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自分で自分を愛したいなら

「あぁ、可愛いそぅ」


最近17キロの減量に成功したと、やたらドヤッている3歳下の後輩が、私を見てそう言った。


そりやぁ、ぽっちゃりしてますよ私はね。


自分が痩せたからと言って、他人にそういう発言をする、しかも年長者にするってどうなのか?


自分は「痩せた」と言う勝利の美酒に酔いまくっているのかもしれないけれど、その態度はどうかと思うわ。


承認欲求の強い人は、他者に対して失礼な人が多いと思うし、差別的なのよね。


彼女は痩せたかもしれないけれど、美しさはない。

今まで彼女を不細工とか太っているとかも一度も思ったこともない。


それなのにその発言で、彼女は美しくないと逆に思えてしまったわ。


しかも心までも美しくないというのをその発言で周囲に証明してしまったわけよね。


「あの子ちょっと調子に乗り過ぎよ」

「気にすることないよ」


なんて周りも慰めてくれるけど。


いくら嬉しくてハイになっていたからと言って、言っていいことと悪いことはあるわ。


そもそも、彼女が太っていようが痩せようが私にはどうでもいいことで、全く関係ない。


私が太っていようが痩せていようが、その人にも1ミリも関係ないのよ。


多分同僚先輩後輩達もみなそういうものよ。


彼女はそこをまるで理解していないのよね。


太っていることがダメならば、それは過去の自分を自分で全否定しているわけで、自分のことを自分で認めていないということよね。


彼女にとって長年のコンプレックスだったのかもしれないけど、そのコンプレックスが解消したら、今度は過去の自分のような人を下に見る、差別してマウントを取るなんて最低だと思うわ。


じゃあ、その人は結婚してできた子どもがもしもかつての自分のように太ってしまったら、その子を全否定するのかしら?


こんな醜い子を産んだ覚えはないとか、こんな子は私の子ではないとか思ってしまうのかしらね?


太いままなら、愛さず、虐げるのかしら?


自分の子どもなのに?



女は美人じゃなくちゃとか、イケメンしか好きになれないとかも、それは好みとか以前にルッキズムに侵されて、洗脳されているだけかもしれないわよね。


身体的、外見的コンプレックスなんて、捉え方の問題であって、美人で痩せていないと価値がないと言う洗脳の奴隷なだけなんじゃないなのかな。


コンプレックスから自由になるには、社会的な洗脳から自由になればいいだけのこともあるのにね。


痩せている人から見れば私は太っているのは事実だけれど、私はそこにコンプレックスは無いのよね。


だってそんなの人それぞれでしょ?


私が太っていることで、あなたに迷惑をかけてもいないのに、なぜ私が太いことを恥じなければならないの?


私はこれでも彼氏はいるし、もうすぐ婚約する予定でいる。

太っていることで困っているわけでもない。


私を見下してくるような人はコンプレックスと、ルッキズムという洗脳から自由になっていないのよ。


また、同じような体型をしている人を側においておくことで自分だけが太っていることを目立たなくするとか、自分を細い人に見せるために、引き立て役としてあえて太い人ばかりと付き合うような打算的な人もいる。


そのような人は他の部分も自己中だから、人に好かれてはいないものよね。

だから本当の友人や仲間もいない。


見下せる人を常に自分の側においていないと安心できない


そんな人は、人としては下の下の人なのよね。


始終他人と自分を比べて勝ち負けでしか判断しない、そんな人が近くや周りにいると本当に迷惑よね。


承認欲求モンスターは自分には甘いから、まあ治らないわね。


承認欲求モンスターは、大抵ルッキズムの権化よ。


社会的洗脳だらけのハリボテみたいな人が多いのよね。


いつも痩せていなくちゃ、太っていてはダメ


それは強迫観念でしか無いし、劣化や老化を異様に恐れるアンチエイジング狂いと同じよね。


誰でも老けるよりは若々しい方が良いでしょうけれど、不自然の極みみたいな痛々しさだと、逆効果になるような気がするわ。


そんな人の側にいたいとは思えないし。



不細工だろうと美人だろうと、自分は自分。


細かろうが太かろうが、自分は自分。


チビだろうがノッポだろうが自分は自分。


そこに自己卑下も、傷つくことも必要ない。


過剰な自信ももちろん必要ない。


そんなの、ただ太いか細いかという状態の違いでしかない。

そこに価値も意味もないのに、比べてドヤる方がおかしいわけで。


だから本当に賢い人はそんなことはしないだろうね。


ルッキズムに洗脳されて、無駄に傷つくことはないのよね。

それにルッキズムという洗脳は人をお互いに傷つけることしかしないものよね。


洗脳されやすい人は、承認欲求が強すぎるのよね。


その洗脳にどっぷり浸かっていると、焼け石に水、いつも内心びくびくで、自信のなさで他者を攻撃する嫌な人に成り下がるだけだ。


私を「可愛いそう」と言って見下して来た人は、その後バーベルをやるようになって男性社員達からはドン引きされていたわ。


別にバーベル自体が悪いわけでは全く無いのだけれど、あなたがそれをやったら······。


ゴリラという影口を言われてしまっている。


影口自体それも良くないものだし、もう少し女らしいもので体型維持すれば良いのに···。


女らしさとかもルッキズムと言えばそうだけど、なぜ逆張りのようなことをするのだろうか。


逆張りする人も超絶承認欲求の強い人なのよね。


ルッキズムなくせに客観性が無いのよね。


痩せてモテるためだったら、客観性は必要だ。


その後、バーベルの大会に出て賞を取るとかしたみたいだから、その努力自体は凄いとは思うわ。


でもその方向性は本当にそれでいいの?


バーベル女子は少ないから、人のやらないことをして目立つというコースを選択したのかもしれないけど。


まあ、またそれでドヤっていたけれどね。


常に人から注目を受けたい、称賛されたいという欲望はキリが無い。


何でもいいから、とにかく誰かにドヤれる自分でいたくて仕方がない


人に凄いって言われないと満足できない


見下せる相手がいないと自分を保てない


男女に関係なくそのような人はいるものだけれど、それはもう病気よね。


『人は誰しも承認欲求を持っているものだ』


ということで度を越えた行為ばかりしても、それを言い訳して自己正当化していると、周りには人がいなくなるものではないのかな。


見下していた相手が成功したり、自分よりも高い地位を得たり、良い思いをするのが我慢できない


そんな人が増えてしまうと、より生きにくい世の中になってしまうわ。


自分で自分を認めるのに


あの人に勝てたからとか、あの人よりも自分が上になれたからということでしか自分を自分で認めることができない人は


永遠に自分を自分で認めることができない人よね。


そういう人は、自分で自分を満たせない。


そのままだと他者にとって脅威になるのよね。


だって、そのような人は他者を犠牲にしないといられないからよ。


友人や恋人、家族や自分の子どもすら犠牲にしてしまうから。


コンプレックスから自由になるには、自分が様々な洗脳に打ち勝つしかないわ。


他者に自分を張って見せるとか示すのではなくて、自分自身の中に張り、自分自身に示すものなのよね。


そこに他人は必要ないのよ。



「あなたって、本当に我関せずよね」


だって、本当に私に1ミリも関係ないんだもの。


私は自分で自分を愛せているし、いちいち誰かを頼らなきゃ、自分を保てないような人ではないので。


彼氏曰く、「君のそういうところが好き」だそうだ。


私もそれで良いと満足している。


たとえ今彼氏がいなくても、彼氏にそんなことを言われなくても、私は自分でそう思うことは確実だ。



(了)

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