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刺客

エーリカは大聖堂のある街の片隅で生まれた。私生児だったが、六歳の冬に母が亡くなると、父を名乗る見知らぬ男に引き取られた。


男は伯爵で、エーリカは大邸宅暮らしが始まり、貴族令嬢としての教育を施された。高位貴族家へ嫁がせ閨閥作りのための要員として仕込まれた。


十年に及ぶ血の滲むような努力の甲斐あって公爵家嫡男エーリッヒに見初められたが、エーリカは婚約を結ぶ前に捨てられてしまった。異母姉が取って替わったからだ。


異母姉アンネロッテがエーリカの生母は平民だとエーリッヒに暴露したので、王家と親戚でもある由緒正しき公爵家から敬遠されたのだ。

それでもエーリッヒはエーリカを妻ではなく妾に望んだが、公爵家もアンネロッテも許さなかった。


正直エーリカはエーリッヒとの婚約を免れてホッとしていた。

きらびやかであっても何かと窮屈な貴族の生活はやはり自分に向いていないと心底思っていたからだ。

役目を果たせなかったエーリカは行儀見習いとして修道院へ送られることになった。


そんなエーリカに対して三人の刺客が放たれた。

一人は異母姉から、二人目はエーリッヒ、三人目はエーリッヒに振られた侯爵令嬢がそれぞれの思惑からエーリカを亡きものにしようと画策した。


異母妹を目障りだと異母姉から放たれた刺客と振られた腹いせに侯爵令嬢が放った刺客は、先を争って互いに殺し合い自滅した。


エーリッヒが刺客を向けたのは、自分のものにならないならば消してしまえというものだった。気に入っていた女が自分以外の男のものになるのは許せないという身勝手極まりない理由だ。

