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匂わせは終わりのはじまり

私はこの人のもの、私この人と今付き合っているのという匂わせをする女性は一定数いる。

独身者同士の恋愛ならば、どうぞご勝手にとは思うけれど、不倫を自分から匂わせてしまう人ってどうかしているのではないかと思ってしまう。


恋は人を愚かにするとか、恋が人を狂わせると世間では言われていたりするけれど、私からするとそれは恋ですらないように感じるのだ。


なぜなら、匂わせるということは、その関係をもう終わらせてもいい、壊してもいい、危険に晒してもいいということだからだ。


本人は今が最高とばかり盛り上がってやっているのかもしれないけれど、人に知られては困る関係、忍ばないとならない関係において匂わせをするというのは、その関係に対しての破壊工作とも取れるから。


相手と関係を今後も本当に持続したいならば、そんなリスクは何としてでも避ける筈だ。

リスクを承知でやるならば、それはもう恋ではなくて、単なる自己顕示欲の奴隷になっているだけではないのか。


そのようなことをしてしまう状態になるのは、相手への恋や愛は既になくなっているからだ。


相手への想いや配慮よりも自分の欲を最優先しているに過ぎない。

自分の自己顕示欲のために恋愛や結婚をする人には、相手への本当の愛は無かったりするものだ。


恋愛で我を失うような人に、元々他者への思いやりのある人はおらず、大抵みな自己中だ。


入社三年目で他部署から秘書室に配属させられた私は、先輩秘書の補佐として秘書見習いになった。

そしてすぐにその先輩と社長が不倫の関係であることに気がついた。


社内恋愛禁止なのに、社長はいいの!?しかも不倫よねって思ったけどね。


「藤本さん、今日もお願いね」

「はい」


社長と先輩の逢瀬をカムフラージュ、アリバイ工作をするのが最近の私の役目になりつつある。

宿泊を伴う出張先での二人の宿の手配や密会先の予約等までやらされている。


私が秘書室に異動させられたのは、秘書資格を持っていたからではなく、社内の噂話や女性社員の悪口大会に参加していない、浮いた噂の無い身持ちの堅い女性社員(非モテとも言う)として上司から推薦されたからだと知り驚いた。


6歳上の先輩はほんのり古風なロングヘアのすれ違えば思わず振り向かずにいられない正統派美人。仕事もそつなくこなし、如才ない。社内でもマドンナのような扱いだった。

しかも社長の奥様とは同期で同僚だったという。

奥様には三年前双子の男児が誕生している。夫婦仲は悪くなさそうではあるのだけれど、不倫をする人の気持ちは私にはわからない。

特に自分の顔見知り、知人や友人の夫、妻の知り合いや友人と関係を持ちたがる人の感覚はまるでわからない。

不倫の中でも最も酷い裏切り、最も甚大なダメージを与えると感じるから。


バレなければいいのか? バレさえしなければそれで済むというものではないだろう。



ある時、奥様から名指しで私に電話があった。宿の予約等を私がしているために、私と社長との仲を疑ったようだ。


「本当にあなたじゃないのね?」

「誓ってわたくしではございません」

「では誰なの?あなた知っている?」

「申し訳ございません、それは存じません」


もしバレたら相当の修羅場になるだろう。


その時は奥様は引き下がったが、警戒されて私を尾行したり見張られてしまうことになった。

私が囮役として注意を反らしているうちに、不倫関係はもう清算して欲しかった。


先輩に報告すると、フフフッと鼻で嗤っていた。

その後気をつけるかと思えばそんなことはなく、わざわざSNSで匂わせるような写真を載せるようになって愕然とした。

宿泊したホテルや顔だけ隠した浴衣姿の二人の写真、社長が普段身につけている時計や外した結婚指輪の写真まで載せていた。


ヒヤヒヤ、はらはらとして、私の方が胃が痛くなりそうだ。


(バレたら困るのは、先輩だけではないのに)


「ねえ、藤本さん、あなた今彼氏はいないの?」

「はい、おりません」

「じゃあ、あなたが社長と付き合っていることにしてもらえないかな?」

「えっ!?」

「お願い、そうして!」

「···社長はそれでよろしいのですか?」


( バレそうになったら、人に押し付けて逃げるの?結局この人は本当に社長を好きとか愛しているわけではないのね。バレたら困るならなぜ匂わせるようなことをするのだろう?)


