カムフラージュ
「早く降りていただけます?」
王宮の玄関前に到着にすると、リリアは同乗していた侍女に、突き飛ばされるように馬車を降ろされた。
「あっ···」
よろめいたリリアが体勢を整え終わる前に、馬車のドアはピシャリと閉められ侍女は降りることなくそのまま走り去った。
パチッ···
魔法による封印が解かれた微かな音がリリアに届いた。
「オルベア王国へようこそリリア様、ご案内致します」
迎え出て手を差しのべた近衛騎士がハッと息を飲んだ。
齢六十を越えるルベロワ王には、正妃の他に七人の側妃がおり、この度和平のための人質としてオルベア国にやって来る六番目の側妃だったリリアは、醜女で病弱という噂だった。
いくら王には自分の娘がいないからとはいえ、醜女の側妃を寄越すなど無礼だと誰もが思っていた。
だが、目の前に立つリリアはローズゴールドの髪に神秘の泉のような青色の瞳を持つ美姫だった。
騎士は本当にリリア様なのかという疑念が浮かんだが、恭しく手を取って歩きはじめた。
オルベア王ヘの謁見の間に通されると、淑やかに挨拶をするリリアの容貌に一同がざわついた。
「そなたがリリア殿であるか?」
「左様でございます」
リリア様が醜女という噂は嘘だったのか?
誰もが目を疑った。
リリアの美しさに見惚れて感嘆していた。
「では父上、約束通りリリア様は私のものにしてよろしいですね?」
王太子には身重の正妃と側妃が既にいるため、まだ妻帯していない第二王子の側妃にすることに内々に決まっていた。
リリアは驚いて第二王子を見つめた。
第二王子は、長身で藍色の髪と黄金の瞳の精悍な王太子とは違って、小柄で童顔、金髪緑目の丸顔ではあるがその鋭い眼光が野心家を思わせる男だった。
「リリア殿、そういうことでよろしく頼む」
「かしこまりました」
リリアは第二王子ステファンに連れられて謁見の間を後にした。
***
王太子フィリップは、第二王子の侍女からリリア様の悲鳴がすると報告を受け、急いで異母弟の居室に向かった。
部屋へ入ると、リリアが全裸でオブジェのように立たされていた。
ローズゴールドの長い髪によって彼女の大切な部分は隠されていたが、女神の彫刻のような裸身に、王太子は目のやり場に困り内心狼狽えた。
「リリア殿、服を着て下さい」
目を背けながらフィリップは自分の上着をリリアに素早く手渡した。
「ありがとうございます、ですが、ステファン殿下が······」
リリアの、受け取ったものを着るに着れずに困ったように恥じらう姿に、思わず目が奪われた。
「兄上、邪魔をしないでいただけますか」
「お前、なぜこんな無体を!」
「罰を与えているのですよ」
「罰だと?」
「ええ、リリア様は嘘つきですからね。ルベロワ王家を騙したように、我が王家も騙そうとしたのですよ」
「どういうことだ?」
パチンとステファンは指を鳴らすと、リリアはたちまち貧相な醜女の姿に変わった。
不健康そうな痩せぎすのため、騙すつもりはなくても病弱だと周囲に勝手に思われていただけだった。
その分、ルベロワでは不遇の扱いを受けて来た。
「ルベロワでは醜女でいたのに、なぜこの国では美姫なのでしょうね? 私は見たのですよ、馬車から降りた途端に姿が変わったのを」
「······!」
フィリップは困惑した。
「わ、私は魔法は使えません。ルベロワに行く前に魔術師によって魔法をかけられたのです」
「何のために?」
「それは······好色なルベロワ王のお手つきにならないためです」
リリアは三年前、十四の時にルベロワへ行くことになったが、自分と同年代の若い側妃を王は寵愛していた。
もっと幼い者にも王は手を出すことを自国にいた時から聞いていたため、王家はリリアを慮り魔法を施して嫁がせたのだ。
「ハッ、この国ではお手つきになっても構わないと?随分都合が良いね。ルベロワを騙したのは事実で、その魔法が解けなかったら私達も騙すつもりだったのだから、不敬極まりない」
「···も、申し訳ございません、私は自分では魔法を解けないのです。故意にオルベアを騙そうとしたわけではありません」
リリアの相貌は蒼白になった。
「だからルベロワ王の分も含めて、私が罰を与えているのですよ。こんな信用ならない女を妃にはしたくありませんしね」
ステファンは再び指を鳴らすと、リリアは美姫の姿に戻った。
「だとしても、ルベロワでのことなどこちらは預かり知らぬことだ。こちらに危害がなければそれでいいではないか。今の姿がリリア殿の正体ならば、もうそれで良いだろう」
年端のいかない娘にも手を出す不埒な王から身を守ろうとするのは、むしろ賢いことだとフィリップは評価した。
「おやおや、兄上は随分お優しいのですね」
「···とにかくなるべく丁重にな。リリア殿ももしまた無体なことをされたら遠慮なく言ってくれ。ではな」