修道院に行ってほとぼりがさめたら、伯爵は新たな縁談でどうせエーリカを連れ戻そうとするだろうと予測したからだ。



そんなこととは露知らず、エーリカは修道院行きの馬車に乗り込んだ。


「エーリカお嬢様、どうかお達者で」

「ありがとう」


涙ぐむ乳母と侍女らに見送られ伯爵家を後にした。


きっと自分はもうこの家に戻って来ることはないだろうとエーリカは覚悟していた。


異母姉から餞別に渡された包みを馬車の中で開けると、明らかに毒薬とわかる瓶が入っていた。


「······お姉様」


生粋の伯爵令嬢である異母姉は、同性のエーリカから見ても非の打ち所の無い完璧な令嬢だった。

平民を母に持つ自分は到底太刀打ちできない。そんな自分がエーリッヒからプロポーズを受けたことが相当許せなかったのだろう。


気高い美丈夫の異母姉は、エーリカを虐めるようなことは一度もなかったが、こればかりはプライドがどうにも許さなかったのかもしれない。

だから無理もないとエーリカは思った。


異母姉の心情を察し、美しいカットが施された遮光瓶をエーリカは両手で握りしめた。

ここで飲んで死ぬ気はなかったが、瓶の蓋を緩めると異臭がした。

このようにすぐに毒とわかるものをわざわざ手渡した異母姉の気持ちを思うと涙が溢れた。


言葉に表さなくても、疎まれていたのは肌で感じていた。長い間耐えて来たのは自分だけではなくて異母姉達もそうだったのだ。


「······ごめんなさい」


自分はもっと早く伯爵家を去るべきだったと、堪らずに嗚咽が込み上げた。



馬車が急に止まり「どうかなさいましたか?」と馭者が声をかけてきた。


「······大丈夫よ。馬車を進めてちょうだい」

「どうぞ」


馭者がハンカチを手渡すと、エーリカは緑の瞳から溢れた涙をハンカチで拭った。



いつの間にか眠ってしまったのか、目覚めると夕方になっていた。



「後どれぐらいで着くの?」

「もうじきでございます」


そう言った割には馬車を夜通し走らせるつもりなのか、夕食と休憩の後もなかなか馬車は止まらなかった。


隣国との国境にある修道院だと言うが、明日は馬車を乗り換える。

この馴染みのある馬車ともお別れだ。学園に通うのにも街に行くのにもこの馬車だった。


そういえば、馭者は今まで見かけたことの無い者だった。いつもの馭者よりも華奢で若く見えた。


「あなた、名前は?」

「ルトガーです」


馭者はハスキーボイスで答えた。


「お嬢様、到着致しました。今夜はここにお泊まり下さい」


小さな宿屋は真夜中で静まり返っていた。

片足を引きずってはいても愛想の良い女中が世話をしてくれた。


表向きは宿屋の体を取ってはいるが、ここは暗殺者ギルドなのをエーリカは知らなかった。


「明朝お迎えに上がります」


ルトガーはそう告げたが、なぜか彼はもうやって来ないような気がして、急に心細くなった。

疲れていた筈なのにまんじりともしなかった。


翌朝ルトガーが約束通りやって来ると、自分はエーリッヒに依頼を受けた刺客だと告げられた。

ついでに、別の二人の殺し屋が自滅したことも教えられた。


「ですが、心配には及びません。私はあなたを殺すことはありません」

「どうして?」

「他の男のものになるぐらいならば殺せというのがエーリッヒ様の命令であるなら、あなたが他の男のものにならなければ良いのです」

「そっ、そうだけれど······」


フードを外したルトガーは朝日を受けて、銀の髪が煌めいている。薄紫の瞳は神秘的で金髪碧眼のエーリッヒなどよりもずっと貴公子のように思えた。


「エーリカ様、どうせなら私のものになりませんか?」

「は?ええっ?」

「大丈夫です、こう見えて私は男ではありません」


ルトガーは、エーリカの手を掴むと自分の胸の膨らみにあてがった。


エーリカは絶句した。


「どうか私の妻になってもらえませんか?私は夫など元々求めていません」


ルトガーはそのままエーリカの手の甲にキスをした。


ぼぼぼっという音が聞こえるのではないかというぐらいに、エーリカは赤面した。

エーリッヒのプロポーズよりも数十倍はときめいている自分に困惑した。


「は···い、よろしくお願いいたします」


酷い寝不足のせいか、いつの間にかそんな返答をしている自分をエーリカはどうすることもできなかった。


(私、どうしちゃったのかしら?)


「暗殺以外も逃避行や身を隠すことならお手のもの。守りも万全です」


ルトガーは凄腕の殺し屋で、ギルドマスターだった。


エーリッヒにはエーリカの赤毛を送りつけて任務は遂行したように偽装した。

面目が守られた彼は安堵して、すぐにエーリカの存在を忘れて行った。

異母姉と結婚したエーリッヒは二度とエーリカを思い出すことはなかった。


後年、エーリッヒ自身が所持していたことを忘れてしまっていたエーリカの赤毛をアンネロッテが見つけると、実はエーリカは既にこの世にいないと彼は打ち明けた。

アンネロッテは嬉々として、エーリッヒに抱きついた。二人は遺物であるその赤毛を暖炉の火で燃やした。

それ以降アンネロッテもエーリカの存在を記憶から消し去った。


という報告を部下から聞くと、エーリカは胸を撫で下ろした。 以前餞別にもらった毒薬をエーリカはようやく捨てることができた。


忘れてくれた方が、幸せになることもあるのだと、異母姉の幸福を密かに願うエーリカだった。


人から忘れられるというのは、存外人を自由にするものなのね。


私を忘れたい人は、どうぞ遠慮せずに忘れて下さいませ。


───私も忘れることにしますから。



男装のギルドマスターの妻となったエーリカも、ルトガーとギルドに守られながら生涯幸せに暮らした。



(了)

昨年は大変お世話になりました。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

皆様にとって良い一年、飛躍の年でありますように!

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