4-20 日の当たらない世界
「長旅に必要な物と言えば携帯食料。チカテツがあんなに暗いんじゃ、それぞれのヘッドライトは欲しいな。そうは言っても金が有り余ってる訳でもない。出来るだけ安く済ませられたら良いんだけどな」
チロルがそもそも持ち歩いていたポケットマネーの他に、家宅捜索の人員が出払った隙をついて多少の金銭を座長室から拝借してきていた。とは言ってもコクダマチに向かうまで何があるか分かった物ではないため、使える金は残しておいた方が良いだろう。
「今更なんだが、ここでは地上のコインは使えるのか?」
「使えるよ。ただここには金を稼ぐ手段が少ない奴も大勢いるからね。物々交換も出来るよ」
「物々交換?」
「地上でしか手に入らないようなモンにはそれなりの価値がつく。持っているなら、ヘッドライトくらいは簡単に手に入るだろーね」
「そうは言われても、ピンと来ないな……」
地上での暮らしが当たり前の彼らからしてみれば、こちらの社会で何に値が付けられるのかなんて検討もつかない。
「ちなみに、何が一番高値がつくんだ?」
「そりゃ、おまーさん。決まってるだろ。人間だよ」
笑顔を崩す事なく言ってのけたニーシャに、チロルの表情が固まった。
「人間……?」
「……そんなもの、何に使われるんだ?」
「主にリンチ。後は奴隷だなァ。力があるマフィアなんかは、何匹も飼ってるらしいぜ」
「……っ」
恐怖心よりも先に湧き上がってきたのは、言葉に出来ないやるせ無さだった。
地上では権力を持った人間が奴隷として獣人を飼う。
地下では権力を持った獣人が人間を飼う。
どうして世界はこうなんだろうかとチロルの胸の中にチクリと小さな棘が入り込んだ。誰かを虐げて、血と涙を流さ無いと生きていけないとでも言うのか。
舞台なんて、所詮娯楽。この世界に蔓延る闇を振り払う程の力は無い。
ギムの言葉を思い出し、拳に力が入った。
歌って踊って楽しいだけの世界。それだけじゃ、ダメなのだろうか。
「兎に角、早い所必要なもんだけ集めちまいましょう」
「……、……ああ、そうだな」
世界についてああだこうだと嘆いている暇は無い。
それから三人は必要なヘッドライトと少しばかりの食料店舗で購入する。
幸いな事にチロルがカバンに着けていた何処で買ったかも分からないストラップに妙な高値が付けられ、差程財布が痛まずに済んだ。
買い物が終わると、今後の方針を定めるためにも一度ニーシャの住処に戻る事となる。
「デパチカは面白くなかったかァ?」
ニーシャの言葉にチロルは何も返せなかった。
少し物を買うために外に出ただけなのに、殺し合いがを一度。その後の遺体を漁っているのだろう光景を二度。子どもが路地に引き摺り込まれるところを一度目撃した。この短時間の間でだ。
(世紀末か……)
最初は少しだけ獣人街に興味があった。治安が悪いなんて話は聞くけれど、それでも獣人達が暮らすその場所に何か希望を見出していたのかもしれない。
人間がいない世界ならばそこに差別なんてものはなくて、地上よりも少しだけ美しい世界が広がっているんじゃ無いかって、そんな馬鹿みたいな夢を見ていた。
でも実際、ここに広がっていたのは話に聞いていたものと何も変わらない、肥溜めのような場所。むしろ法の力が届かない分、ヒトが当たり前のように死ぬ。弱い立場の者を守ってくれる傘はなくて、純然たる暴力によってここは統治されていた。
分かりやすいけれど、それは決して良い世界では無い。
(ボクはきっと今まで、獣人の良い面しか見てこなかったのかもしれない。いや……ボクの周りにいたのが、気の良い連中ばかりだったのかな。どのみち、環境に恵まれてた)
そしてだからこそ、現状の社会と人間に対して獣人達が強い不満を抱く理由も、これまで以上に鮮明に見えるようになってしまった。地上でまともに生きる事が叶わず、こんな風に地下に閉じ込められ続けていれば人間という人種そのものへの憎悪だって湧くだろう。そうして不満が溜まっていけば、獣人至上主義的な考え方が生まれるのも当然だ。
ここがかつて、シルクスに来る前のエマが暮らしていた場所なのだ。彼女がどうしてあんな事になってしまったのか。その一端があの短い買い物の時間に詰まっていたように思う。
(早くシルクスに帰りたい。皆んなが笑って旅が出来るあの場所が……どうしようもなく恋しい……)
言葉に出さなくてもその思いがオルトにも伝わったのだろうか。繋がれた手に少しばかり力が籠った。
「後は帰るだけだが、おまーさんら道は覚えてるか?」
「何処で曲がって、何処で階段を上がってきたかなんてさっぱりだ。オレは自力じゃ帰れない」
「……右に同じ」
「ニーシャがいて良かったなお前ら。まー、ニーシャも。おまけにご馳走買って貰えたから、宿提供した甲斐があったもんだけどな。フェッフェッフェッ」
自分達だけが買うのも何だからと、携帯食として流通している乾いたパンを買っただけなのだが、ニーシャの機嫌はすこぶる良かった。今にも鼻歌を歌い出しそうな様子からもこの異常な世界の日常が感じ取れてしまって、チロルの気持ちが下がっていく。彼女は何も悪く無いのだけれど。
「……げっ」
そしてそんなチロルの気持ちを更に滅入らせる光景が目の前に広がっていた。また喧嘩、もとい殺し合いが勃発している。もうお腹がいっぱいだ。そんなに何度も殺し合いをして何が楽しいんだ。
「それにしても、えらい盛り上がりだな」
先程とは様子が異なり、妙なヒト集りが出来ている。強い熱気に揉まれながらチロルはオルトの手をぎゅっと握り締めた。
「良いぞ、やれ! やれ!」
「喉笛狙え! そうだ、殺せ!」
聞こえてくるヤジは心地の良いものではない。
「ありゃ、ここは通れさなーよ」
背の高いニーシャはグッと首を伸ばすと、喧騒の中心で何が起きてるのかを確認する。それから「ありゃりゃ」と顔を顰めてみせた。
「ちょっと回り道して帰んぞ」
「何があったんだ?」
「平鉄組って言うここらを治めるマフィアの連中が暴れてんだ。ニーシャはこんな容姿だし、チロルの人間みたいだろ? 近づかなー方が良い」
「……ッ」
ニーシャの言葉に心臓が跳ねた。
まさか人間が獣人のフリをしてこんな所にいるとは思われないだろうと踏んで堂々と接していたものの、助けてくれる彼女を騙しているんだと思うと胸が痛む。
だが正体を明かす訳にもいかない。ニーシャも、チロルが人間であると知れば豹変してしまう可能性だって十二分にあるのだ。かつてのエマと同じように。
「余計なトラブルに巻き込まれたくなーかんな。行くぞ」
そう言ってニーシャがヒト混みから抜け出そうとする。オルトとチロルも彼女の後についてその場を離れようとしたのだが……。
「うわッ!」
「チロルさんッ⁉︎」
オルトに握って貰っていた右手では無く、空いていた左手を誰かが強く引いた。
気が付いた時にはオルトの声が遠くに聞こえて、チロルは成す術もなく、左手を掴む誰かによって引きずられていってしまった。




