第七十二話 アナハイム国際会議にて
「子供用のスーツってのもあるんだな」
「大輔も意外に似合ってるよ」
まあスーツ姿には長年着慣れていたせいか、そこまで違和感はない。だがこうして健太に褒められると、ちょっとむず痒い。
「あら、本当に格好いいわよ、大輔君」
「馬子にも衣装じゃな」
美和子さんは完璧にビジネススーツを着こなし、まるで海外ドラマに出てくるキャリアウーマンのようだ。
爺さんは、当初甚平姿で行こうとした様だがドレスコードに引っ掛かると説得されやむなくスーツスタイルへ変更
「ふん、甚平で通すつもりじゃったのに、ドレスコードだ何だとうるさいの〜」
ぶつぶつ文句を言いながらも、結局スーツを着せられている。しかも鏡の前でやたら姿勢を直したり、ネクタイの角度を確認したり。……乙女か。
「まあまあ爺さん、意外と似合ってるから安心しなよ」
「息苦しくて叶わんわい」
口ではそう言いつつ、顔はまんざらでもなさそうだ。
「では参りますか、戦場へ」
美和子さんが短く告げ、俺たちは国際会議場へと足を踏み入れた。今日の目的はただひとつ――マイクロンソフトCEO、ビル・ゲイツとの接触だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『このように、未来のネットワーク社会の到来において、我が社が担うべき役割は――』
壇上から響くスピーチに、会場中が引き込まれていた。これが数年後、世界を動かすカリスマの言葉か。通訳を介さず聞き取れるよう努力してきてよかったと心底思う。
『――ご清聴、ありがとうございました』
拍手が会場を包む。俺達も思わず手を打ち鳴らした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
壇上から降りてきたビルへ、美和子さんが一直線に歩み寄る。警備が立ちはだかるが、ビル本人が片手で制した。
『初めまして、ビル。私は日本で投資コンサルタント会社を経営しております、ネクスト代表ミワコ=カザマと申します。先ほどのスピーチ、大変感銘を受けましたわ』
『おお、君が例の日本企業のCEOか。まさかこんな艶やかな女性とは知らなかったよ。いやはや、失礼したね。私はマイクロンソフトCEO、ビル=ゲイツだ。どうぞよろしく』
掴みは上々。ビルの目尻が愉快そうに細められる。
『先ほどのスピーチで語られた未来のネットワーク社会、その構想に深く興味を抱きました。もし差し支えなければ、詳しくお話を伺えませんか? 本日この後のご予定は?』
ビルは一瞬考え、隣の秘書に予定を確認する。
『ううむ、残念ながらスケジュールが詰まっているようだ。Mrs.美和子、こんな美人の誘いを断らねばならんとは……残念な事だよ』
そう残念そうに肩を竦め、会話を切り上げようとした――その時。
『開発コード、NTカーネルについて興味があるのですが、如何ですか?』
俺が口を挟むと、ビルの足がぴたりと止まった。驚愕の表情で振り返り、俺を真っ直ぐに見つめる。
『……失礼したねボーイ、今君は何と言ったのかね?』
『此方こそ失礼しました。私、ネクストにて投資アドバイザー(仮)を務める、ダイスケ=カザマと申します。代表であるミワコ=カザマの息子です』
そう言って差し出した名刺を、ビルはしげしげと眺め、そして大きく目を見開いた。
――よし、釣れた。ここからが正念場だ。