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呪うよりも祝う

不幸にも親ガチャ、毒親に育てられてしまうと、自分の結婚や恋愛に前向きなれない、怖れすら感じてしまい二の足を踏むような状態になってしまうこともある。


自己肯定感が低いとか、全てにおいて自分に自信を持てないという悪影響を受けてしまうこともあるのは周知の事実だ。


これ以上毒親に翻弄されないように、精神的に自立し、自分は親のような人間はならないという決意をしてゆくこと、毒親を反面教師として行けるならば、自分の望む状態や未来を得ることは可能になる筈。


毒親と毒親に蹂躙された自分を憐れみ呪うよりも、どうすれば自分を幸せにできるのかを主眼にして行動することは、それは祝いになると思う。


他者に害になる人は、被害者意識満載で、自分の親や不幸な生い立ちを憎み、自己憐憫に取りつかれていて、自分を救い出してもらう相手に丸投げで要求や依存しかしないような人達だ。


自分に優しくしてくれないとか、自分を助けてくれない、自分の期待を裏切る相手に悪意を向けるとか、悪感情ばかり抱くのは


それは呪いに近い。


実際に生き霊や、死ね死ねビーム、呪ってやる的な念を放つ人もいて、そのような人は呪いばかりを振り撒いて生きているようなものだ。


だから大抵本人は不満足な人生を味わうことになっていたりする。


そりゃそうだ、周りをいつも呪ってるのだから。


呪いは、丑の刻詣りをするようなことだけではなくて、誰か特定の人物に負の感情や念を強く抱いてしつこく向けているのも、それも一種の呪いなんだよね。


それが癖になってしまっている人は、ほぼ日常的に誰かを呪っているのと同じだ。


何でも都合の悪いものは人のせいにして、すぐに他者を羨み妬む、対抗心や復讐心が強い人、病的なマウント狂いも、ほぼ常習的に他者を呪っているわけだ。



自己愛の強すぎる攻撃的な人が最も多くを呪っているのかもしれない。


人生はいいことばかりではないから、ネガティブになることは誰にでもある。


それを意識·無意識に関係なくずっとやり続けていれば、自分の恋愛や結婚や仕事が上手くいかなくなるのは、当然の成り行きだと思う。


始終誰かを呪っているから、その呪い返しが来るなんて当たり前だ。


どんな毒親育ちでも、他者を呪わないようになれば、好転してゆくものだ。


自分の呪いの感情を正当化ばかりして、誰かを呪い続ける人に、良い人はまずいない。


被害者の全てが良い人とは限らない。


被害者だから、自分は悪くない

被害者だから、自分は何もしなくていい


なんてところでいつまでも逃避していると、気がつけば自分の呪っている人よりも性格の悪い人に成り下がっていたり、負の人になってしまっているものだ。


呪うよりも祝う


そう切り替えることができるならば


どんなものでも負から正にできるものだ。


もう呪わないというのは、無理にでも相手を許せということではない。


酷い人間や悪人を許す必要はない。


嫌いな人を好きになる必要もない。


でも、呪いばかりを放つ被害者意識の権化みたいな立ち位置からは抜け出さないとならない。


祝いとは、負の感情からの決別、呪いを手放す決意を自分がすることだ。


パーティーや祭りをするだけが祝いではない。


自分が生き直すためのスタート、幸せになるために、フラットな感情状態にするのも、それも祝いのうちだ。


祝いとは、自分が幸せになるためのけじめを自身でつけることだ。


呪うよりも、祝う方がずっと自分が明るく軽やかで清々しくなれるものだ。


人は清々しいものを好む。


ドロドロと淀んでいる人を好む人はまずいない。


慢性的に呪っていると、汚泥のような人、本人が歩く厄災のような人になってしまうからね。



毒親育ちでも、良い伴侶や、良い義理の父母にめぐり合い、幸せになる人はいる。


自分の親は毒親だったけど、夫の親が良い人で幸せになっている人を実際に知っている。


