遠慮がち令嬢の幸福
自己肯定感が低いとかではなくて、自分なりに空気を読んで対応や判断しているだけなのに、私が「遠慮がちな人」に周囲からは見えてしまうらしい。
分をわきまえることが周囲との軋轢を生まず、無用な争いを避けるという、自分なりの平和の作り方、処世術だと思っているからそうしているに過ぎないのに、周りから余計なお節介を焼かれてしまう。
「自己肯定感が低過ぎよ」とか「空気読み過ぎ」「もっとわがままになっていいのよ」とか言われてしまうのだけれど、私にだって欲望や理想はある。
私は遠慮しているのではなくて、自分の好みや欲望に素直、忠実なだけなのに。
私は私だという自我も、頑固さもちゃんとあるのに、なぜかついた渾名は「遠慮がち令嬢」。
他人の勝手な思い込みで不名誉な名前、迷惑な呼び名をつけられるのは勘弁して欲しい。
ほんの少し好感を抱いていた令息に最近距離を詰められていたのだけど、彼を狙う令嬢は他にもいた。客観的に見て彼に最も相応しいのは私ではなくて、あの令嬢よねと判断したから、距離はそのままをキープして成り行きを見守った。
他人を追い落としてまでとか、死に物狂いで彼が欲しいわけでも無いし、どう見てもあの令嬢が最適よねと思っていたから、しばらくしてその令嬢と令息が結ばれたからやっぱり私の判断は正しかったと思ったわ。
周囲からは遠慮に見えるのは、自信が無いからではなく、私なんてという自己卑下の産物ではなくて、『この人ではないな』という極めて冷静なスルーなのに、「またあなたはせっかくのチャンスを逃して、何やってるのよ!」「あなた、結婚したくないの?」と友人達からは責められるばかり。
別に遠慮なんてしていないのに。
この人こそはという相手だったら、私だってちゃんと対応するわ。それほどじゃないから反応しないでいるだけよ。
ガツガツするのは嫌だし、人のものばかり欲しがるとか、他人と同じものばかり欲しがる方がどうかしていると思う。
ライバルと争って結果的に自分が勝って獲得しても、それで上手くいくとは限らない。
うちの伯母もそうだからだ。
伯母は壮絶な奪い合いの結果、公爵夫人の座を得たけれど、結局その夫に愛人とその子どもばかり作られて夫婦関係は冷え切っているようだ。
学園のクラスメイトにも、熾烈な奪い合いをして結婚にこぎつけた人がいたけど、婚約者から略奪したというイメージが付きまとって評判を落としてしまった。
恋愛や結婚は勝ち負けではないし、自分に丁度いい人、最適な人と末長く続けられる関係の方が私は断然いい。
無理とか無茶をするとそのしわ寄せが後で来るものだし。
できれば誰とも争わずに、平和的に結婚したいの。
私はそれから半年後、運命の人に出会った。
その人は私を「遠慮がち令嬢」ではなくて「思慮深く聡明な人」だと私を評した。思慮深いこと、客観的に判断することを美徳とする価値観が見事に合致した。
しつこく相手に食い下がるとか、自分を売り込むことに貪欲でグイグイ来る令嬢は問題外なのだとか。
他人を押し退けてとか、他人と張り合い、略奪してでもという人は「無作法過ぎて無理です」と、高貴なその方は言った。
私を見つけて下さったその方は、隣国の王族だった。
私は一年後、隣国の第三王子、臣籍降下して公爵となった元王子の妻になった。
思慮深く穏やかな性質の誠実な夫を見つけられて私は本当に幸せだ。
王族だから結婚したのではなくて、彼が普通の令息でも間違いなく私は結婚していた筈だ。
プロポーズされるまではずっと隣国の伯爵令息だと聞かされていたし、彼が王族だったのはオマケのようなものなの。
「あなたっておとなしそうにしてたけど、結局、玉の輿狙いだったのね!」
「??!」
「そうよ、どうせ私達を見下しているんでしょ!」
「???!」
私を勝手に「遠慮がち令嬢」と決めつけていた人達は、私の結婚が決まると口々にまた勝手な決めつけ発言で攻撃してきた。
本当に勘弁して欲しいのだけれど、平和的をよしとする私は反論せずにスルーした。
また、今までちっとも親しくもなかったのに友達ぶるとか、急に私とお近づきなろうとすり寄って来る気持ちの悪い人達も令嬢的微笑でスルーした。
それこそ、そんな方々は遠慮いたしますわ。
このような私のことをいつも愛しげに見つめてくれる夫がいるだけで、私はもうそれで十分なのだ。
(了)