1話「堕ちる」
俺の人生は順風満帆だった……はずだった、あの時までは。
薄暗い部屋、部屋を照らす照明は不規則に点いたり消えたりしてる。はぁ……この娼館は照明を取り替える余裕すらないのか?
その不規則な点滅に照らされた室内には、淫靡な残り香が漂っている
「つう……」
まだ慣れない。いや、慣れてしまったら終わりだろ──。
不快な感覚に耐えながら、ベッドから起き上がり窓辺に向かう。カーテンを開けて外の景色を眺めてみた。
曇天の雲、まるで今の俺の心情を表しているかのようだ。
そして見える街の景色はお世辞にも綺麗とは言い難い、ギラギラとして、雑多で汚い街であった。
エルーシャ帝国、その南西部に存在するこの街は大陸随一の歓楽街として知られている。
「はははっ、今日も楽しめたよ」
と、ベッドに寝そべり、行為の余韻を楽しんでいたのであろう男がそう愉快そうに声をかけてくる。
「……どうも」
なるべく感情を押し殺しそう返答する。
「だがやはり、脚のそれが邪魔だな。まあそれがないとこんな事出来ないがな。ガハハ!」
チラリと、俺の足首についているそれに目をやる。そこには対象者の魔力を封じる足枷が。
まるで奴隷だな……ホント。
男は最後まで愉快そうな感情を丸出しにしながら部屋を去っていく。
ベッドに座り込む、次の客まではまだ余裕があるし少し休もうか……
目を閉じる。だが────。
「……っ」
唐突に思い出してしまう。魔法学園に通い、友に囲まれながら楽しく日々を送っていた"男"の俺が、今こうして"女"として身体を売り日々を過ごしている事を。
何故こんな事になっている? どうして?
俺は部屋に備え付けられている鏡で自分の姿を見る。そこに映っていたのは一人の少女、紛れもなく少女。
スラっとしたスタイルのいい身体つきがよく強調されている薄い夜着を着た少女は、深いため息をついた。
主張しない控え目な胸に手を当てる、聞こえる心臓の鼓動。間違いなく"これ"は俺の身体だ。
「カノン、ユフィ、俺はもうダメかもしれない……」
愛しき妹と恋人の名、そして弱音を吐きこぼす。行方知らずの恋人、そして今はもうこの世にいない妹の名を────。
次第に眠気が襲ってくる。行為の後は疲れるし眠くなる。少しだ、少しだけ……眠ってしまおうか……
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エルーシャ帝国、大陸随一の領土を持ち世界の覇権を握る国家。
その帝都に存在する由緒正しき魔法学園"アルシア国立魔法学園"。俺が一年前まで通っていた学園だ。
思えば、俺はかなり恵まれていた人間だと思う。
帝国でも指折りの名家である伯爵家の次男として生まれた俺。
四歳上の兄、そして一歳下の双子の妹たちに囲まれて、貴族としての矜持を学んだり、"師匠"から東方剣術を教わりながら日々を過ごしてきた。
十五歳になり、帝都にあるアルシア学園に入学。
アルシア学園は帝国中から優秀な人間が集まり、将来の帝国を支える為の人材を育てるための、この国随一の優秀な学園だ。
入学してからの学園生活は……。とても充実していたと思う。
友たちに囲まれて、恋人にも恵まれ……。ああイラつく。自分のことなのに。コイツ恵まれ過ぎだ。
だがそれらは全て仮初であった。友だと思っていた人間どもに貶められ、裏切られ、なにもかもを失った。
憎い、憎い、何故俺が?
あの日から何度そう思ったか。だがいくら憎しみを募らせても、今の俺はなんの力もないタダの一人の娼婦にすぎない。
奴らも憎いが、なにもできない自分も──。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「エリー! てめぇなんで寝てるんだ!?」
やかましい怒鳴り声と衝撃で目を覚ます。
「……いてぇ」
どうやら蹴り飛ばされたみたいだ。このクソジジイが……。
怒鳴り声の主に視線を向ける。この高圧的なクソジジイはこの娼館の主人の夫。
主人である妻にはいつもヘコヘコしてて、俺ら娼婦たちには威張り散らしてるクソみたいな人間だ。
ちなみにエリーというのは女となった俺の名前である。エリックだからエリー、実に単純だろ?
「あ? なんだその目は?」
……ったく。いちいちイラつく奴だコイツは。
「いえ……なんでも」
だが、コイツに逆らっても良いことはない。イラつきを抑えながらそう返答する。
「寝てる暇があったら雑用でもしてろ!!」
と、怒鳴り捨て部屋を出ていく奴。
「ちくしょう……」
立ち上がり、部屋の掃除を始める。この娼館は人手が足らず、この手の雑用も娼婦がやっている。
窓を開けて、淫靡な残り香を外に逃がす。汚れたシーツを取り替えて掃除を終え部屋を出る。
「あの……お疲れ様です! エリー姉さま!」
と、背後から声をかけられる。そこにいたのは赤髪をした、小柄で気弱そうな少女だった。
彼女の名前はステラ。俺と同じく哀れにも身売りされ、ここで働かされている少女だ。
「うん。ステラもおつかれ」
彼女に労いの言葉を返しながら、薄暗く妖艶な雰囲気を醸し出す娼館の廊下を歩く。
トテトテと、俺の後を付いてくるステラ。小動物みたいでかわいい。
「てか、姉さまはやめてくれって……」
俺がまだここに来たての頃にあのジジイに散々いびられていたステラを庇って以来、なんだかやたら懐かれてししまっているのだ。
そうして、俺とステラは一階に降りる。次の指名まで待機をする為に……