苦々しい表情を浮かべてフィリップは部屋を立ち去った。
その後もステファンはリリアを言葉で貶め、精神を追い詰めるような行為をしていると報告されたフィリップは、異母弟の愚行に我慢ならずに、リリアを自分が預かり保護するために向かう途中でそれは起きた。
「きゃぁぁ、リリア様!」
侍女らの悲鳴が響くと、窓ガラスが割れる音の後に木がバキバキと折れて行くような音が続いた。
咄嗟に窓の外を覗いたフィリップに、リリアが木をへし折りながら落ちていく光景が目に入った。
魔法で助けようとした瞬間、目を開けていられないほどのまばゆい閃光が走った。
『許さぬ!』
王城が地鳴りと共に激しく揺れ、先ほどの閃光が収まると、リリアを抱き抱えるリリアそっくりの美姫が空中にいた。
『よくも私のリリアを』
彼女が指を鳴らすとビリビリと振動し、立っていることができずに、皆がその場にひれ伏した。
「リリア殿!」
フィリップが心配してそう叫ぶと、魔法陣を展開したリリアにそっくりの姫は、フィリップの首根っこを掴むと王のところへ一緒に転移した。
「こっ、これはどういうことだ?」
驚愕し逃げようとしているオルベア王の前に、リリア似の姫が立ちはだかった。
リリアはフィリップに抱き抱えられ、既に治癒魔法で手当が施されていた。
「私はリリアの姉、レナン王国の第一王女イリアだ」
「イリア殿下だと!?」
レナン王国は、代々女王が治めている。その次代の女王がイリアだ。
半壊した城の王の間に王族らが集められた。
「友好のための人質にここまで無体を働く国は許さぬ。よって本日只今より、この国は私が統治する」
「そっ、そんな···!」
「文句がある者は、前に出よ。まずその前に、我が妹リリアを窓から突き落とした王子はどこだ?」
ヒッと怯む声がする方を睨むと、その場に凍りついたステファンがいた。
「お前だな」
「まっ、魔法を本当にリリア殿が使えないのか試しただけだ」
魔法が使えるのならば、窓から落とされたとしても無事な筈、本当に使え無いならすんでのところで助ければ済むとステファンは思ってやったことだった。
言葉で相手をネチネチ責めて追い詰めるのは元々の彼の嗜虐性癖からだ。
彼はこれまでも侍女を言葉で追い詰め何人も辞めさせていた。
「私の可愛いリリアは魔法が使えぬ。双子であるのに、理不尽なことだ。だから私が醜女に仕立てる魔法で守ってやったのだ。その魔法を解いたのもこの私だ」
「ば、馬鹿な、こんなに離れているのに遠隔で魔法を解いただと?」
オルベアの王族で最も強い魔力を持つのはステファンだったが、そんなステファンが足元にも及ばないほどの、規格外の魔力をイリアが有しているのは、今の王城の惨状を見れば間違いなかった。
「すべてお見通しさ。ルベリアでのことも全部な」
「そっ、そんな······」
「こちらが周辺国や同盟国に対して、あえて下手に出て来たというのに、自国が占領や支配されないとわからないのであろうか?私ならこの国のひとつやふたつ、この指だけで滅ぼせるというのにな」
イリアはローズゴールドの髪を煩わしげに後ろに払い退けながら、呆れたように溜め息をついた。
「イリア殿下は、そっ、その、繊細なご性質で引きこもりがち、滅多に表に姿を見せないと······」
宰相が恐る恐る声をあげた。
「ふはは、それは外交的な設定というものだよ」
どこの国も程度の差はあれど、自国の王族のイメージ戦略、保護的な目的からカムフラージュを用いることはあるのだ。
これも情報戦というもののひとつだ。
「さて、そういうことで、陛下は退位し王太子殿下に即位いただこう。ステファン殿は王籍から抜け、王太子妃と共に国外追放を言い渡す」
「な、なぜわたくしまで?!」
王太子妃は異議を唱えたが、イリアは一笑に付した。
「待って下さい、なぜ妃まで?」
フィリップが慌てて尋ねたので、仕方なくイリアは告げた。
「腹の子はステファンの子であろうからな。ステファンにそっくりの子が生まれるだろうな」
「なっ···」
フィリップが妃の方を向くと、妃は狼狽えながら震えている。
「まさか······本当なのか?」
妃は無言で下を向いている。
「それとな、お前の側妃もステファンのお手つきだぞ」
側妃はその場で気絶して倒れた。
「言ったではないか、私はすべてお見通しだと」
イリアの言葉に退路を失い、ステファンはその場に崩れ落ちた。
「その点、リリアの純潔は私が保証する。だから王太子殿下、どうか妹を娶ってはくれぬだろうか?それならばこの国は貴殿にお返ししよう」
怒涛の断罪の後、改めてオルベアとレナンの同盟が結ばれた。
ほどなくルベロワ王は病に倒れたが回復の兆しが見られず、王太子が即位した。
フィリップ王に嫁いだ貞淑な美姫リリアは誠実な王に寵愛され生涯を幸せに暮らしたのだった。
リリアの姉イリアは、即位後も繊細な深窓の女王という評判を貫いた。
(了)