高望み令嬢の結婚事情
社交界ではエロイーズ嬢のお眼鏡にかなうお相手はそうそういないという噂で持ちきりだ。
エロイーズ嬢が目指しているのはいわゆる玉の輿だ。誰からみてもそう思われている。
年頃のご令嬢ならば誰もが秘かに夢見ることもあるのかもしれないが、それでも分をわきまえて異常な高望みはしないでいられるものだ。
エロイーズ嬢はそうでなかった。高位貴族、王族狙いという、お相手の爵位や地位が高ければ高い程良いのが見え見えなのだ。
本人は伯爵令嬢だから、伯爵位以上を望むのはまだわかる。家同士の政略結婚もそうなることは自然だ。
しかもエロイーズ嬢は無類の美形好みときているから、自ずとお相手は限られてしまう。
人の好みは人それぞれだから、それは仕方がないのではあるけれど、彼女の場合、お付きの侍女や護衛、交友関係を持つ令嬢まで見目の良さで選んでいるのではないかというほどの美形揃い。
それで、当の本人はというと失礼ながら十人並以下、どう持ち上げたところで美人というくくりには残念ながら入らない。
必死に化粧をし、おしゃれに気を使い努力しているのはよくわかる。
でも、お世辞にも美女や美人という範疇の人ではなかった。
美々しい人を側に侍らすと、本人がその美しい人達の引き立て役に逆になってしまっていた。
淡い茶色の髪と瞳、肌は白いが全体的にぼんやりとして印象に残らない顔立ち、細めの目は死んだ魚の目のようだと言われていた。
なぜそんなに美々しい人達ばかりを側に置くのか尋ねた人がいた。
「美しい人達には美しい人や高位の(玉の輿になるような)人が寄って来るから、そうしたら自分もあやかることができるから」
とエロイーズ嬢は答えたそうだ。
ある時、彼女に対して「エロイーズ嬢は舞台女優の○○○に似ていますね」と言って来た令息がいた。
「私はあんな不美人ではありませんわ!」
彼女は癇癪を起こしたかのように激怒して、周りを驚かせた。
彼女よりもはるかに美しい女優に対してそのようなことを発言したこともあって、一気に彼女を見る周囲の目が変わった。
あの人はちょっとおかしいと。
それから周りは腫れ物に触るように、美醜についての言葉は彼女の前では禁句になった。
リップサービスも通じない、このような人にお世辞でも「あなたは美人だ」とか言ってしまうと後が大変だ。
執拗に関係を求められて追いかけまわされることになる。
それであれはリップサービスだったと言い訳すると、悪鬼のごとく攻撃されるようになるからだ。
人は自分に無いものを欲しがり追い求めるものではあるし、自分の劣等感を埋めることができる対象を得たがる傾向は個人差はあっても、そのような面は誰にでも多少なりともあるものだ。
それで高望みをしてしまう、そんな人もいたりする。特に若いうちは自覚もなくそれをやってしまいがちだ。
適齢期が過ぎて来ると遅まきながら分をわきまえるように次第になってゆく。だが彼女はそうではなかった。
アイリスはエロイーズとは学園が同じだったこと、父同士が仕事上の付き合いのある家の令嬢だったこともあり、何かとお茶会や夜会では顔を合わせ、誘われれば個人的な外出にも同行していた。
「ねえアイリス、あなたはまだ結婚しないの?」
「私は婿を取ることになっているから、婿に来てくれることが条件なのよ」
だからといって誰でも良いわけでは無い。
「じゃあまだ結婚の予定はないのね?」
「ええ、ないわ。エロイーズあなたこそどうなの?」
それがいつ頃からはじまったのかはわからないが、彼女の話す内容が虚偽のものが混ざっていることにアイリスは気がついていた。
おそらく自作自演、そんな事実はほぼ無いのだ。
「あの方は、お父様が承知してくれなくて、私、泣く泣く諦めたのよ」
もうちょっとで婚約できたのにという、その相手の令息の名を上げるけれど、いつも無理目な超美形の高位貴族だ。
誰それに言い寄られたという嘘の相手すらもみなそうだった。
「そうだったの。エロイーズって相変わらず美形好きよね?私は見目よりも内面が大切だと思っているわ」
「······私はあなたとは違うのよ」
「そうね。でも、たまにはそれほど見目は良くなくても、感じの良い令息とお付き合いしてみたら? 高位貴族でもそういう方はいるわよ」
「私は美形じゃないと嫌なのよ!」
もうそれ以上は言うまいと、アイリスは口をつぐんだ。
理想と現実の折り合いをつけるのも成長のうちに思えるが、それがいつまでたってもできない人もいる。
玉の輿に乗りたい願望を持つのはその人の自由だ。
でも、玉の輿に乗りたいという人って、なぜ自分が玉の輿に乗れると思っているのかしら?
