亡き令嬢のつぶやき
アネット·スーン伯爵令嬢は、姉の代わりにヒルマン侯爵家へ嫁いだ。
直前まで姉ロバータが嫁ぐ筈だったが、結婚相手に熱愛中の恋人がいるのが発覚し、嫁ぐ気が失せた姉は前日に行方をくらました。
ここまで来て破談にできなかったので、妹であるアネットが急遽嫁ぐことになった。
先方に姉でも妹でもどちらでも構わないと言われたからだ。
単なる政略でしかない婚姻、しかも身代わりに嫁いだ娘など、侯爵令息にとってどうでもいい存在だった。
式も無表情で挙げた後、自分には愛する相手がいるのでと、初夜もなく、アネットは離れに住まわされた。
食事も一人で取り、侍女以外は誰もやって来ない。
一月、二月と日が経つにつれて、侍女らは仕事を怠けるようになり、掃除の手を抜き、三度の食事も二度になって行った。
アネットが文句を言わないのをいいことに、更に手抜きは進み、掃除や洗濯の頻度は減り、食事も1日一食になって行った。
夫は一度も顔を見せず、妻に全く関心が無いため、この窮状を夫に訴えることがアネットにはできなかった。
実家への手紙も止められてしまい知らせることもできない。
侍女を呼ぶためのベルを何度鳴らしてもなしのつぶて。
ドアを開けて侍女を呼んでも、みな知らん顔でやって来ることはない。
(ふう、困ったわ······)
簡単な掃除やベッドメイキングは自分で済ませ、下着や夜着などの洗濯は風呂でしてバルコニーで目立たないように干した。
離れの庭にある木の実や食べられる野草を探して餓えをしのいだ。
本を読むことと庭の散歩だけが自分の慰めだった。
アネットが自ら掃除や洗濯をする姿を見て侍女達は嘲笑うだけで、改めようとはしなかった。
ある日、部屋のドアを外から鍵を掛けられてしまい、部屋の外に出ることができなくなった。
これでは侯爵家から逃げ出すことすらできない。
灯り用の蝋燭が底をつきても補充もないから、夜明けと共に起き、日没と共に床に入る生活を余儀なくされた。
1日一食が3日に一食になり、体力も気力も奪われて、掃除や洗濯、散歩すらままならなくなって来た。
判断力や思考力も落ちていく。
ここは、まるで私の死が待たれる部屋だ。
助けてと言えば、助けてもらえるのだろうか?
泣き叫んだら、このドアを開いてくれるの?
狂ったように呼び鈴を鳴らし続ければ、誰かやって来てくれるのだろうか?
アネットにはもうそうする余力が残っていなかった。
コルセットが必要無いほど痩せた体に花嫁衣裳をやっとの思いで纏い、震える手で窓を開け、裸足で庭に出た。
座るのに丁度良い木陰をめざして、ドレスの裾を汚しながら、よろよろと少しずつ進んだ。
『今日は死ぬのにもってこいの日』
アネットは今日がそんな日のような気がしていた。
このままベッドの上で衰弱しながら死を待つのか、それとも思いきって外で力尽きるのかをアネットは悩んだ。
そんな時、たまたま読んだネイティブアメリカンの書籍の中で出会った言葉に、心を鷲掴みにされた。
『 今日は死ぬのにもってこいの日』だなんて、なんて素敵な言葉だろうと。
その日から、アネットは自分で死ぬ日を探りはじめた。
自分が力尽きるのはもうすぐだと感じたからこそ、ベッドの上ではなくて、陽の光を浴び、風に吹かれる外で最期を迎えたいと思った。
いつもよりも明るい紅を引き、ヴェールも被って一歩一歩を噛みしめて歩く。
体力が落ちているから、進むのは楽ではなかったけれど、なんとか転ばずに木陰までたどり着いた。
木に背をもたれて腰を下ろすと、息が上がっていた。
(あっ、いけない窓を閉めるのを忘れてしまったわ······)
