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4-19 犬塚



「ここが獣人街『犬塚』……」


 翌日、旅支度兼この地下都市について詳しく知るため、二人はニーシャの案内の元で彼女の家があるホームを出て、カイサツの奥にあるデパチカへと足を運んだ。


「本当に地面の下にマチがあったんだな……」

「すごい光景ですね。……あ、チロルさん。くれぐれも何があるか分かりませんから、帽子は外しちゃ駄目ですからね」

「言われなくても、こんなところでおっかなくて外せるか」


 昼間の地上のようにとはいかないものの、チロルでも視界をきちんと確保出来る程度には辺りが明るい。それだけで少しだけ心の緊張が解けるようだった。


「この辺りはあっちこっち道が入り組んでる。一つ隣の階段を登ってくと全然違う場所に着いちまってウチがあるホームに戻れなくなっちまうから、離れるんじゃねーぞ」

「ホームって幾つもあるのか」

「当たり前だろー、チカテツ何だから」


 当たり前と言われても、地下の事情を全く知らないチロルにはいまいちピンと来なかった。


「それにしても、なんだこの臭いは……奥がツンとする異臭のせいで鼻が上手く効かない」

「何か臭うのか?」

「チロルさんには分かりませんか?」

「ニーシャはちょっとだけ感じるぞ。いつもはこんな臭いしないんだけどな。それにしても、ニーシャも結構鼻はきかないけど、チロルはそれ以上に鈍感なんだなァ」

「……!」


 人間である彼女の五感が獣人と比べて鈍感なのは仕方の無い事なのだが、ニーシャの指摘にオルトは少々慌ててしまった。

 穏やかそうに見えるけれど、彼女だってチロルが人間であると知ってどう豹変するのか分かったものではない。


「獣人街の治安は悪いって良く聞くけど、そうでもなさそうですね……」


 と、話題を無理やり変えようとオルトが口を開いたのも束の間。


「テメェ、ヒトのモンに手ぇ出しておいてただで済むと思ってんのか⁉︎」

「あァ⁉︎ んなもん取られるようにしておいたテメェの責任だろうが‼︎」


 一向の数メートル後ろで喧嘩が勃発した。


「……」

「……治安、微塵も良くないな」


 男達の殴り合う姿にチロルは呆れたと言わんばかりに溜息を付いていた。


 だが初めは単なる殴り合いだった筈が、そこから拳では無く互いの爪や牙が使用されるようになるまでに時間は掛から無い。そうなって来ると彼女の表情が呆れから恐怖に塗り変わっていく。


「何だなんだ? 喧嘩か?」

「おいおい、下ろしたてのシャツに血なんかついたらどうすんだよ」

「理由は何だって?」

「どうせ女絡みだろ」


 突然路上で始まった喧嘩について、誰も気に留めない様子。


 しかしながら獣人同士が本気で互いの武器をぶつけ合っているのだ。当然のように鮮血が飛び散り、皮が破かれ、肉の切れる音がする。それを見て周りはヤジを飛ばすか、面倒くさそうに視線を向けるだけ。


 ニーシャだって別に慌てる様子が無いため、ここではごくごく普通の光景なのだろうと推測出来る。成程、ニーシャが住処を無償で間借りさせてでもオルトがその場にいる事を望んだ理由が良く分かる。


 ボキンッと、何かが折れる音がしてその後地下に悲鳴が轟いた。


「ぅわ……」


 相手の骨が砕け肉が千切れても攻撃の手は止まらない。それ以上は見ていられなくて、自分を守るように視線を背けた。


 異様な光景に、腹の奥から酸っぱいものが迫り上がってくる。


(こんなの、喧嘩じゃなくてケモノ同士の殺し合いだろ……!)


 自分は今、日の当たらない場所にいるのだと改めて突き付けられた。地上でだって喧嘩やいざこざなんて幾らでも起きるけれど、こことは規模が違い過ぎる。


「治安なんて良い訳なーだろーよ。何を言ってんだオル坊は」

「オ、オル坊……⁉︎」

「絶対に迷子にだけはなっちゃダメだってのは、今ので分かったよ……」


 土地勘もなく非力で、更には恨みの対象となりかねないチロルがこんなところで一人になってしまったとして。間違いなくもう二度と朝日は拝めないだろう。


 何かがあって一人になってしまっては敵わないと、彼女はオルトの腕に自分の腕を絡める。その瞬間、彼の尻尾がブワッと広がった。


「……嫌か?」


 この所彼に抱えられて眠るような機会も多かったためこの程度のスキンシップであれば許されるかと思ったのだが。予想外の反応にチロルが顔を顰めると、彼はブンブンと首を大きく振った。


「なんだァ、やっぱりお前さんらそう言う関係か?」


 そんな彼らのやり取りを見てニーシャがニヤニヤと口角を上げる。


「馬鹿言え。ボクみたいな見るからに弱そうなのがここで逸れたりしないようにするための保険だよ」

「そ、そそそそうですよ! 何かあってからじゃ、危ないですから!」


 ニーシャの下世話な笑みに対して全く動じる事もなく平然と事実を述べるチロルと、彼女の言葉に乗っかって何とか平静を装おうとするオルトを見て、ニーシャも何か思うところがあったのだろう。


 ポンッとオルトの肩に手を乗せると。

「ドンマイ☆」

 と親指を立ててとても良い笑みを浮かべていた。


「ドンマイって……!」

「あの手のタイプや厄介だって、ニーシャでも分かんぞ」

「おい、誰が厄介だって?」

「ほれ見ろ」


 何も分かっていない様子のチロルに、ニーシャは「なァ」と声を掛ける。当然チロルにはその声掛けの意味も理解出来ていない様子で、怪訝な表情が濃くなってしまった。


「そう言うのは今は良いから! それどころじゃないんで、ニーシャは案内、よろしく!」

「しゃーねーなァ。しっかり着いてこーよ」


 こうして二人はようやくニーシャの案内の元で犬塚を見て回る事になった。



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