毒親育ちでも、結婚によって幸せになる人はいくらでもいると思う。


そういうケースもちゃんとあるのだ。


呪いを手放して、祝うことを受け入れることをできるならばそうなる、そうなれるのでしょうね。


被害者意識ばかりに溺れていると、別の人に対して、自分が加害者になってしまうものだ。


被害者でもあり加害者でもある


自分は被害者のつもりでも、他者にとっては加害者でしかない


そうならないためにも、呪うよりも祝うことができた方が、自分も周囲も幸せになれるものだ。


毒親育ちを恋人や伴侶になる人に告白し、自分がもし毒親のようになりそうな時は諌めてもらうこと、自分が毒親にならないように協力してもらえるように素直に頼めるならば


きっと自分が危惧したような状態は回避できると思う。


それができないのは、まだ呪いを手放していないから、祝う状態にまだいないからだ。


恋人や伴侶にすら毒親育ちを誤魔化したり隠しているとか、被害者意識ばかりで接していると自分が相手との関係や家庭を崩壊させる加害者になってしまいやすい。


そして、自分がまだ呪いを手放していないと、自分の恋人や伴侶が毒親育ちの影響のある人かどうかを見抜けないし、毒親育ちの恋人や伴侶をサポートできなくなってしまうよね。


自分がいつも与えてもらう側、誰かにしてもらう側にばかりいたがり、相手や周囲に与えずに奪うだけ


それだと誰とも上手くいかないし、相手は離れていく。


恋人や伴侶は一方的にどちらかが相手に頼りきるとか、一方的に支えるだけでは機能しない。


お互いに協力し合えるようにならないと、上手くいかなくなる。


支え合うには、自分が呪うよりも祝うようにならないと難しい。


誰にでも忘れてしまいたい過去や、辛い経験、許せない人、悩みや苦しみはあるものだ。


私の方がずっと可哀想な目にあっているとか、あなたにはこの気持ちはわからないとか不幸を競うような人、被害者アピールの強い人もいる。


そのような人は自己中で、本人も他者も幸せにすることができない人が多いから、そういう状態の人とは関係を持たない方が幸せでいられるものだ。


幸せになりたければ、そのような人は選んじゃダメだ。


少なくとも、あなたがそのような人の恋人や伴侶になってあげる必要はない。


人をちゃんと選ばないと、幸せは遠ざかってしまうのだから。


私なんて···とか、自分なんてとイジイジしているのが、打算的なポーズの人もいるから、性質の優しい人はそこをちゃんと見抜かないとならないのよね。


いい人なのに不幸になるのは、誰にでも優しいからではなく、自分にとって良くない人を見抜く目が足りないからだと思う。


優しい人は、人を見る目を養わないと、有害な人にカモにされてしまうから。


それに、自称自分は優しい人、自称自分はいい人、そういうアピールする人に良い人はまずいないことを知っておかないとね。


本物は自分でアピールはしないものだ。


承認欲求が強すぎる人は大抵自己中だから。


言葉はキラキラとか、綺麗事を言っていても、実際は相当自己中だったりするものだ。


綺麗事ばかり言う人はナルシスト、自己中な人は毒親予備軍だ。


いくら人はみな完璧ではないからと言っても、 自分が幸せになりたいなら、自己中な人を相手に選ばないことだ。


呪うよりも祝う方が、前を向いて歩いて行けるようになれる。


自分が今よりは幸せになりたいのであれば 、


自分自身が呪うよりも祝う人になり、呪うよりも祝える人を恋人なり伴侶に選べば良いのではないだろうか。


もちろん友人に対しても同じことが言える。


呪うよりも祝う


それが開運の秘訣だと思っているので、毒親絡みのクライアント様に私はそう伝えている。


毒親で悩み苦しんで来た方々が、呪うのはやめて自分で祝うことができることを願ってやまない。



里美は今年最後のブログにそう綴った。



(了)

皆様も、今年一年お疲れ様でした。


どうぞ良いお年を!


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