外に出るのに夢中ですっかり忘れていた。
窓を開け放した部屋のカーテンが風で大きくはためいているのが目に入った。
久しぶりの陽射したっぷりの外はとても心地よかった。
(······やっぱり部屋を出て来て良かった )
アネットは陽の煌めき、草木の香り、鳥の囀りを存分に味わった。
***
「きゃあああああ、だっ、誰かぁ!」
陽が傾いて来た頃、庭の木陰にいるアネットの傍で若い侍女が腰を抜かして叫んだ。
「あっ、あぐっ······アネット様が死んでいます······!」
アネットは嫁ぐ際に従者と護衛騎士は連れて来なかった。
必要無いと侯爵家に言われていたからだ。
もし連れて来ていたら、もう少し自分の立場や状況は違っていたかもしれないとアネットは思った。
(ごめんなさいね、私の遺体の第一発見者にしてしまって)
まだ若い新人の侍女が泣きじゃくっている。
私の遺体を担架に乗せて部屋まで運ぶと、花嫁衣裳のまま棺に納められた。
皆さんのお手を煩わせずに済んだわ。
夜着から死装束に着替えさせたら、不快になって皆さんから悪態をつかれてしまいそうだったから。
「どっ、どうしてこんなことに······」
侍女の皆さんが焦ってそんなことを言っていたから、私は呆れてしまったのよ。
だってあんな食事の状態だったら、早かれ遅かれこうなることなんてわかっていたわよね。
知らなかったとか、気がつかなったなんて白々しい。
侍女達はみな責任の擦り付け合いを血眼になってしていた。
自分のせいじゃないとか、あなたがちゃんとやらなかったからとか。
それって全員の責任なのにね。
棺に納められてから、私の旦那様がようやくやって来た。
「衰弱死だと!? いつから臥していたのだ?」
まあ! 結婚式ぶりに旦那様の顔を見たわ。よく見るとやっぱりお姉様好みの美形ね。
私よりも数倍は美しいお姉様が嫁いでいたら、もう少し違っていたのかしら?
「なぜ、こうなる前に私に誰も教えなかったのか!」
だってあなたは恋人に夢中で、私に興味も関心もゼロでしたからね。
享年17歳、嫁いで半年足らずで私は亡くなったけれど、侯爵家の体面を保つために、死因は病死ではなくて事故死にされた。
全く、貴族ってどうしょうも無いわね!
それから侯爵家では、私の幽霊が出るとか勝手な噂が流れるようになったのよ。
本当に失礼しちゃうわ!
幽霊を見たと思って怯えて泣くとか、すみませんすみませんと謝る侍女達に怒りが込み上げたわ。
死んでからいくら謝ったって遅いのよ!
反省とか謝罪は、相手が生きているうちにしないとダメなのよ。
後悔したくないなら、罪の意識を持ちたくないなら、はじめから嫌がらせなんかしなければいいだけよ。
本当にみんな頭が悪いんだから、もう!
別の婚約者を見つけたお姉様は、葬儀の時に自分がここに嫁がなくて良かったなんて言っているし······。
人はみんな勝手過ぎるわ。
私は苛立ちと怒りでわなわなしていたら、私のプラチナブロンドの遺髪を握りしめて慟哭している護衛騎士の姿に気がついた。
エヴァン、あなたを連れて嫁げば良かったわ。
私は泣いている彼をそっと抱き締めた。
実体が無いから触れられないのはわかっていたけど。
そこへ天使が私を迎えにやって来た。
「よく侍女らを呪わずにいられましたね」
「いちいち誰かを呪うなんて時間とエネルギーの無駄使いよ」
私の幽霊だと怯えるとか、呪いだとか思いたいなら、勝手にどうぞ。
私が呪わなくたってそのうち自滅するでしょうから。
「次はエヴァンと結ばれるコースを用意してあげますね」
「よろしく!」
私は天使に連れられて、ばびゅーんと天界へ昇りましたとさ。
(了)