愛なき世界に生まれたとしても
人間の皮を被った獣、魑魅魍魎が跋扈するこの世界は、愛がない世界に思えてしまう。
自分の欲望を満たすための口実に愛という言葉を都合良く口にしているだけだ。
こんな世界でも、どうか優しく愛を持って生きて欲しくて、愛娘にリタという名をつけた。
その名前は光、輝くもの、真珠、利他という様々な国の言語でそんな意味を持つ。
どれも素敵な意味だったから、これがいい、これにしようと瞬時に決めた。
リタは酈太という漢字を当てた。
「パパの馬鹿!」
小学二年生になった娘は、自分の名前の漢字が難しいこと、習字で書くのに悪戦苦闘している不満をわたしにぶつけてくる。
幼稚園や小一の頃は、「もりなりた」とひらがなで済んでいたが、ひらがなでも、「もり」で区切られて「なりた」が名前かと誤解されることが多く、男の子かとよく間違えられていた。
「わたし、男の子じゃないもん!」
その度に「リタはこんな名前はヤダ!」とごねていた。
その対策として、記名する時は「もりな·りた」と、姓と名の間にとにかくテンを挟むようにした。
それでも男子達には「もりなてんりた」とからかわれるらしかった。
杜那酈太、確かに小学生には読みにくく書きにくいのはわかった。
わたしはそこまで考えてはいなかった。
遅くに結婚し、待ち望んでやっと出来た我が子に、余りに想いが強すぎて力が入り過ぎたのだろうか······。
「書きにくいのは今だけさ。大人になったら平気になるよ」
「おとなって何歳? あと何年?」
リタの苛立ちは消えそうにない。
名前のことになるとリタの機嫌が悪くなるのが常だ。
中学生になると今度は「こいつ、中国人みたいな名前だよな」と言われるとぼやくようなった。
この頃になると、「人の名前に、いちいちうるさい!」「放っておいてよ!」「わたしは日本人だ、バーカ!」と、からかう男子には反撃するようになったらしい。
我が娘は、なかなか勇ましく頼もしい。
が、そんな娘は「こんな名前をつけたパパは大っ嫌い!!」と距離を置かれてしまい、わたしはしゅんとするしかない。
そんな時には、
♪愛なき時代に生きてるわけじゃない、優しくなりたい···♪
という、某歌唄いの歌詞が深く刺さるのだった。
愛を失った世界、愛の無い世代とかは、
それはわたしの勝手な思い過ごし、幻想にすぎないのだろうか?
そんな娘とのジェネレーションギャップに自信を失くしていた最中に、妻から「好きな人ができたから別れて欲しい」と言われてしまった。
「酈太はどうするんだ?」
「私、妊娠しているの。悪いけど、あの娘はあなたが面倒見てちょうだい」
リタは母と暮らしたいとごねたが、義父とは一緒に暮らしたくはなかったらしく、仕方なくわたしの元に残った。
「ねえ、パパってさぁ、ママのこと愛してたの?」
若い頃の元妻の容貌に似てきた娘にそれを問われるとは······。
「愛していないのに、結婚なんかできないよ」
リタは結婚した理由やなれそめを根掘り葉掘り聞きたがった。
「酈太はパパのことは、義父よりも全然好きだよ。だってあの人、他人だし。それに、パパはママよりも愛はあるし······」
リタはそう言うと涙をこぼし、手の甲で拭った。
「ママはこの人を愛してるの、もうどうしようもないのよ。あなたはもう大きいのだからわかって」
そう言ってリタは母に同居を拒まれていた。
「ママの産む子が弟も妹でも、きっと愛せないかも······」
妻が自分よりもお腹の子を選んだことがリタには相当ショックだっだらしい。
「·····まあ、無理に愛さなくてもいいんだぞ。血は繋がっていても、他人みたいなものだからな」
「パパがつけてくれたこの名前、凄く愛が込もってるよね。子どもの時は気がつけなかったけど」
リタはネットで自分の名前を調べたのだという。
「わかってくれて嬉しいよ。ママは反対したんだけどね」
「ママは、わたしをどんな名前にしようと思っていたの?」
リタは自分につけられていたかもしれない名前候補を聞いて吹き出した。
「キラキラネーム! ママの方がヤバいよ」
「だろう?」
「うん、わたしは酈太で良かったよ」
家事を二人で協力するようになって、リタとわたしの関係性は随分良くなった。
わたしの作る料理のレパートリーも増えて来た。
娘が懸命に作ってくれる料理を食べることができる、それはなんと幸福、口福なことか。
わたしは娘との暮らしを満喫しはじめている。
元妻が出産し、リタにメールを写真付きで送って来たのを、わたしに朗らかに笑いながら教えてくれた。
男の子で、名前ももう決まったらしい。
「プッ、もう、ママって本当に名付けのセンスがないよね」
(了)




