してくれた。
(今日は会合が無い日な筈なのに、王女殿下はどうして来たのだろうか?)
しばらくすると、チュッという、何かを吸い、ついばむような音、小さく喘ぐような吐息まで聞こえて来た。
(お、王女殿下、何をなさっているのですか···!?)
カーテンで隠されて姿は見えなかったけれど、王女殿下が護衛騎士に愛を囁いていたのは衝撃だった。
「イワノフ、愛しているわ」
二人はソファに座っているのか、ギシリと軋む音が部屋に響いた。
「ああ、エリス······」
護衛騎士も王女殿下の名をせつなげに呼んだ。
二人がこのような関係になったのはいつからなのだろうと思っていると、いきなり部屋のドアが開いて誰かが入って来た。
「ロ、ローレンス殿下!」
慌てふためく二人の声がした。
なんという修羅場なのかと、私はぶわりと嫌な汗が吹き出した。
(こんな演劇や小説みたいな展開が目の前で起きるなんて!)
心臓が口から出てしまうのではないかと思うほど激しくドキドキしてしまった。
「どうぞ私のことは気にせず、ごゆっくり」
殿下は鷹揚な態度でそう言うと、部屋を去った。
残された二人も無言で足早に部屋を出て行った。
指定された場所に魔道具をなんとか設置し、急いで部屋を出ようとすると、ドアの外でローレンス殿下が待ち構えていた。
「ミルトン侯爵令嬢、少しいいかな?」
「···はい」
私は殿下に促されて、出ようとした生徒会室の中に戻った。
「まさか君が母上の手先になるとはね」
「申し訳ございません」
私は洗いざらい打ち明けて謝罪した。盗聴魔道具は殿下によって回収された。
「バーシア嬢、この責任はいずれ取ってもらうよ」
「······!」
ローレンス殿下は淡いブロンドの髪を窓から射し込む夕日で紅く染め、虹色の瞳でいたずらっ子のようにフッと微笑むと、私の手を取りその甲に口づけた。
私は震え上がり、自分の人生はもう終わりだと観念した。
自邸に帰宅するとグールドから正式な婚約破棄の書簡が届いていた。
(ああ、ついに······)
予想していたとはいえ、耐え難い疲労感に襲われてアカデミーに通う気力が失せてしまった。
今はとにかく何も考えずにゆっくり休みたい·····。
体調が悪いという理由で二週間ほど休むことにした。
その間に婚約破棄の手続きを完了させた。
アカデミーに戻ると、エリス王女殿下は護衛騎士と共に帰国したと知らされた。
身内に不幸があってという理由らしかったが、それはきっと体裁を取り繕うための言い訳なのだろう。
私の婚約破棄も知れわたっていたけれど、私もグールドも平然とやり過ごした。
グールドとは別のクラスだったので頻繁に顔を合わせずに済んだのはお互いに良かったかもしれない。
半年後、グールドは別の令嬢と婚約した。多分それが例の噂の令嬢だったのか、あのグールドが満面の笑みで上機嫌だったので、やはり婚約破棄して正解だったと思った。
あの後、王妃様からもローレンス殿下からも何も音沙汰はなかった。
できるだけ静かに目立たずに卒業まで過ごし、卒業したら田舎の領地でひっそり暮らそうと思っていた。
両親もそのつもりなのか、王都から離れた田舎の領主との縁談を集めて来たので、釣書を見てはどの方にしようか迷っていた。
なるべく歳の近い人がいいとは思ったものの、なかなかおらず、ひとまわり歳上の人が最も若い人だった。
私は面食いではないので、見目にはそれほどこだわらない。それでも生理的な嫌悪はあるので、残念ながらその釣書の中で最も若い領主はどうしても好きになれない、気がすすまない相手だった。
それで結局、次に若かった十八歳上の人と会って見ることにした。
歳相応の落ち着きのある、優しげな男性で、前妻を亡くしていて、今年十歳になる長男がいた。
その長男も同席していたが、開口一番「僕は義理の母上はいらない」と拒絶されてしまった。
それでその縁談は無しになった。
この人なら会ってもいいかなと思える相手に会ってみると、なぜか断われてしまう羽目になって、私の縁談はなかなかまとまらなかった。
そうこうしているうちにアカデミーの卒業式が近くなった。
帰国していたエリス王女殿下はそのまま婚約破棄となって、護衛騎士の実家の侯爵家に降嫁することが知らされた。
また、ローレンス王太子殿下は王籍から抜けて臣籍降下することになり、第二王子殿下が新たな王太子となった。
理由はローレンス殿下の病気療養のためで、エリス王女との婚約破棄もそれが理由だという。
ローレンス殿下はアカデミーにもしばらく前から姿を見せることはなくなっていた。
明日がアカデミーの卒業式となった日、ローレンス殿下から私的なお茶会の誘いを受けた。
私はついに来たかと戦々恐々として殿下を訪ねていくと、療養中の割にはお元気そうで安心した。
