一人になりたくて
とある都内の某所、心の整理をしに、あるいは心を癒しに一人になりたくていらっしゃるお客様をサポートするカフェがある。
客層は8割が男性だ。女性はどちらかというと誰かに寄り添ってもらいたがる人の方が、そうではない人よりも多いせいなのか、日によってばらつきはあるものの、だいたい2割くらいだ。
今私が担当しているのは、ブリザード部屋。
氷結部屋とも言う超絶寒いお部屋をご所望のお客様向けの癒しのエリアだ。
ネイティブアメリカンの、心身の治癒と浄化の儀式、精神的な再生をデトックスと共に行うスウェットロッジに魅せられたオーナーが、それに近いテイストのリトリートカフェを考案して作ったのがこのお店。
ヒッピー世代のオーナーはいつもピースフルな笑顔を振り撒いている。彼自身がネイティブアメリカンの長老に見えないこともない。
一応スーツは着ているのだけれど、ダークスーツは着ずに明るめのナチュラルカラー。ノーネクタイで白髪のロングヘア。どう見ても自由業の人という風情だ。
若い頃はそこそこイケメンでモテただろうと想像できる。いや、モテているのは今もかわらないかもしれない。
バツイチ、子ども無しの彼は、彼女が途切れたことがないようだ。だからか、肌艶も良く体型もシュッとしていて、実年齢よりも若々しい。
看板メニューの蒸し風呂部屋もあるのだが、変わり種としてのブリザード部屋(蒸し風呂とは真逆)も隠れた人気がある。
どちらもお客様にもしものことがあったらいけないから、医師免許か看護師資格のある人が常駐している。
私はこの癒しのコースは体験したことはないけれど、自分も精神的にどん底になると一人になりなりたいタイプ、お願い今は一人にしてくれと思ってしまう方だから、ここを利用する人達の気持ちはわかるような気がする。
でも、お店の方向性が最近いまいちわからない。
ブリザード部屋から出て来る人へ接客する時のユニフォームが、雪ん子スタイルなのよね。
絣のもんぺに、上半分の着物に割烹着、簑笠を被り、雪掻き用のブーツなのは、雰囲気を出すのに良いのかなとは思うけど、癒し部屋から出て来るお客様に、「ああああっ」という、熱烈なハグを受けなくちゃならないのは、これはちょっと違うのでは?
「お帰りなさいませ。暖かいお部屋とお飲み物を御用意し····」
というご案内の前に、ブリザード部屋から出て来た人にガバッと抱きつかれるのが定番化しているような気がする。
ここのバイト料に抱きつき料も入っているなんてことは···無いよね?
抱きついて来た人を、よしよしポンポンするのは、料金外の無料サービス?
この前なんか「お母さ―ん、ううう···」って、えぐえぐ1時間以上も抱きつかれたまま泣かれてしまった。
そんな時の、私のスンな感じがいいんだよとかオーナーには言われているけど。
何も言わずによしよしポンポン、さすさすがいいんだと。
しかも、今度はネイティブアメリカンの女の子の格好で見送り、お出迎えしてくれと言うリクエストまであったとか。
それも、ハグ付きなんですかねえ?
それでも、そのような抱きつくお客様ばかりではない。黙々と淡々と一人を極めて、スッキリされて帰られる人もちゃんといる。
ネイティブアメリカンの格好は、定番の蒸し風呂部屋では既に開店当初からやっていたが、ブリザード部屋エリアではまだやったことはなかった。
テスト的にお客様の反応を見てやろうということになって、その第一回目がこれからはじまる。
オーナーはノリノリで私のメイクまでやってくれた。ネイティブアメリカンジュエリーもじゃらじゃら付けてコーディネートに抜かりはない。
なんだろう、いつものもんぺに割烹着スタイルよりも気分が上がる。
ブリザード部屋は二度目のご来店のお客様がやって来た。
「いらっしゃいませ」
「···どうも」
三十代後半くらいの彼は、こちらを一瞥すると予約した部屋の方へ足早に通りすぎて行った。
「行ってらっしゃいませ」
そう私がお辞儀をすると、彼は無言で振り返った。私へ会釈を返すとまたすぐに部屋へ向かって行った。
今日はブリザードエリアの3部屋全てが予約で一杯だ。
「結構さ、君目当てで来ている客もいるね、これは」
「ええ、そんな!?」
「心が奈落に落ちている時に、優しく接客してもらえると、それだけで惚れる客もいるよね」
「···それは地獄に仏効果、吊り橋効果みたいなもので、錯覚じゃないんですかね? そういうのって長く続くものなんでしょうか?」
夢から覚めたら、こんな筈では···とかにならないのかなあ?
「まあ、そう言わずに、看板娘として頼んだよ」
オーナーは楽しげに私の背中をポンと軽く叩いた。
その時、けたたましい音と共にエマージェンシーランプが点灯した。二度目の来店のお客様の部屋だ。常駐看護師と私は全力疾走で駆けつけた。
ドアの施錠を外し、開閉レバーを上げドアを開放した。ブリザード部屋の名の通り、人工の雪が勢い良く吹雪いていた。
人工雪の装置の電源を急いで切った。視界はクリアになった。
お客様は両目を押さえてうずくまっていた。
「どうされましたか?」
「····す、すみません、コッ、コンタクトレンズを外すのを忘れて···」
これは比較的多いエラーだ。見ている方が眉をしかめてしまいそうなくらい痛そうだった。
「無理に目を開けようとせず目を閉じて下さい、手で擦らないで」
「部屋を出ますので、私の手に掴まって下さい」
看護師と私の吐く息も白く、凍りそうだ。
ゆっくりと立ち上がらせると、彼の腕を肩にまわして体を支えた。
看護師はオーナーに早速電話で連絡している。
医務室の長椅子に横たわらせると、点眼で乾燥が緩んだのか、涙目になりながらようやく目を開いた。コンタクトレンズが凍るのではなくて、急激に乾燥するのだ。
看護師がコンタクトレンズをそっと取り去り眼球に怪我が無いか確認した。眼科に連れて行く手配を済ませると、看護師が彼に付き添った。
「コンタクトレンズを外すのを忘れずに」
お客様へ注意喚起するために、ブリザード部屋のドアの表裏に大きな字体で印字したプレートを早急に取り付けた。
その日はすぐに通常通りの営業に戻った。
点眼薬と軟膏が処方されただけで、そのお客様は無事だった。
その後そのお客様は、付き添った看護師と恋に落ちてそのまま結婚した。
私は雪ん子スタイルとネイティブアメリカンスタイルを日替わりでするようになり、カフェも繁盛している。
ネイティブアメリカンスタイルの時の方が抱きつかれることが減ったので、まあ、もうちょっとこのバイトを続けようと思っている。
雪ん子スタイルの方がより抱きつかれるのは、それはお客様がやっぱり日本人だからかな?
一人になりたくて来店したのに、結局はその後人恋しさに抱きつく、一人になりに来たのに、そこで恋に落ちてしまう。
人が本当に一人になれるのは、なかなか難しいことなのでしょうね。
(了)