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5-6 昔語り



   ◯◯◯



 夢を見ていた。あまり思い出したくない、海馬の隅にしまっていた筈の記憶。


 夢の中でオルトは自分が夢を見ているという自覚を持っていた。夢の中のオルトは客席面の椅子に座って舞台を見上げていた。


 上映されているのはシルクスのような華やかなサーカスでもなければ、エトワールのような古典歌劇でもない。そこで演じられているのは彼のかつての記憶だった。


 それはまだオルトがシルクスに入団するよりも前の事。

 烏丸リヒトの意向で研究施設から引き取られたオルトは、花の香りを纏った夫人が暮らす連れて行かれた。


「リヒト様が獣人に興味を持たれるなんて珍しい」


 そう言って笑いながら、彼女はオルトの入ったゲージを興味深そうに眺めていた。これから何をされるか分かったものではないと、オルトはただ檻の内側から体を縮こませてカレンを睨み付けていた。


「この女に傷を負わせたら研究所に残ってる全ての個体と纏めてお前を殺す。良く覚えておけ」


 貴族のその言葉で、オルトのカレンへの絶対服従が決まった。そうでなくても首には躾用の首輪が付けられている。いざとなればカレンが持つボタン一つで、内側から刃物が飛び出して頸動脈を切ると言う優れものだ。


 その頃のオルトは既に人間に対してどう振る舞うのが正解なのか身をもって知っていた。


 以前、こんな話を聞いた事がある。

 まず子どものゾウの足を鎖で縛り、自由を奪う。子ゾウは当然暴れるけれど、まだ幼い体では鎖を外す事が出来ない。すると子ゾウは体が成長して鎖を引きちぎれるだけの力と体格を得たとしても、大人しくずっと鎖に繋がれ続けているのだそうだ。


 あの事のオルトは、鎖に繋がれたままのゾウだった。


 力で劣る筈の人間が怖くて仕方なくて、ただ思考を殺して言われるがまま、命令に従う事で心を守っていた。


 リヒトが別邸を訪れない日、彼女は奴隷の獣人達がまるで自分の恋ビトであるかのように振る舞った。そして獣人達にも同じように振る舞う事を強要していた。


 当時まだ十六だったオルトが彼女と夜を共にしたのは、別邸に連れてこられてから二週間もしないうちの事だった。


 伽の後で、彼女は決まってその日の相手をさせた獣人に昔話を話して聞かせていた。


「この世界はかつて光と炎に包まれた。多くの文化、文明、それから人命が失われたけれど、生き残った人類はかつての旧時代の遺物を守りながら今の時代を築き上げていったの」


 どうして彼女がそんな話をするのかと言うと、それがリヒトから聞かされた最初の話だからだそうだ。


 カレンがまだスミレであった頃、娼館を訪れたリヒトに彼女は買われた。そしてその夜ベッドの中で最初に聞いた話が、それだったそうだ。


 世界が一度滅んだ後で、人間は新たな進化の形を得た。

 それこそが今の獣人の始まりであって、彼らはこの星で生きる新たな生命の形なんだそう。


「リヒトさんが教えてくれたの。世界の秘密の話なんですって」


 そう言って微笑む彼女はまるで恋する少女のようで、花のように綻ぶかんばせに反吐が出た。


 オルトはずっと昔話の類が嫌いだった。その手の話を聞くと嫌でも体を好き勝手に弄ってくる、細くて白い女の手を思い出すから。


 その手の話への嫌悪感が薄らいだのは、シルクスでモネットを上演してからだろう。生々しい、毛皮もなくて脂肪の温かさを直に感じるような女性の体温は、いつの間にか騒がしくて、厳しい指導がとんで、それでも愉快なあの場所の記憶に置き換わっていた。


 オルトがそんなカレンの日課を思い出したのは、チロルに連れられてエトワールの舞台を観劇した日だった。恐らく時代背景が似通っていたから、あんな事を思い出したのだろう。


