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ヘルマカミンスク

騎士団の訓練場に向かう長い廊下を、私は緊張しつつ急いで歩いている。


王女殿下が仲の良いご令嬢達とお茶会をガゼボで開いていたが、その令嬢のうちの一人からローゼル騎士団長を呼んで来るように頼まれたからだ。

そのレイネン侯爵令嬢は騎士団長に想いを寄せていて、自分では恥ずかしくて呼び出せないから、私に代わりに彼を連れて来て欲しいとせがまれた。


初めて招待された王宮のお茶会で、席についた途端、親しくもない令嬢からそんなことを頼まれたのでとても驚いた。

しかも私はローゼル騎士団長とは面識もない。



剣が激しくぶつかり合う音が聞こえてくると、否応なしに緊張は高まった。


訓練場の入口にいた年若い騎士に団長の所在を尋ねた。


「おりますが、御用向きは?」

「さるご令嬢よりローゼル騎士団長様を呼び出して欲しいと頼まれまして。お忙しいとは存じますが、ご同行願えませんでしょうか」


年若い騎士は「団長!」と直ぐ様駆けて行った。

団長と若い騎士はチラりとこちらを見たが、他の騎士達までが私を一斉に見たので焦ってしまった。

しかもここは近衛騎士団、美丈夫揃いなのだ。


(うう、この場違いなところから早く立ち去りたい·····!)


「少々お待ちを」

「ありがとうございます」


♢♢♢


「レイネン侯爵令嬢から頼まれまして」

「王女殿下も同席されているなら、断れませんね」


騎士団長が快く応じてくれて良かった。

自分のすぐ斜め前を歩くローゼル騎士団長の長身に圧倒された。訓練着から制服に着替えた彼はとても凛々しく、黒目黒髪が一層精悍さを際立たせていて溜め息が出そうだった。

レイネン侯爵令嬢が想いを寄せるのも無理は無いと思えた。



「あら、何の御用かしら?」

「ダフネ殿下、御機嫌麗しく」


王女殿下は悪戯っぽく笑った。他の令嬢達はサッと目を背けた。


「モーリア侯爵令嬢、一体何の用ですの?」

「レイネン侯爵令嬢に頼まれました通りお連れ致しました」

「まあ、私がいつあなたに頼みましたの?」

「······えっ?」


レイネン侯爵令嬢は、知らぬ存ぜぬを通した。


「お忙しい近衛騎士団長様をわざわざ呼び出すわけがありませんわ。何の勘違いですの?」


レイネン侯爵令嬢は扇の裏で喉を鳴らして嗤っている。


「あなた、どのお茶会にいらしたの?ここにはあなたの席はなくってよ」


私の先程の席には別の令嬢が座っていた。令嬢達がクスクスと冷笑を向けている。


私はこの令嬢達に嵌められたのだと理解した。


それでも王女殿下の手前、ここで揉めるわけにいかなかった。


「大変失礼致しました。わたくしの愚かな勘違いでございました」

「謝って済むことかしら?」

「責任を取りまして、当分の間、社交活動は自粛致します。大変申し訳ございませんでした」


私は深々と頭を下げた。


「では皆様失礼致します。モーリア嬢、帰りしなにご一緒に庭園の散歩などはいかがです?」

「······?!」


騎士団長はにこやかにエスコートの体勢を取った。


「さあ、参りましょう」


私は騎士団長に助け船を出されてその場を去った。

背後では令嬢達のざわつく声が響いた。


「た···大変申し訳ありませんでした。このようなことに巻き込んでしまいまして」

「王女殿下の取り巻き令嬢達は糞意地が悪いですね。あれでは皆良い嫁ぎ先にはありつけないでしょうね。騎士団のいじりでもあそこまではやりませんよ。他人の面子や名誉をわざと傷つける者など貴人を護れるわけがありませんからね」


