リリーの魔法
「春が来たなら」の関連作です。
リリーが婚約者のデヴィッドに別れを告げた夜会の日、未来の伴侶となるオリヴァーに求婚された。
オリヴァーと踊っている時、彼からこんな質問を受けた。
「君をここまで別人にした魔法使いは誰だい?」
「えっ?」
美しく可憐な外見よりも、リリーの内面的な成長をここまで劇的にさせたものが何なのかをオリヴァーは知りたかった。
オリヴァーの知るリリーは、父母や姉の後ろに隠れてしまうような人見知りで内気な性格の子どもだった。そしてちょっとしたことですぐに泣いてしまう泣き虫だった。だから、少年時代の彼にとってリリーはなかなか近寄りがたい存在だった。下手をすると自分が泣かせてしまいそうだったからだ。
もう少し親しくしたい気持ちはあっても、それができなかった。
その印象があまりにも強く刻まれていたオリヴァーには、不実な婚約者に抵抗したり、自分の意見を主張する彼女を想像することがまったくできなかった。
リリーの父から婚約者との関係を聞くにつけ気の毒で可愛そうに思ってしまった。彼女が王都の夜会に行くと聞いて、自分も行って見守ってやろう、助けられるなら助けてやろうという気になっていた。
夜会の会場に到着すると、オリヴァーの姿を見つけたリリーの方から挨拶してきたので驚いた。
「オリヴァー殿下、お久しぶりです」
今まで見たこともない明るい笑顔で声をかけられて面食らった。
「······本当にリリーなのか?」
「はい、リリーです」
ふふふっと彼女がまた可愛いらしく笑った。
「······!」
こんなリリーは見たことがない。
雪のような柔らかい白い髪も、青い貴石のような瞳も相変わらずだが、華やかな笑みを浮かべている目の前のこの娘は一体誰だ?
オリヴァーは挨拶を返すのも忘れて数年ぶりに再会したリリーに見惚れた。
なぜリリーの婚約者はこんな魅力的な彼女を放っておけるのだろうか?
このリリーの劇的な変容を間近で見て来たであろう男にオリヴァーは嫉妬した。
「君の婚約者殿は来ていないのかい?」
「多分会場のどこかにいると思いますわ。私ではない令嬢とご一緒でしょうけれど」
まるで他人事のように平然と言うリリーにオリヴァーは衝撃を受けた。
うるうると泣きだすとか、気落ちして俯くようなそぶりもなく、むしろどこかすっきりとしたような面持ちでいるのは、どうしたことか?
「噂は本当なのかい?」
「今夜はそれをこの目で確かめようと思っておりますの」
な、なんだと?!······あのリリーが婚約者の浮気現場を見に来ただと!?
き、聞き違いではないよな?
リリーの予想外の言動にオリヴァーは狼狽しきっていた。
「だ、大丈夫かい? リリー」
「ええ、ご心配なく。私、もう大人ですから」
その時リリーが見せた、何のてらいのない笑顔にオリヴァーはとどめを刺された。
「私もついて行こうか」という言葉を飲み込んだ。
「では叔父様、また後で」
そう言って立ち去ろうとしたリリーの手を掴んでリリーをひき止めた。
「リリー、叔父様ではなく、オリヴァーと呼んでくれ。私の姪ではなくて妻になってくれないか」
「?!」
リリーの、この人なに言っているのという表情から、自分が今言ったことのおかしさを自覚した。
何を言っているのだ私は·······。
オリヴァー自身が自分の発言にびっくりしていた。
「いや、すまない、また後で···」
パッと手を離し、困惑しながらリリーはオリヴァーのもとから去って行った。
ど、どうしたんだ私は·····!
突然リリーに求婚するなんて。まだ彼女は婚約中なのに何をやっているのか。
オリヴァーは自分の行動に愕然とした。
保護者役としてリリーを見守りに来たのに、何をやらかしているのか。
自己嫌悪に陥りながらも、リリーを遠くから見守っていた。
数人の令息がリリーを取り囲んでいる。だが、リリーは臆せず、冷静に対応している。
兄というよりは父親のような目線だ。
こんなに大きくなってとか、我が子の成長ぶりに思わず涙する感覚に襲われた。
婚約者と浮気相手にしている立派な対応に感動すら覚え号泣しそうになっていた。
あの泣き虫リリーが、こんなに毅然と立派に振る舞い、張り合えるようになったのだ。
ああ、しかも、婚約解消だと自分から言っているではないか、素晴らしい、ブラボーだよリリー。
先程の求婚は撤回しない。するわけがない。
リリーがまだ答えていなかったので、オリヴァーは更に突っ込んで聞いてみた。
「泣き虫リリーが素敵な蝶になれたのは、何かきっかけがあるんじゃないのか?」
「···私、作家になったのです」
「それは知らなかったよ!」
オリヴァーは瞠目した。
「来月3冊目が出版されるんですが、それで、2年前に初めて本を出す時に思ったんですの。私みたいに、イジイジうじうじ、泣き虫の作家の本なんて誰が読むのだろうって···」
「···それで?」
「主人公達のように私も少しずつでも変わらなくちゃって」
「誰かに強烈な何かを言われたとか、誰かに影響されたわけではないんだね?」
「ええ、そうですね。あっ、でも婚約者と上手くいかなかったから、余計にしっかりしなきゃ、自立しなくちゃって思えたのかもしれないです」
「···そうか」
この2年でこんなにも激変したのだのとしたら、本当に凄いことだ。
「リリーが誰かの魔法にかかったのかと思ったよ」
「そんなに驚きましたか?」
「ああ、あまりに驚き過ぎて君に求婚までしてしまったよ。それこそ私の方がリリーの魔法にかかったみたいだ」
「·····!」
リリーが照れて俯いたので、オリヴァーが笑った。
「返事は急がないけど、魔法が解けてなくならないないうちに返事をくれないかな?」
「···わかりました」
突然の求婚に確かに驚いてはいたけれど、断る理由が見つからない、断るつもりもないことに気がついて、オリヴァーに触れられている手の熱と感触にリリーの心臓の鼓動が急に速まっていく。
すっかり自分が恋の魔法にかかったことをリリーは知った。
これもいつか物語として書く日が来るかもしれないという予感にも、ときめいていた。
(了)