 シルクス入団してからと言うものの、カレンや別邸で過ごした日々の事を思い出すことは殆ど無かった。それ程あの場所は楽しかったのだ。


 自分の不出来を嘆いた日もあったし、思い悩んだ事もあった。だがそれを差しい引いたとしても、人生で感じた事の無いような幸福であの場所は満ち満ちていたのだ。


 忘れていた筈の事。

 いつの間にか自分でも気が付かないうちに塗り変わっていた記憶。


 それをどうして久しぶりに夢で見たのだろうか。


(そう言えば……)


 今になってふと気が付いた。

 カレンの話していた世界の秘密とやらは、物語の主人公であるシオンが最後に辿り着いた『夢想人ファンタジアが誕生した理由』と一致している。


 烏丸リヒトがその日初めて出会った娼婦に寝物語として話して聞かせたそれが、たまたま異端視されている【辺境のモネット】だったのだろうか。

 あるいは……。





 と、夢の中で思考に耽っていたところでオルトは目を覚ました。


 寝ぼけ眼をこすりながら見上げた天井は、自分の知るものではなかった。


「なんか、夢……見てたような……」


 ここは何処だ? シルクスの自室では無いようだけれど……。


 微睡のもやが引かぬ頭で考える。だが次第に思考がクリアになるにつれて彼の動作が緩慢なものになっていった。


「チロルさんッ!」


 そして、声を上げながら飛び起きた。


「……は?」


 見回した部屋は、オルトの記憶の中のどれとも一致がしないものだった。


「ここ、何処だ……?」


 どうやらここは倉庫か何からしい。積みあけがられた木箱の中身は食材か何かだろうか。荷物を無理やり脇に寄せて作られたスペースに、布団を敷いてそこに寝かされていたようだ。


 身の安全を確保されていたと言う事は、ここは危険な場所では無いのかもしれない。


(だけど……ここは人間のマチの匂いじゃない。この匂いは……)


 人間と獣人は微妙に体臭が違っている。そのためどちらの人種が多く住んでいるのかで、微妙にマチの匂いが変わってくるのだ。一つ前に訪れた犬塚で、初めて知った事だった。


 ここの匂いは間違いなく地上のマチではなく、地下の獣人街のそれだった。

 それなのに自分の傍にチロルの姿が見当たらない。


(凄い血を流していた……手足が削られてて、目がくり抜かれてて……。あんなの、あんな傷じゃとても、生きていられない……)


 わなわなと体が震える。寒気ではなく、這い上がってくる恐怖によって。

 喉の奥で声が絡まった。


 脳裏に浮かぶのはまるで肉塊のようになってしまったチロルの体。矮躯の何処からあれだけの血が流れるのか不思議になる程、辺り一面を真っ赤に染め上げたチロルの姿が脳裏に浮かぶ。


 余りにも凄惨で、グロテスクですらあったあの姿を思い出すと、腹の奥から酸っぱいものが迫り上がってきた。

 だが自分の胸元を押さえて、彼はある事に気が付いた。


 体の痛みが無いのだ。あらぬ方向にへしゃげていた筈の足だって骨が真っ直ぐになっている。


 あれだけの怪我を負って体の痛みが無いなんて、そんな事あり得ない。もしかして自分は体に負った怪我が完治するまでの長い間眠っていた、なんて言うんじゃないだろうな。


 だとしたら彼女は、シルクスはどうなったのか。


「おっ、起きてんな。良かった良かったァ」

「チロルさんッ‼︎」


 背後から聞こえてきた声に、オルトは反射的に声を上げた。

 だが、そこに立っていたのは待ち望んだ彼女ではなく、若い獣人の男。


「残念ながら、俺は『チロルさん』じゃねぇんだわァ。悪いなァ、麗しの乙女じゃなくて俺みたいなオッサンが出てきちまってェ」



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