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5-3 光る洞穴


「大丈夫です、大丈夫ですからねチロルさん。きっと助かりますから、だから……だから死んじゃ駄目ですから……!」


 チロルが受けた暴力は、自分がこれまでに晒されてきた人間からの暴力と大差ない。これではただ獣人と言うだけで自分達を不当に扱う人間と何も変わらないじゃないか。


 涙を拭う余裕はなかった。拭わずとも、どうせ視界は真っ暗だ。


 腕の中でチロルの体温がどんどん下がっていく。衣類を破って縛った止血帯に、どれだけの意味があるのだろう。


(地上に出て人間の医者に見せれば助かるのか? いや駄目だ。何処に地上に繋がる道があるのかも分からないし犬塚には戻れない……!)


 自分はただどんどん弱っていく彼女を抱えて、宛もなく走るしかないのだろうか。このまま彼女が死ぬのを待つしかないのか。


 暗闇の中で不安と絶望がオルトの心を塗り潰す。

 こうなってしまってはもう、シルクスのメンバー達を助ける所の話ではない。それ以前にチロルが死んでしまう。


 どうすれば良い。

 どうしたら彼女を救えるのだ。

 この小さな命を守ることが出来るのだろう。


「誰でも良い、誰か……誰かお願いだ……! 助け――……」


 縋るように助けを求めたその瞬間、彼の体がぐらりと傾いた。


「しま――……ッ」


 ずるっと、右足の下が滑る感覚。体が宙へと投げ出されたのが分かった。


「く、ぅ……ッ!」


 地盤の一部が陥没して、その下に繋がる穴が出来ていたのだろう。そこに足を取られてしまったのだ。この常闇のせいで気付けなかった。


 重力に引っ張られ、傾いたオルトの体が凹凸の激しい坂道をゴロゴロと転がっていく。


「ぐ、ぁ……ッ!」


 その間にもオルトはずっとチロルがこれ以上傷つくことが無いよう必死に抱き締めていた。


「イ……ってぇ……」


 急斜面の終わり、どさりと音を立ててオルトの体がようやく底に投げ出される。


 どれくらいの高さがあったのだろう。自分が昇って戻れる高さなのか?


 チロルは、彼女は無事なのか。ただでさえ大怪我をしているのに、これ以上の負担を強いてしまっていたらどうしよう。


「まじで、なんで……ッ、え……?」


 あれやこれやと考えていた筈の思考が足を止める。

 そこに広がる光景に、彼はただただ言葉を失った。


 陽光が届く事のない地下深く、旧時代に作られた移送手段の一種であったチカテツ。そこはヒトによって管理されたマチ以外灯りなんて無い筈の常闇である筈なのに。


「光……」


 彼が落ちて言ったその先には小さな洞穴ほらあながあった。地盤の崩壊によって偶然出来た空間なのだろうその場所は、まるで夕暮れ時のように、薄らぼんやりと光を纏っていたのである。


 久しぶりに確保された視界に顔を顰める。


「光る、石……?」


 どうやらこの洞穴の光源は、目の前にある大きな鉱物の塊のようだった。


 彼の目の前には巨大な紫の結晶があった。かつての飼い主が装飾品として保管していた色とりどりの宝石。貴族から買い与えられた宝石ですら比べ物にならない程、ずっとずっと大きなそれに、目を奪われる。視線が、絡み取られる。


