ロニー式
夢は異世界、別の次元、別の世界線へ自由に行き来しているのかもしれない。
私はふと気がつくと、知らない年配の男性の事務所で事務員をしていた。
老若の社員が映画撮影スタッフだと知ったのはつい最近のこと。
古びた建物に年季の入った机と椅子、黒板のある職場に燻し銀のような面々。
そのせいか、部屋全体が古いフイルムを透かして見ているような、うっすらとセピア色がかかった世界に見える。
部屋の灯りもつけずに多少薄暗くても自然光で生活していて、外との明るさのギャップで穴蔵にいるように錯覚してしまうこともある。
でもどこか懐かしいものを感じて、私は案外ここが好きだ。
今日は薄曇りで、午後からは雨が降りそうな気配。
お茶を淹れて配ると、みな一斉に眼鏡を外して「ふうっ」と寛ぐ。
ずずずっと茶を全員が啜る音に最初は驚いてしまったけれど、それにもすぐに慣れた。
ここは時々、時間が止まってしまっているのではないか、そんな感覚になる。
時間ではなくて、時代そのものが違うような気がする。
社内の電話は黒電話、誰も携帯を待っておらず、パソコンも一台もない。
そういえば、先ほど郵便を出しに行った時に気がついたけれど、電信柱が木製なの。
舗装されている道もわずかしかない。
走っている車もなんだかクラシックだ。
田舎ではなくてここは都内なのに、これはいつの時代なのだろう?
今日まで何の疑問もなく生きてきた私。
午後になると、シトシト雨が降りだした。
みな蛍光灯の灯りを嫌うため、部屋はいつもよりも暗い。
手元にはガリ版、私は古めかしい事務服を着て腕にはアームカバーをしている。
バイクが事務所の下に止まり、誰かが外階段をカンカンと音を立てて駆け上がって来る。
ピンポーンというインターホンの音をここの人達は嫌うため切ってある。
コンコンコンと玄関をノックされて、私が応対に出る。
「大変お待たせしました、どうぞ先生にお渡しください」
雨に濡れながら配達の青年は私にビニール袋に包まれた箱を手渡した。
箱はタバコ1ダースほどの大きさだ。
青年の着衣を見ると、ここは一体いつの時代だろうと思ってしまう。
映画などで見る、まるで戦前の人みたいな格好だからだ。
「先生、これを」
「なんて書いてあるかね?」
皺だらけの先生は眼鏡を白髪の頭の上に乗せた。
「ロニー式と書いてあります」
ビニール越しに見える箱にはそう記載されてあった。
ただ不思議なことに、その下に書いてある文字がどうしても読めない。
日本語でくっきりはっきり記載されているのに、まるで何かに阻害されているかのように頭に入って来ないのだ。
「やっと撮影再開ですね!監督!」
部屋は歓喜でどよめいた。
何年も滞っていた作品の撮影がこれでできるということらしい。
専門的なことはわからないが、ロニー式とは何かの備品だろうか。
私はビニール袋から箱を取り出して、先生に恭しく手渡した。
「フッ、そういえば、これはいつも奥さんの役だったよね」
古参の社員が私の姿を眺めながら言う。
先生は三年前に奥様を亡くされていた。
そうだったのね、と納得している私がいる。
「ロニー式っていうのは、何ですか?」
初めて聞いたので質問をした。
「撮影方式ではなくて、再生方式さ」
「撮影されたものを、見る時に使うものだ」
監督拘りの再生方法があるらしい。
その方式で再生できるならば、残りのシーンを撮ろうということなのだとか。
若い撮影スタッフが「これってレアなんすよね、今は先生しかいないですよね」
腕組をしながら私に教えてくれた。
『とろとろ走る馬車の如くなスピードで再生』
その説明を聞いて吹き出しそうになってしまった。
な、何ですかそれは······?
驚いていると、部屋の角から炎が立って、くるりとめくれるように、今まで見ていた世界が消え落ちた。
何年も、何十年もその世界にいた感覚、その時代に生きていた感覚が生々しい。
夢ではなくて、私はそこで生きて生活していたという記憶が、戻って来たこの世界よりも強い。
ロニー式をネットで調べても何も出て来ない。
映画撮影で使用されるローニン式というのは出てきたけれど、私はそれを全く知らなかった。
私の感覚では、ロニー式は最新鋭のものではなくて、アンティークなもの。
それは私のいたあの世界にしかないものなのだ。
私はロニー式で映画が上映される世界に旅をしたくて仕方がない。
そして先生達と、あの薄暗い部屋の中でお茶を啜り合いたい。
(了)