自分は玉の輿に乗るって信じてすらいるわよね?
それって、物凄い自信家?
自分は絶対に玉の輿に乗れると信じることができる明確な根拠があるの?
それとも単に根拠の無い盲信なの?
アイリスにはそれがとても疑問だった。
友人の令嬢にも玉の輿に乗った人もいたけれど、みんな玉の輿を狙っていなかった人だ。
たまたま玉の輿だったみたいな人の方が多かい。
玉の輿に乗る人が世間で言う絶世の美女とは限らない。美女ではなくても玉の輿に乗る人もいる。
そして玉の輿に乗ったからすべての人が幸せになっているとは限らない。
上流階級のしきたりやマナーに適応できなくて悩んだり苦しんでいる人、堪えられずに離婚した人もいる。
王太子に嫁いだら妃教育が厳し過ぎて地獄のような毎日だとこぼしている令嬢もいたりする。
玉の輿に乗るということは、それだけの地位に見合う存在として、自分が努力しないとならない。
なんとか結婚にこぎつけてしまえばそれで終りではなくて、その嫁ぎ先で求められる努力が一生続いていくのよね。
そこを度外視している玉の輿狙いの人は多いように思う。
エロイーズもその口だと感じている。
楽していい暮らしがしたい、人から羨ましがられたいというような、自分の自尊心を満たしたいだけのように思う。
アイリスは事業を立ち上げ独身でもやって行けるように努力した。
事業は順調で、このまま独身でもいいかなとアイリスが思っていると、友人からの紹介で伴侶を見つけることができた。アイリスの事業を応援してくれ、ちゃんと婿に入ってもらえる人だった。
これは予想外のことだった。狙っていなくても、結婚する人はその時が来れば結婚するものなのだ。
適齢期はそれぼど関係ないと思う。この国の結婚適齢期と呼ばれる年齢は年々上がり続けている。
意地でも玉の輿に乗ろうとガチガチに闘志を燃やしているよりも、「良い人がいれば」というぐらいの、もう少し肩の力を抜いていた方が良いご縁がやって来るのではないのだろうか。
狙わない方がかえって上手く行く、そういうこともあると知っている方が無理をしないで自分らしく生きて行けるようにアイリスは実感した。
アイリスが結婚の報告をエロイーズにすると驚くようなことを言われた。
「あなたって玉の輿狙いじゃなかったの?」
「は?!」
そんなことを今まで一言も言ったことはなかったし、玉の輿など狙ったことはない。
「あなた、高望みだから見つからないのかと思っていたわ」
なっ···、それは「高望み令嬢」だと渾名がついているあなたのことでしょうに。
この人にだけは言われたくはない。
勝手に私が自分と同じだと決めつけられていたことが、この上なく不快だった。
アイリスは結婚後、エロイーズとは距離をおいた。
これまでエロイーズは、アイリスの知らないところで、アイリスの縁談をいくつも妨害してきたことがわかったからだ。
アイリスは婿を探しているのを知っていたのに婿には入れない人ばかりを勧めて来たのも、自分よりもアイリスが早く結婚するのを許せなかったからだろう。
他の友人などにも同様の妨害をしていたと、アイリスの結婚報告を聞いた友人が暴露した。エロイーズは陰でアイリスの悪口を言い、アイリスを紹介してと頼んで来る令息にはあの娘はやめておけという悪評を吹き込んでいたらしい。
「あなたが無事に結婚できて良かったわ」と友人らに祝福された。
アイリスのチャームポイントの紫色の美しい瞳を、エロイーズは「気味の悪いどどめ色の目」とか陰口を叩いていたらしい。
本当に女の敵は女、友人のふりをした敵とは、こういうことを言うのだなとアイリスは痛感した。
(彼女は高望み令嬢ではなくて性悪令嬢よね)
それから数年後彼女に偶然街で再会するとエロイーズはこう言った。
「私、やっと気がついたの、人は見た目じゃ無いって」
「······そう、気がつけて良かったわね」
「ええ、だから美形じゃ無い人の玉の輿を目指すわ」
ま、まだ玉の輿を狙うのね······。
もうこの人は私には関係無いわ。
この人の人生はこの人のものだ。気が済むまで玉の輿を狙えばいい。
「じゃあ、頑張ってね」
そう言って別れてから十数年、エロイーズが結婚したという話はまだ聞かない。
(了)