冷たい人
曾祖母の遺影を見る時、厳格な人、冷たい人のように私には見えた。モノクロの写真だから余計にそう感じるのだろうか。
母からも「厳しかった」「怖い人だった」と聞いていた。
祖母はのほほんとした性格で、あの遺影の人の子どもにはとても思えなかった。
曾祖母が離婚した時、私の祖母だけが「お母さんが一人になるのは可哀想だから」と着いてきた。残りの四人姉弟は曾祖父が引き取ったのだ。
でも祖母は病弱だったので、曾祖母にはかえって苦労をかけてしまったと回想した。
曾祖母は実は二度目の離婚だったが、強い気性のせいで姑と合わなかったからだと聞いている。
曾祖母は助産婦の資格を取り生計を立てた。
私の母はと言うと、曾祖母や祖母にも似ていない。恐らく既に亡くなった祖父に似ているのだろう。
顔は似ていないけれど、曾祖母に性格が似ているのだろうと思う。
病弱な祖母に代わって曾祖母に育てられたからかもしれない。
現代ならば虐待と呼ばれてしまうかもしれないけれど、躾として竹製の物差しで言いつけを守らない時は叩かれて育ったという。
門限に遅れたり、反抗的になると家から外に出されて玄関を閉められてしまうこともあったとか。
私自身も子どもの頃は母からそのようにされて育った。物差しではない時は、ハタキの棒の部分でピシリと打たれたりした。
母も祖母もそれが当たり前、躾という認識でいたのだ。
ある日、私が友達の家に遊びに行って夕食の時間に遅れてしまったら、既に玄関は施錠されていて家には入れてもらえなかった。
仕方なく私は玄関の前のたたきに座り込んで時間を潰すことにした。
石のたたきはスカートを通してもひんやりとしていた。辺りは暗くなり星が見えはじめた。
まだ七歳たった私は母も祖母も嫌いではなかったけれど、別のおうちの子になりたかったかなとか、私には本当の両親が別にいて、私をいつか迎えに来てくれないかななんて夢見ていたのだった。
通りすがった近所の人が、「典子ちゃんどうしたの?」と心配して駆け寄って来た。
「怒られちゃったから、家に入れてもらえないの」
「ええ?こんな夜にかい!?」
そのおばさん達がとりなしてくれて、私は渋る母達に家に入れてもらえることになった。
「ちょいと、躾にしてはやり過ぎじゃないのかい」
「うちのやり方に口を出さないで下さい」
「それでも、これはないと思うよ」
親切なおばさんは、母と祖母にそう苦言まで呈してくれたのだ。
「私が悪者になったじゃない!」
母は怒り心頭で怖かった。
祖母も母も母子家庭で育ったので、大黒柱の曾祖母には逆らえなかったのだ。
「私が子どもの頃はね、もっと厳しくされたのよ!」
それを祖母も黙認していたのだ。
全く、親子三代でなにやってるんだか!
まさに機能不全家族じゃないかと今なら思うところだけれど、私が子どもの頃はそんな言葉は誰も知らないし、誰も口にしない時代だったのだ。
小学校や中学でも体罰を与える先生達がまだ普通にいたのだ。
私の家はそんな風に変に厳しい家だったが、そのお陰か人よりも反抗心や自立心は養われたように思う。
母達の目を盗んでルールを破る楽しみも逆に覚えた。
もう少し大きくなると、私はすぐ下の妹と結託して
「こんなのうちだけだよ、もうやめて!」
と訴えた。
体格も大きくなって来て、腕力でも互角になると、母は私達を躾で叩くことはなくなった。
末の妹は小さかったので、この頃の母のやり方をほぼ記憶していない。
私はこうだったんだから、あんたもこうしてやるという感覚は、嫁いびりなど負の伝統、悪しき因習が代々続いて行くのと同じだ。
それは自分の代から止めて終わりにするべきだ。
そんな祖母も母も、曾祖母も、苦労をした中できっと甘えることができないままに自分を奮い立たせて必死に生きて来たのだろうということは、大人になれば十分理解できた。
また、仕事人間の父は当時は単身赴任だったので、ワンオペ育児と家事。父が家にいる時でもそれは変わらない。
しかも父は気難しい人だったので、母は父の顔色を伺い、父には逆らえないという抑圧された関係に置かれていた。
心の余裕の無さから、私達子どもが親のいうことをきかないことがよりストレスや苛立ちになり、許せなくなってより厳しさに繋がっていたのだろう。
私達姉妹が母の肩を持ち、なんとか宥めていた。
私が曾祖母や母のことを冷たい人だと、母のことがあまり好きではなく、母は精神的にお子ちゃまだなと軽蔑を感じていたけれど、大人になった今、母の立場を理解できたのでそれはもう思わない。
理解はしたけれど、許したわけではない。私は母のようにはなりたくないし、ならないつもりだ。
それでも、私が母になった時に、かつての母みたいに我が子に接してしまいそうで怖い。
私が彼からのプロポーズの返事に躊躇する理由はそれだ。
私はその理由を包み隠さず彼に伝えた。
「子育てはワンオペにはしないと約束するよ。もし恐れているような状況になったら俺が君を止めるよ。だから俺と結婚して欲しい」
私は不安が完全に消えたわけではかったが、私をわかってくれて協力してもらえるならと、結婚に踏み切った。
そして第一子が生まれた。その子は夫や私ではなくて私の母に似ていた。
なんて神様は意地が悪いのだろうと思った。
これが私が乗り越えるべき試練なのだとしても。
とにかく娘に自分と同じ思いをさせないようにしなくては。
努力はしたけれど、娘のあまりにもしつこいイヤイヤで苛立ってしまい、思わず平手打ちしそうになっている自分にハッとした。
私は手を引っ込め、自分を恥じた。
「ごめんね······」
ギャン泣きする子どもと共に私も声を出して泣いた。
しばらくすると、風呂から上がった夫が慌ててやって来た。
「典、どうした?」
「私、やっちゃった·····、やりそうに·····なっ·····」
ショック過ぎてそれ以上言葉にならなかった。
「ママ、やったった?」
娘は何事もなかったかのように、ケタケタ笑っている。
夫が娘を抱き上げると、「ママお疲れ様、ママ、いいこ」と娘の手を掴んで私の頭の上に置いた。
娘は鸚鵡返しに「まぁまおつからたま、いいこ」と言いながら私の髪を小さな手でナデナデした。
「落ち込むなよ。君は自覚できているんだから大丈夫。これは月日が解決してくれるよ」
娘を夫に任せて風呂場へ向かった。着替えなから洗面所の鏡を覗くと、そこには母に似た女性がいた。
自分は父似の顔だとずっと思っていた。いつの間に私は母にも似るようになっていたのか。
けれど、鏡の中の私は、私の知る冷たい人の顔ではなかった。
私は母とは同じではない。私は大丈夫だと自分に言い聞かせた。
(了)