多分これも対外的な言い訳なのだろうと察してはいたけれど、実際に顔を見て確信した。
「お加減はいかがでしょうか?」
お見舞いの花束を差し出して挨拶をした。
「ははは、仮病だとわかっているくせに人が悪いな」
「······礼儀ですので」
「堅苦しいのは、もういいよ」
見舞い客には信憑性を高めるために顔色が悪く見える化粧もするんだよと、化粧道具まで見せながら殿下は屈託なく笑った。
「臣籍降下するのは知っているよね?」
「はい。ですが、本当の理由は何なのですか?」
「俺は現王の息子ではなくて、先王の落胤だからさ。王子ではなくて王弟なんだ、それも庶子のね」
人払いされているとはいえ、自分が聞いていい内容なのかと驚愕した。
「王妃とは血の繋がりは無い。同時期に生まれた王妃の子は死産だったから、王宮侍女が産んだ俺を王妃は自分の子に仕立てたんだ」
「それを知っているのは···」
「王妃と乳母と君だけだよ。私の母は既に王妃によって消されている」
殿下の生母は死産の上、産後の肥立ちが悪くという体で亡きものにされたらしい。
「な、なぜわたくしなどに?」
「君に俺の妻になって欲しいからさ」
私は驚きでティーカップを落としそうになったのを堪えた。
「ご、ご冗談を···」
「いや、極めて本気だ」
「······そんな、まさか、なぜわたくしなのですか?」
「はは、そんなに驚かないで欲しいな」
これが驚かないでいられるわけが無い。
「グールドと上手くいっていないのは気がついていたよ。あいつは意中の令嬢にしか眼中になかったからな。君は淑女として申し分ないのにもったいないな、だから可哀想だと同情していたんだよ、はじめはね」
(は、はじめはって、いつからなのかしら?)
「私には次期宰相夫人は到底無理でしたから破談になって良かったと心底思っております。それは私だけでなくて、グールドにとっても良かったと思っています。あの方ならば宰相夫人として相応しいでしょうから」
グールドの想い人はひとつ歳上の才女でなおかつ美麗な令嬢、あの人ならばきっとそつなくこなせる筈だ。
それこそ適材適所だと思うし、相思相愛ならば尚更だ。
適材適所ではない夫婦は、お互いにより苦労するだろうから、それだけで不幸だと思う。
「君は自己評価が低いよね」
「いいえ、自分や相手を冷静に、客観的に見て判断しているのですわ。単なる自己卑下とかではございません」
「君は確かにグールドには似合わない。でも、そこがいいんだよ」
「私は殿下の偵察要員としてはポンコツ過ぎましたし···」
「ぷはっ、た、確かにね···」
殿下は吹き出した。
「あの日、君がカーテンの裏に隠れているのが外から丸見えだったんだよ」
「ええっ?!」
私は呆然としたと同時に赤面した。
「アカデミーで水色の髪なんて令嬢は君しかいないからね。それで、どうにも気になって生徒会室に行ってみたんだ。まさかエリス王女が逢い引きしていたとは思わなかったけどね」
「······私はそんなに不自然でしたか?」
「グールドが君が俺に気があるのではなんて言い出して驚いたけど、それは無いだろうなと思ったよ残念ながらね。君は不貞行為をするような人では無いだろうし、だから私を探るのは別の理由があるのだろうと判断した」
「私は隠密行動は向いておりません、破滅的に。王妃様は人選を間違えました」
「王妃が人選を間違えるような人でなければ、俺はとっくに消されていただろうね。あの人の詰めの甘さに感謝しなくちゃだな」
第二王子殿下に王位を譲り、臣籍降下することで暗殺対象から外れることができたと殿下は話した。
そのきっかけを作ったのも私だと語った。
あの日、生徒会室での逢い引きに気がつかなければ、婚約破棄は成立せずに嫌々王位を継ぐしかなくなっていたから、結果的に命拾いをしたのだとか。
王妃様にとって実の子が即位するまでの捨て駒でしか無いことはわかっていたから、いずれ第二王子のために消されていた筈だとか。
隣国との友好関係を崩さず、病気療養設定で平和的に婚約破棄できたのも私のお陰だと言う。
これは、怪我の功名ということになるのだろうか。
「君は王妃公認の恋の見張り番だから、今後も俺の傍にずっといてくれないとね?」
殿下になんだかんだ丸め込まれて、私は殿下と婚約を結んだ。
「君のような抜け感のある人でないと私の神経が休まらない。不貞もして寝首をかかれそうな王女では無理なんだ」
ほら見たことかとグールドはドヤったらしいのを聞いて癪にさわったけれど、殿下とはグールドよりも気が合い話も弾んで楽しい。
何よりも肩肘張らずに自分らしく振る舞えるのでとても気が楽だから、これはこれで適材適所なのかもしれない。
(了)