騎士団長は悔しさで堪えきれずに涙を溢している私にハンカチまで差し出してくれた。

流石公爵令息様、武人とは思え無い洗練された所作や細やかな心遣いに惚れ惚れした。


「今は睡蓮がとても美しいですよ」


庭園を一緒にというのも、その場しのぎや冗談ではなかった。

風も爽やかで、色とりどりの睡蓮の花に癒された。


「落ち着きましたか?」

「はい、ありがとうございました」

「本当にこうしていると一幅の絵のようですね」

「···えっ?」

「あなたの髪色はまるで······」

「······ああ、有名なヘルマカミンスクの肖像画のモデルは、私の祖母なのです」


ヘルマカミンスクはこの国の三柱の女神の一人で、オレンジ色の髪をしている。明るいオレンジ色の髪はこの国では滅多にいないので物珍しい目で見られてしまう。

祖母が十五の時に画家に見初められてモデルになったと聞いている。

祖母は緑色の瞳だけれど、私は青い瞳なので、モデルになったお祖母様とは似ていないのですのねと残念がられてしまうこともしばしばある。

本物のヘルマカミンスクの瞳が何色なのかはわからない。共通しているのはオレンジ色の髪だけで、画家によって描かれる顔立ちも瞳の色も違うから。



「どおりで。我が家にも一枚だけあるのですよ」


ヘルマカミンスクの絵のシリーズは全部で五十二枚あるそうだ。私の家にも三枚ほどある。どれも緑の瞳のヘルマカミンスクだ。


「ヘルマという名も、生まれた時にこの髪を見てつけられました」

「そうでしたか」


騎士団長は機嫌の良さそうな笑顔を浮かべている。

一見気難しそうに見えるけれど、案外気さくで話しやすい人だ。


「ヘルマ·デュ·モーリア侯爵令嬢、近いうちに侯爵家を訪ねても構いませんか?」


我が家にあるヘルマカミンスクの絵を団長様はご覧になりたいのだと思い、私は快諾した。



♢♢♢


私が茶会の参加を自粛し自邸に引き込もると、私がレイネン侯爵令嬢からローゼル騎士団長を無理矢理奪ったという噂が世間で広まるようになった。


レイネン嬢達はよくも平気でそんな嘘がつけるものだ。

私の評判を落とすつもりなのだとしても、意中の騎士団長にまで迷惑をかけるなんて何をしているのだろう。彼からの心証まで悪くなっているのに。

レイネン侯爵令嬢とは元々親しくはなかったけれど良い評判は聞かない。

できれば金輪際関わりは持ちたくない。



夜会に出るのを自粛している私に、夜会から戻った兄が仕入れたばかりの話を聞かせてくれた。


先程の夜会の席で、任務中のローゼル騎士団長にレイネン嬢がしつこく言い寄ったらしい。


(彼女は、恥ずかしくて呼び出せないなんて玉ではないのよね)


「私がモーリア嬢と結ばれるのをお望みなのですよね?この噂を流した手前、噂通りにならないと困るのはあなたなのではありませんか?」


騎士団長は全く取り合わなかったという。


レイネン嬢は支離滅裂だ。


ダフネ王女殿下もなんとか取りなそうとしたが、「他人を平気で駒のように利用する令嬢などごめんこうむります。殿下もご友人はよくお選び下さいませ」とピシャリと言い放ったので、その場が一瞬静まり返ったらしい。



「ヘルマにも春が来たようだね」

「えっ?」

「いやぁ、これは楽しみだな」


兄はなんだか嬉しそうだった。



それから間もなくローゼル騎士団長が我が家にやって来た。


ヘルマカミンスクの絵を見に来たのだとばかり思っていたら、なんと私に求婚しにやって来たのだ。


私達は子どもの頃に一度会ったことがあるらしい。

幼い頃兄と一緒に王宮の庭園で父を待っていた時に、私は睡蓮の池に誤って落ちてしまった。

そこにたまたま居合わせ、兄と一緒に私を引き上げてくれたのが騎士団長だったのだ。

濡れ鼠の私は「まるで小さなヘルマカミンスクみたいだった」らしい。

団長宅にあるヘルマカミンスクの絵は、睡蓮の浮かぶ池で女神が舞う構図のものなのだとか。


私は池に落ちたのは覚えていたが、私を助けてくれたのは確か兄と同じ金髪碧眼の少年だった。

ローゼル騎士団長は子どもの頃は金髪碧眼だったが、成人する頃にはすっかり黒髪黒目になったのだという。

黒と言っても明るいところで見ると青味を感じる神秘的な瞳だ。


「私は昔から助けていただいてばかりですね」


お兄様とは同学年で旧知の仲だった。


「知りませんでした!」

「お前の婚約者候補を裏で全部止めてたのコイツだよ」

「えええ?!」


知りませんでしたよ、そんなの!

お父様達が娘の結婚にはかなり呑気な人なのだとばかり思っていたわ。

「その代わり責任取ってくださいね」という密約が交わされていたようだ。


「で、どうする?求婚は受けるのか?」

「う······あ、はい。よろしくお願い致します」

「良かったな、アル」


こうして私はアルブレヒト·ローゼル公爵令息の婚約者になった。

彼は次男なので公爵家は継がないが、母方の親戚の侯爵家を継ぐことが近頃決まり、それで求婚に踏み切ったのだということだ。


ダフネ王女は婚約していた隣国の王族に嫁ぎ、レイネン侯爵令嬢をはじめとする、あの日お茶会にいた令嬢達は皆他国のクズ貴族に嫁ぐことが決まった。


お兄様曰く、アルブレヒト様が裏で手をまわしたのだとか。


さ······策士?!


♢♢♢



「私のヘルマカミンスク」

「アルブレヒト様」



私はもうすぐアルブレヒト様の妻になる。


どうして私がここまでアルブレヒト様に気に入られたのかはわからないけれど、きっとそれは女神様のお陰なのかもしれない。



(了)

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