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その生き物はもういない

まったく自覚はなかったが、ある人にとっては私の外見が「物凄く好み」であるらしい。


ある日の土曜日、できたばかりの市立図書館へはじめて行ってみた。

どれだけのスペースで私が読みたそうな本がどれぐらいあるかをチェックするためだ。

期待した程にはなく、書店にも置かれていないマイナーな書籍を求めていた私は、ここにも無かったかと残念な気持ちだった。


仕方なく3階のフロアで唯一タイトルが気になった本を手に取り、館内の閲覧スペースの6人掛けのテーブルの、丁度ひとつだけ空いていた席に座った。

読み進めて見るとその本も自分が想像したような内容ではなかった。館内もかなり混んで来ていたから、落ち着かず読書にも集中できなかった。

今日はもういい、帰ろうと私は席を立った。


「もう帰っちゃうの?!」

誰かの驚きと当惑の滲んだ声がその場に響いた。

声がした方を見ると、長めの黒髪に黒縁の眼鏡をかけた二十代くらいの痩せぎすの男性が目に入った。その男性は私の6人掛けのテーブル席からは離れた、窓際に設置された個別の椅子に座っていた。

その場にいた人達も一斉にその男性の方を見ている。

本人もきっと声に出すつもりはなかったのだろう。

「しまった」という半ば呆然とした表情でいる。


自分のまわりを見渡すと今いた6人掛けのテーブル席には私しか女性はおらず、席を立ったのもどうやら私だけで、彼の視線も確かに私の方を向いている。

これはもしかして私に向けて言ったものなのだろうかと戸惑った。

その場が凍りついていたので、取りあえず「はい、用があるのでもう帰ります」と返事をした。

「なんだ、知り合いかよ」という別の誰かのつぶやく声がして、妙な空気が一瞬流れてから、それぞれが自分の手元の書籍へ視線をやっと戻した。


彼はその場でまだ固まっていた。仕方なく私が愛想笑いを向けると、何か言いたげに口をはくはくさせていた。

少し待っても彼はそのまま何も発しなかったので、軽く会釈をしてその場を後にした。


見ず知らずの人にそんなことを言われたのはこれがはじめてだったし、それ以後もない。


もう帰るのかということは、気がつかなかったけれど、彼にずっと自分が見られていたということだ。それは恥ずかしくもあり、申し訳ないけれど少し気持ち悪さもある。

人の好みは様々だけれど、その時の彼にとっては、私はもう少し眺めていたい対象、私に気がつかれずに盗み見るくらいの価値はそれでもあったのかもしれない。


あれ以来あの図書館には行っていない。


自分の人生で最も美しかったのはいつの頃かと聞かれたら、あの図書館でそんな風に言われた頃が自分なりのピークだと答えるだろう。


それから年月が経ち、私の容貌は驚く程変化した。

二十代の後半から白髪染めをしなくてはならなくなり、シミやそばかすも増え、極度の近眼と乱視で眼鏡をかけるようになった。

その上、アトピーを患ってからはずっとノーメイク。

白髪染めにもアレルギー反応が出てしまい、髪は染められなくなって白髪のままのグレイヘア。

それに対して夫は「おばあちゃんみたい」だと嘆いた。妹や姪らにも「え~、まだ早いよ~」「なんか犬みたい」とか言われ放題だ。

体重に至っては当時よりも25キロほど重くなった。太っているからシワだけは目立たない。

以前はスカートばかり履いていたが、今はほぼスカートは履かないし、ヒールのある靴も滅多に履かなくなった。


他者からみれば、あれはもう女捨てているという目線で見られているのだろうと思う。


当時の私を知る人から見れば、今の自分はまるで別人であって、同一人物とはまず思わないだろう。


老けるのが早い家系、劣化の激しさは遺伝のせいなのか、いつか見た叔母の若い頃の写真と経年の劣化度合いのギャップの激しさを私も見事に踏襲している。


老化や劣化にあえて抗うことをしなかったのは、涙ぐましいほどの必死なアンチエイジングが元々好きではなかったのもあるけれど、ストーカーから身を隠すのに都合が良かったからだ。

結婚後もまだ追いかけてくる相手から逃げるのに、整形や変装の必要がないくらい、自分を守る鎧を身に纏うように私の容貌は一気に変わっていった。


これも、敵から身を守るための防衛本能である擬態のようなものなのかしら?

私自身が、あの頃の自分はまるで幻のように思える程だ。


あれは本当に私だったのか?


鏡を見るたびに疑問が浮かぶ。


子どもの頃から写真映りが悪い子ね、実物と違う、実際の方がいいねとよく言われたものだ。

見た通りのそのままの私を留める写真はほぼない。私自身も写真を撮られるのが苦手で自分の写真はそう多くない。老化で劣化すると写真映りの悪さでより劣化して見える。


「もう帰っちゃうの?」


あの時のあの人のように、帰るのを思わず引き留めたくなるような、誰かにとってまだ見ていたいと思わせるような、そんな生き物はもうどこにもいないのだ。


もしいるとすれば、彼らの中の遠い記憶の片隅にだけ、その生物はまだ生き続けているのだろう。


自分ですら見ることができないかつての私が。


彼らが思い出しもしないのなら、その生き物はもうとっくにこの世には存在しないのだ。



(了)

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