「きっとわかってくれるわ」


なんて勝手な人なのだろう。私は怒りがこみ上げた。

不倫は賛同も支持もできないけれど、やむを得ず妻子ある男性に惹かれてしまう人もいるかもしれない。そして一線を超えてしまう人がいるのだ。

それでもそれはその人の責任だ。


自分の色恋沙汰の責任すら自分で負わないなんて、そんなの恋や愛では全くないわ。


私は先輩に身代わりを頼まれたことを社長に伝えた。社長は憔悴していた。


「すまないな。嫌なら断ってくれて構わない」

「私は辞表を出します。後は社長のよろしいようになさって下さい」


身代わりをしてもしなくてもこの職場で働くのは限界だった。

既に社内は私が不倫の相手ではないかと言う噂で持ちきりだった。

これは先輩がわざと広めたのかもしれない。

社長のプライベートだって守秘義務があるのに、これでは秘書として失格だ。

私は気がつかないうちに外堀を埋められてしまっていた。


三流週刊誌に嗅ぎ付けられて、顔写真は伏せて密会写真が掲載されてしまった。

私とも先輩とも判別のつかない写真だった。

社長と秘書の不倫なんて格好のゴシップだ。

私は出社したくても出社できなくなってしまった。


私は破格の退職金をもらって、上京先から実家へ帰ることにした。


「藤本さん、本当に辞めるんですか?」


部屋を引き払う日、元の職場の後輩に呼び止められた。


「社長と不倫なんてしてませんよね?」

「ええ、していないわ」

「じゃあ、どうして?」

「社長の奥様が気の毒だったから、私が身代わりならばまだダメージが小さくて済むと思ったからよ」


私の母は父が不倫相手と駆け落ちしてしまってから、鬱になって自殺未遂を繰り返した。


まだ幼児だった私を祖父母に預けて、母も別の男性と再婚して新しい家庭を築いた。

私にはまだ会ったことのない弟がいた。母にすら以後一度も会っていない。


私の顔立ちは父に似ているので、母は私をもう二度と見たくないのだ。


大学の後輩に熱烈に交際を申し込まれて付き合ったら、彼が私の腹違いの弟だと気がついた。


私は姉弟とは知らずに愛し合ってしまった。


初めてを捧げたのが実の弟だったこと、その事が私に今も影を落とし続ける。

言い知れぬ闇に落ちたような、今も暗い淵の中に立たされている気がする。


私の父が不倫をしなかったら、母が鬱で苦しむことも、私が近親相姦をすることもなかったかもしれない。


不倫は不倫をした者同士だけの問題では決して済まない。


不倫相手の家族、自分の家族の人生を狂わせ、完膚なきまでに家庭を壊し、滅茶苦茶にするのだ。



「俺、藤本さんが好きです。俺と付き合って下さい!」

「······!?」


一つ下の後輩は、優秀で良く気がつく、笑顔が爽やかなとても健全そうな青年だった。

私にはもったいないぐらいの好青年だ。


私が返事を躊躇していると同時にお互いの携帯電話が鳴った。


***


社長が辞任し、社長の弟が新しい社長に就任することが決まった。

社長は離婚せず、北陸の子会社へ出向が決まり家族揃って新天地へ赴いた。


先輩は今も秘書室にいるが、新しい社長秘書には男性が就いたため、降格して雑用をやらされているらしい。


その後私が後輩と婚約したのを知ると、歳の離れた資産家とスピード婚をして先輩は寿退社で去っていった。


婚家では財産目当てだと疎まれ、また不倫に走った先輩は高額な慰謝料を請求されて追い出された。

今では質の悪い男とつるんで転落人生を爆走していると聞いた。



後年金に困った彼女は元社長を過去の不倫をネタに脅った。本当の不倫相手は自分だったと。


厚顔無恥とは彼女のことを言うのだろう。


彼女は愛とか恋ではなくて金と欲で動いている。


更に罪と借金を背負うことになった匂わせ女子の最後は自滅だった。


愛か欲かを見誤ると、このように自分の首を締めることになるのだろう。



私は結婚して藤本から安堂になった。

欲ではなく愛を向けてくれる誠実な夫と可愛い娘達を得て、今は最上の時を過ごしている。



(了)

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