うろうろ稲荷
由貴は夫の転勤で名古屋についてきた。名古屋には親戚も友人もいないため、日中は一人で市内をあちこち見てまわっていた。
ガイドブックを持ち歩く、見るからにお上りさんだ。
戦国時代の三英傑を産んだ愛知県、特に織田信長にはちょっとばかり関心があった。それは由貴の祖母の祖先が信長の家臣だと昔聞いていたからだ。
それでほんの少しだけ織田信長には他の武将よりも親近感のようなものを抱いていた。
由貴は方向音痴なところがあり、地図を見ても道に迷う、目的地にたどり着けないこともあった。
そんな時は携帯に話しかけるのではなくて、近くを歩いている人に声をかけて教えてもらうというアナログ人間だ。
そんな時たまたま立ちよった金山で、レコードショップを見つけた。そこから駅へ向かおうとして、また少し迷ってしまった。
どうしようとおろおろして振り返ると、朱のものが目に入って来た。鳥居の朱色だった。
由貴は神社巡りは嫌いではないが、朱色の鳥居が立ち並ぶ神社は少し苦手だった。鳥居がびっちり、みっちり並ぶ空間に閉じ込められそうな気がするからかもしれない。
そう感じるのは大抵稲荷系の神社だ。
由貴はその朱色の鳥居がある場所へふらふらと近寄って見た。
そこは秀吉が祈願した「出世稲荷」を奉る神社だった。ビルや建物の合間にちょこんとある祠のような小さな目立たない神社だった。
由貴は朱色に圧され、息苦しくてサッと通りすぎた。狭い場所にところ狭しと朱色の鳥居が立っているそれは、まるで籠のようで、そこに閉じ込められて出られなくなってしまうような恐怖を由貴は感じてしまったからだ。
子どもの頃、家の近所にも竹藪の隣に赤い鳥居が立ち並ぶ神社があった。そこには狐型の狛犬があり、狛犬の目の高さが子どもだった由貴の目の高さと丁度同じ高さだった。その狐の表情が怖かったことから苦手意識を持ってしまった。
更に、その神社でぶつぶつ言いながら一心不乱に行ったり来たりしている女性の姿に恐れをなしてしまった。
それは御百度を踏んでいたのだと大きくなって知ったのだけれど、女性の鬼気迫る姿が余計に怖かったのだ。
そこがたまたま稲荷神社だったこともあり、稲荷様は怖いという苦手意識、近寄りがたさを持ってしまったのだ。
大人になった今は、稲荷様自体は怖れてはいないが、おびただしく立つ朱色の鳥居は今もあまり好きではない。
なので、出世稲荷神社には参拝することなくこの日は帰った。
また別の日、中村区を散策しようとした。
名古屋よりも那古野という古い表記の方が好きだ。
歴史を残すならば、古い呼び名や表記にした方がいいのにと個人的には思う。
それは自分がレトロなものが好きだからかもしれない。
たくさん見てまわろうという意気込みはあったのに、朱い鳥居にまた出くわして、それからぐるぐる迷いましたとさ。
ああもう、また稲荷!
由貴は心の中で毒づいた。
そして行き場や出口を求めてうろうろとうろつくのだ。
(了)