 暫しの間、オルトはその謎の鉱石で惚けていた。


「綺麗だ……」


 その大きな鉱物は、紫色の淡い光を放ちながら、見る角度によって違った色合いに光を反射させていた。


 近い色味を何処かで見た事がある。なんだろうかと考え、オルトは直ぐにそれが、自分の愛した少女の瞳と同じ様な色をしてる事に気が付いた。


「チ、チロルさん……ッ‼︎」


 我に返ったオルトは、落下の衝撃でオルトの腕から投げ出されてしまったチロルの元へ慌てて駆け寄って行った。彼女はその宝石の袂でぐったりと動かなくなってしまっていた。


「チロルさん、チロルさん! しっかり、しっかりしてください……ッ‼︎」


 恥も外聞も無かった。涙と鼻水と血で顔をぐちゃぐちゃにしながらオルトはチロルに声を掛ける。

 すると懸命な呼び掛けのお陰か、うっすらと、眼球が残っている方の目が開かれた。


「オぅ……ゲホッ」


 彼の名を呼ぼうとしたのだろう。しかしごぽりと嫌な音を立て彼女の口から出てきたのは、赤赤とした血の塊だった。鉄臭い匂いが小さな洞穴の中でより強くなる。


 光を帯びた鉱物はこんなにも美しいのに、この場所は死の香りに満たされていた。


「チロルさん!」

「ぃ、て……ぇ、げ、も……」


 彼女が何を伝えようとしているのか、オルトには理解出来なかった。いやいやと子どもみたいに頭を振る。赤黒く染まった彼女の頬を透明な雫がいくつも濡らした。


「チロルさん、死んじゃダメです。帰るんです。皆んなと一緒にシルクスに帰って、また舞台をやるんです。だから、お願いです……まだ伝えられてない事があるんです、貴方の歌がもっと聴きたい……オレは……!」


 ぼんやりとこちらを見つめてくる彼女の瞳に自分はちゃんと写ってるのだろうか。後どれだけの時間、彼女の目に光は宿っているのだろう。


 鉱石のような瞳に映る自分が、どれだけぐちゃぐちゃで情けない姿でも良い。何でも良いから、生きていて欲しい。


 他に何も望むまい。

 願いはただ、それだけだった。


「チロルさん……オレは、貴方の事が……ッ」


 しかしその時。

 ふわりと甘い香りがオルトの鼻腔を掠める。


「ぐ……ッ‼︎」


 芳香が直接、脳を刺激する。

 するとまるで入眠剤を直接頭から掛けられたかのように、急激にオルトの意識が傾いた。


 甘い甘い淫靡な程の強い香りは、その場を充満させていた鉄臭さすらも覆い隠す。香水を顔に直接ふりかけられたような強い臭気と、それに伴う眠りへの誘い。


(なんだ、急に……ッ! 眠気が、引っ張られる……‼︎)


 視界がぐにゃりと歪んで、目の前にある鉱物も、倒れるチロルの姿も輪郭が解ける。


 自分がここでスヤスヤと寝こけてしまっては、もう二度とチロルが目覚める事は無いのでは無いか。

引き寄せられる睡魔に抗うように、オルトは自身の太腿に爪を立てた。


(こんな所で……!)


 オルトは何とか微睡みに引き摺られながらもチロルに手を伸ばす。

 駄目だ、駄目だ。せめて彼女を安全な所へ。


「シルクスに、帰さなくちゃ……」


 夢を捨ててでも彼女が愛した小さなサーカス団。

 自分にとっても初めて出来た、帰る場所。帰りたいと心から願えるあの場所へ。


 愛するヒトを帰してやらなくちゃ。


「チロ、さ……」


 その言葉を最後にオルトは意識を飛ばした。


 夢に落ちる間際、彼の瞼の裏に浮かんだのは、バニラとどうでも良い口喧嘩をしながらも洗濯物を洗う彼女の姿で。その様子をフランが少し離れた所から眺めていて、さらにその奥にはギムのトレーラーがあって。


 家族の織り成す温かくてささやかで、取るに足らない当たり前の日常が浮かんでは、ぱちんとシャボン玉のように消えてしまう。


 あんなに近くにあったのに、どうしてこんなにも遠くなってしまったのだろうか。自分達はただ、当たり前の毎日以外を望んだりなんかしなかったのに。


 涙を一筋零して、彼は眠りについた。その目の前で、チロルはただ静かに目を閉じていた。



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