5-5 少女の祈り
「そんな……! なんでこんな、ボクのせいで……!」
傷口から見てもそれらは全て獣人によって付けられたものと見て間違いないだろう。
想像する事しか出来ないが、彼がこんな怪我を負ったのは自分を助け出そうとしたからではないだろうか。
「息はしてる……救急セット……!」
鞄の中に用意していたいいざと言う時の治療道具を取り出そうとして、それらは全て彼に預けてしまっていた事を思い出した。
「なんでだよ……ッ!」
恐らく旅の荷物は喧騒の中、全て犬塚に置き去りにされてしまったのだろう。苛立ちに奥歯を噛んだところで、現状は何も変わらない。
「体が冷たい、血を流し過ぎてるんだ」
しかしどうすれば良い。いくら獣人の治癒力があるとは言ってもこのまま放置していたら危険でなのは明白だ。助けを求めようにも今の状態のチロルが獣人と鉢合わせた場合、次こそ命はない。
何があって助かったのかは全く分からないが、あの都合の良い状況がそう何度も繰り返されるとは思えなかった。
治療も出来ない。助けも呼べない。
追い詰められた状況下、少女の双眸には涙の膜が張る。
シルスクのメンバーが連れ去られた時以上の恐怖心が彼女を包み込んだ。
「いやだ、いやだオルト! こんな所で死ぬなよ!」
どうしようどうしよう。何をすれば彼の命を守れるのか。
小さな洞穴に少女の悲痛な叫びがこだまする。それでも救いの手が差し伸べられる事はない。この場所には自分と、死にかけのオルト以外に誰もいないのだから、チロルが何とかしなければオルトは助からない。
「お願いだ、誰か……オルトを助けて! ボクの家族なんだよ! 誰か……誰か!」
指を胸の前で組み、チロルは祈った。知識もない、技術も道具もありはしない。出来る事なんて願う事くらいなものだった。
どうかどうか。彼を助けて。
自分の何を支払っても良いから、彼を助けてください。
家族と一緒に平和な日常を謳歌していたかった。それだけなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
この世界に独りぼっちになってしまったら、自分は何処で、どうやって生きていけば良いんだ。
「ボクが悪いのか……?」
シルクスを守りたい一心だった。それでも自分がモネットなんてやろうと言い出さなければこんな事にはならなかったんじゃないのか。
モネットは獣人の発生起源について描いた演目だ。それを表立って公演したからこそ、現状の王政府社会に異を唱える可能性があるとシルクスが目を付けられてしまったのではないだろうか。
ギムがテロを扇動したと国家反逆の罪を着せられた。ヤマダチに目を付けられて家族が連れて行かれた。
その結果、自分を守ろうとしたオルトが傷付けられてしまったのではなかろうか。
「ボクが……バニラだって最初は反対してたのに……負けたくなくて、シルクスは凄いんだって証明したいがために……皆んなをこんな……!」
自責の念で体が震える。
この世界の何よりもシルクスを愛していた筈なのに。自分が下した軽率な判断によって、家族が危険に晒された。
そう考えると自分の喉を掻き切ってしまいたい衝動に襲われる。
「支払えるものなら、なんでも払うよ……!」
震える声でチロルは、誰に言う訳でもなく言葉を繋ぐ。
「もう二度と歌えなくなったって構わないから。この喉が潰れてたって良い。命を持っていかれても文句なんて言わないから……だからお願いだよ! ボクから家族を奪わないで!」
非力で何も無い自分に捧げられる物なんて何も無い。それならばいっその事、命すら対価として差し出そうとも厭わないから。
だからどうか。どうか助けて。
そう彼女が強く強く願った時に、とある変化が訪れる。
指を降り天を仰ぐ少女の姿はまるで、旧時代に存在していた神職の――祈りの対象にその身を捧げた聖女のようだった。
そしてそれは、チロルの祈りに呼応するように動き出す。
彼女の背後に鎮座していた宝石の結晶が、パァッと強い光を放ち始めたではないか。
「な……っ!」
突然の事に慌てて振り返ったチロルの目が、光を捉える。
先程までのぼんやりと洞穴を照らしていたような淡色の光とは違う。強い光が煌々と洞穴の中を照らしていた。
するとどうだろう。目の前にある光に同調するように彼女の瞳もまた、光を帯び始めたのだ。
元々、同じような色味をしていた宝石と瞳。その二つが波長を合わせて輝き出す。
チロルの願いに応えようとする鉱物にはまるで、ヒトの意思が宿っている様にすら思えた。
「お願いだ、彼の体を治して。もう一度……オルトに会いたい」
チロルは縋るように言葉を吐いた。
彼女自身、目の前のそれと自分に何が起きているのか理解出来ている訳では無かった。ただもうこの際なんでも良かったのだ。文字通り藁にだって縋るような心情でチロルは祈る。
するとどうだろう。彼女の呼び声に応え結晶から放たれる光が強くなると、その光がオルトを包み込んでいった。
「……」
超常的な何かが起こっている。それこそまるで絵本に出てくる魔法のような何か。
ただ今はそんな事どうでも良くて。
彼の声が聞きたい。その願い以外は頭になかった。
チロルの脳裏に浮かんでいるのは、サーカスで共に過ごしたオルトの姿。
裏方としては正直不器用で失敗ばかりで、本当に手の掛かる後輩だった。舞台に上がる権利を得た彼に嫉妬をした事もあった。それを呆気なく手放されて激昂した事もある。
「こうして考えてみると、ボクはお前に助けられてばかりだな……初めて出会った時から、ずっとずっと……」
舞台に上がればその類稀な身体能力で見るものを惹きつける。強張った体を解いて、舞台に上げてくれたのも彼だった。
シルクスの皆んなが連れて行かれてしまった時、折れそうになるチロルの事を献身的に支えてくれた。
優しくて、真っ直ぐで。それこそ本当に満月みたいに温かい。
チロルの大切な、大事な家族。
「ねえ、オルト。ボクはまだお前と、見たい景色が沢山あるんだ。話したいことが沢山ある」
始まりは奴隷だった彼をチロルが無理やり引き込んだようなものだったけれど、楽しかったのだ。一緒に笑って、時には喧嘩をして。すれ違っても、傷つけ合っても。
それでも柔らかく細められた彼の満月みたいな瞳にずっと、支えられてきた。
だから。
「ボクはお前と、皆んなと……これからも一緒に旅がしたい」
彼の手を握り込むとチロルはその手を額に押し付けた。自分よりも大きな、少しゴワゴワした毛に包まれた掌。
名前をつけたばかりの彼に、奴隷商人から守られた事があった。あの時はチロルの力で彼を助ける事が出来なくて、結局ギムの力を借りた。その事を気にしていた事もあった。
だけど、今度はきっとボクの力で助けてみせるから。
お願い。またボクの名前を呼んで。
広い世界を旅しなくちゃ勿体無い。そうだったろ?
「お願いオルト、ボクをひとりにしないで……側にいてよ」
体の力が少しずつ抜けていく。
元々消耗していた体が更に擦り切れていくような、何かが抜け落ちていくような感覚を覚える。あの宝石の力なのだろうか。詳しい事は分からない。
それでもチロルは懸命に祈った。
どうかどうか大切な家族が、これから先も自分の隣にいてくれますようにと。
体力が尽きてその場に崩れ落ちるその時まで、チロルはオルトの手を固く固く握り続けていた。




