許されたくて、墜ちました
闇墜ちしている方はスルーして下さいませ。
「あなたみたいな人は、生まれて来てはいけない」とか「生きてちゃいけない」
とまで言われてしまった。
僕はどうも反省というものをできないようだ。
そして、やられたら絶対に反撃せずにはいられない質だから、歯止めがきかずにやり過ぎてしまうみたいだ。
それが執拗であまりにも残酷だから、あなたみたいな人は生きてちゃいけないとか言われてしまうのだ。
僕は瞬間湯沸かし器のように、自分の衝動を抑えることができない。
本当はもっと付き合いたかった人や、仲良くしたい相手にまでそれをやってしまうから、後悔した時は手遅れだったりする。
それに人に謝ることがどうしてもできない。
今謝らないと関係が悪化する、関係が壊れてしまうというのに、それでも頑として謝ることができなかった。
謝らずに済む理論武装に徹し、とにかく自己正当化すること、何が何でも責任逃れをすることに振り切った。
「信じられない!」「ありえない」「異常」「キチガイ」と、よく言われて、人は去って行った。
本当は僕が好意を寄せていた人も、一緒にいたかった相手にも愛想尽かされて去られた。
「二度と会いたくない」「未来永劫関わりたくない」とまで捨て台詞を浴びせられたこともある。
僕はそこまで悪いのか?それが自覚できない、いや、自覚するのが怖いんだ。
以前はそれでもまだごり押ししようとして余計に嫌われていたけど、アラサーになってから、これでは不味いかもしれないと思って、前よりは引き下がることを覚えた。
上手くいかないならば、自分から相手にさよならするようにすればいいのだと、やっと気がついた。
こんな僕の今までの被害者は、死屍累々。
ごめんなさいとは思ってはいるけど、絶縁されてしまっているから、もう謝罪をすることすらできない。
僕は過去の自分を、自分というこんなポンコツな存在を、どうかそれでも許して欲しいのだ。
認めて欲しいなんて思いはしないから、ただ許して欲しい、許されたいだけ。
僕は同情よりも共感の方がいい。
スピリチュアルとかでも変に同情されるのは好まないし、嘘や演技はいらない。
自己憐憫はそれ程無いから。
同じ傷をなめ合うようなものは気持ちが悪い。
絡めとり、繋ぎ止めようとするものが多いよね。
まあ、それも金蔓だからね。
カウンセラーやセラピスト自身がちゃんと癒やされていない人も多いんだ。
クライアントなんかよりも、自分がもっと癒やされたい、自分がもっと誰かに認められたい人も多いんだよ。
それでも需要と供給が合致すれば、共依存状態でも成り立っていく。
宗教なんかもそうなのかもね。
僕は、人が好きなのか嫌いなのか、もうよくわからない。
きっとそれ程好きではないのかもしれない。
僕は、多分自分自身が誰よりも好きなんじゃないかな。
僕に纏わりつく女も、承認欲求の塊のようでとにかくうざい。
人は自分の鏡だとか言うけど、自分はそれほど承認欲求はないつもりだ。
承認欲求の強い相手を愛することで、自己投影、自己を愛する裏返しという状態でしかないならば、意味は無い。
そんなことでは、僕は満たされないから。
自分が愛されたいから、自分に繋ぎとめたいから相手に愛していると言うのは、それは自己愛でしかない。
本当は愛してもいない癖にね。
そういう欺瞞を見ると反吐が出る。
そういう奴が最も嫌いだ。
僕はこんなだけど、自己愛はそれなりにある。
きっとそれがあるから、まだ死なずにいるんだろうね。
自己愛がなかったら、とっくに死んでいると思う。
許されたいから、まだ生きている。
「自分を自分で許しましょう」
そんなことを言うスピリチュアルってなんなんだろう。
このように、この星を滅亡させた自分を、どうやって許すの?
制御不能な自分がどうして許されるの?
例え神や天使が許しても、人は誰も僕を許しはしないだろう。
悪魔が「それでいい」と囁く。
「それこそが人間だ」
人に許されない僕は、悪魔の許しで闇に墜ちた。
いや、もうとっくに墜ちていたのか。
ずっと長い間、魑魅魍魎が蠢く三千世界に、それでもまだ絶望を見いだせないでいたんだ。
なぜ僕はそれでも許されたいと思うのだろう。
それが、自分が生きてゆく希望であり続けるのか?
そんな僕に、茫漠たる闇は沈黙したまま何も語らない。
(了)