傷つくよりも速く
他人から何か言われると、すぐに傷つくとか傷ついたと騒ぐ人、言った相手を責めて終わる人は成長しない。
傷つきたくないなら、傷つかなければいいだけだ。
傷ついた、傷つけられたと騒ぐだけの人は、相手の言葉の真意を探ろうとしない。
傷つくことを言われてしまうだけの行動をしている自分を見ようともしないし、反省しようともしないものだ。
だから1ミリも成長も改善もしない。
十代からずっとそのままだから、周りの人間とは上手くいかない。
四十、五十過ぎてもそのままだと、立派なトラブルメーカーだ。
傷つくよりも、最優先しないとならないのは、自分の成長だ。
傷ついた、傷つけられたと感じる自分の感情さえ誰かに慰めてもらえば、あやしてもらって気がすめばそれでもういい、それで終りにできる人は、ほぼ成長しない。
傷つくこと、傷ついたと感じること自体が悪いわけではない。でも、そんな時に真っ先にやらなければならないのは、
どうして自分は傷ついたと感じるのか?
なぜ相手にそのようなことを言われてしまったのかを自分自身でよく考えることだ。
自分で考えることなく、こんなことを言われた、ねえ、どうしてだと思うとかをすぐに他人に頼って聞く人、泣きつく人は思考力がない。
だから常にワンパターン、何度も同じことを繰り返す。そして問題解決力もない。
そのような人は何も学ばないからだ。
傷つくことを言った相手に悪感情を抱いて敵視するだけで、自身は全く成長しない。
そうやって超絶面倒くさい人格を持つ、周囲から忌避され、相手から困られる人物、地雷のような要注意人物に自分からなってゆくのだ。
自分が全く成長していないから、傷つくことも多いわけだ。
本人が十代から何も進歩も成長もしていないから、傷つくんだよ。
自分が成長すると、傷つくことは減っていく。
傷つことがあっても慌てないで対処できるようになるし、いちいち人を頼る必要もなくなる。
それが大人になること、人の成熟の過程だから。
子どもっぽい人が可愛いとか、子どもっぽくしていれば、誰かに助けてもらえるとか、子どものままでいた方が楽でいいという人は、自己中で打算的だ。
精神的な成長をせずに打算ばかりで動く人になると、嫌われ者になるだけだ。
気がつくと誰からも好かれない、誰からも愛されない人になっていたりする。
一緒にいたくない人、できれば関わりたくない人に、自分がなってしまっているからだ。
成長をしないと、人は強くもなれないし、優しい人にもなれない。
自信すら持てないから、常に不安定。それで、やらなければよいことばかりやって、更に嫌われてゆくという負のスパイラル。
その負のスパイラルから抜けるには、自分が成長するしかないんだよね。
一見優しい人、親切そうでいて、実はこちらの成長を妨げるような負の人もいるんだけど、成長していない人は、そういう負の人を見抜けない。
自分にとって都合のよい人、楽な人ばかりとつるんでいると、成長が止まってしまうこともある。
結局それは、自分のせいでしかない。
それがわからない人、それを受け入れることができない人は、ずっとそのままだろうね。
成長と共に付き合う人も変わってゆく。そのような別れにも傷つくことなく、自分で対処できるようになってゆくのが、人の道なのだと思う。
自分と合わない人、もう合わなくなった相手に執着しないでいられるようになるのも成長には必要なことだ。
この人は違うなと感じたらサッと離れる、この人嫌だなと思ったら、もう関わりを持たないようにすればいいだけだ。
それができないこと自体、成長できていない証拠だよね。
何で好きでもないのに、嫌いな人ばかりと付き合うの?
それって、自分で傷つくシチュエーションに飛び込んでいるだけでしょ?
その相手にだって迷惑になるのに。
それに、あまりにも聞き分けのない状態、異常な強情さだと、相手や周囲から煙たがられるだけではなくて、品性まで疑われ、この人馬鹿なのかなっていう目で逆に見られてしまうよね。
人から馬鹿にされたくない、人から見下されたくないのであれば、自分がちゃんと成長するしかないよね。
成長はしないで、自分の欲しいものばかり欲しがる、成長しもせずに何でも自分の思い通りにしたがる人なんて、迷惑なだけだよね。
人に好かれたい、人から愛されたい
人から認めてもらいたい
それならば、自分が少しずつでも成長してゆくしかないよね。
傷つくよりも速く
自分が成長しちゃえば良いのでは。
······これ、あの人に刺さる日は来るのだろうかと思いつつ、ブログにあげる占い師里美だった。
(了)