4-21 誘う手
「ちょっと、何なんだよ!」
気が付いた時にはヒト混みを抜けて、今度はその誰かの腕の中に押し込められてしまう。小さなチロルの体は長いマントの中にすっぽりと収まってしまって、バタバタと四肢を動かして抵抗したところで何の意味も無かった。
やばい、やばいやばい……!
焦燥感が募るけれど逃げ出す手立ては何も無い。
階段を登って、細い道を進んで。そうこうしているうちにチロルは自分が何処にいるのか、オルト達が何処にいるのかも分からなくなってしまった。
(まずい。完全に孤立した……!)
ヒト目に付かない細い路地でようやく解放される。ものすごい勢いであちこち連れ回されたチロルは、すっかり息が上がってしまっていた。
「……!」
それでも咄嗟に相手との距離を取ったチロルだったものの、自分をここまで連れてきた人物の正体に気が付いて目を大きく見開いた。
「お前……ッ」
「お久しぶりです。サーカス団のお嬢さん」
そこに立っていたのは『辺境のモネット』の公演期間中、夜中にシルクスのテントの前に立っていた男。ジャーナリストを自称していた怪しげな男の名前は確か……。
「黒百合ラコロ……!」
「おや、覚えていて下さったのですか。光栄ですね」
柔和な笑みを浮かべてはいるものの、その笑みの薄気味悪さにチロルはジリッと彼からの距離をもう半歩取る。
「そう警戒しないで下さいな」
言葉に出来る明白な理由がある訳では無いけれど、この男を信用してはならないような気がする。それこそ、初対面の時からチロルの中の何かが警鐘を上げていた。
パッと見た雰囲気は確かに人当たりの良い優男と言った印象なのだ。だが言い様の無い違和感がどうしても拭えない。
「こんな所で何をされてるんですか?」
「お前こそ、どうしてこんな所にいるんだ。人間が堂々と歩けるような場所じゃ無いだろ」
「おや、それはお互い様では?」
「……ッ」
そうだ、この男はチロルが人間だと知っているのだ。
チロルは咄嗟に自分の生命線である耳付きの帽子に触れる。
「それに私、こう言う者でして」
「ヤマダチか……!」
彼が見せてきたジャケットの内側には銀色のバッジが付けられていた。それはいつか出会った立花べシアと名乗った青年が胸に付けていた物と全く同じ物。
警察の中でも獣人に関する事件事故を専門に扱うヤマダチに所属する事を証明するためのバッジだった。
「……ッ!」
途端、見る見るうちにチロルの表情が険しくなる。
ヤマダチとは元々、マタギ、つまり獣を狩る者達の別称だ。そしてその名の通り、彼らは獣人をまるで獣の様に扱う。
警察組織なんて名ばかりで、彼らが獣人相手にまともな捜査なんてしている所を見た事が無い。
それらしい文言を並べ立てて、適当な証拠を付けて獣人を収容所か銃殺刑に送るだけの、反吐の出る仕事だ。
「それこそこんな所で何をしてるんだ? まさか、ここにいる獣人達皆んな適当な罪をでっち上げて検挙しようとでもしてるのか?」
「魅力的なお話ですが、そのつもりはありませんよ。ここにはプライベートで足を運んでいます。まさか貴方と再会出来るとは思ってもみませんでしたが」
ラコロの意図が読めず、チロルは刺すような視線で彼を睨みつける事しか出来なかった。
「それにしても驚きました。まさかあのサーカス団がテロを扇動し、貴族の別邸を爆破するだなんて……」
「シルクスは、ギムはそんな事してない!」
噛み付くようにチロルが叫ぶ。
「何も分かって無いくせに……知ったような口をきくな!」
この男の目的が分からない以上、不用意に相手のペースに乗せられる訳にもいかないのだが、家族の名誉が傷付けられるのは我慢ならない。
「ほう、どうしてそう言い切れますか。身内贔屓の意見なんて誰も耳を貸しませんよ。現に一座から火薬も見つかっているそうではありませんか」
「そんなもの……、……ッ!」
再度口を開いて弁明を試みようとしたチロルだったものの、そんな彼女の唇に長い人差し指が当てられる。
鉄仮面のような笑みを崩す事なく顔を近付けてきたラコロの双眸から、目を話す事が出来なかった。
「ですが私は、貴方の言葉を信じますよ」
その時、チロルの視界の外れで何かが動いた。
咄嗟に向けられた視線の先にあったのは、父のものよりもずっと細い鱗のついた長い尾。その尾はラコロの腰から伸びてきていた。
自分と同じように獣人街で身を守るための腰飾りかとも思ったが、それならばこんな風に動く筈が無い。
尾が生えた獣人なんている訳が無い。それならば答えは一つだけ。
「獣人……?」
咄嗟にチロルがそう零すと、ラコロの表情が歪んだ。
「獣人が人間のフリをして、ヤマダチになったのか⁉︎」
確かに数は少ないものの、身体的特徴がノルマレに限りなく近い獣人は存在している。チロルが帽子や装飾品程度の変装で獣人として振る舞う事が出来るの実際にそう言った獣人達が存在しているからだ。
それはまるで、翼を持つ事以外人間と何ら違いのない、物語の中の登場人物のようだった。
「そんな事、可能なのか……?」
「幸い、私はこの尾以外に身体的な特徴を持ち合わせていません。切っても切っても生えて来るのが困りものですが……」
「自分の尾を、切ったのか?」
「太さは無い為普段は衣服の下に尾を巻きつけています。協力者がいれば人種なんて殊の外簡単に隠せるものですよ。お互い良く知っているでしょう」
「……ッ」
初めて会った時から彼に感じていた違和感の正体が、ここに来てようやく分かった。
チロルが人間でありながら獣人社会で生活を送ってきたように、ラコロは獣人でありながら人間社会での生活を営んできた獣人だったのだ。
人間をフリをした獣人。それが彼女が感じていた違和感の正体。それはきっと、同族嫌悪に等しいものだった。
「その人間紛いな獣人が、ボクになんの用だって言うんだ」
「だからそう警戒しないで下さい。言ったでしょう。私は貴方の主張を信じています。同じ獣人として、あの一座がそんな事していないと言う確かな確証があるんです」
「……」
感じていた違和感と不和から彼を警戒してしまっていたけれど、もしかして彼は自分達の味方なのだろうか。
(そうだ、ヤマダチを内側から操作出来る獣人がいるって事になる……)
もし彼が本当にヤマダチとして人間社会に溶け込んでいる獣人であるのなら、シルクスの無罪の証明の力になるかも知れない。
ここに来て初めてラコロの前でチロルの警戒が薄らいだ。
理由はシンプルで、彼が獣人だったから。例え血に塗れる姿を見た後だろうとも、潜在意識的に彼女にとって、獣人は信頼に値する存在だった。
「それはですね……」
チロルの耳元、帽子に隠れた丸い耳にラコロが唇を寄せる。チロルは期待しながら続く言葉を待った。
だがしかしその瞬間、貼り付けたような笑顔の仮面が外される。
「あの阿婆擦れの屋敷を爆破したのも、警察がシルクスを捕縛するよう仕向けたのも全部、私だからですよ。あのお遊戯軍団がやらかす筈、無いじゃないですか」




