4-12 悲劇の開幕
「「はぁ〜……ッ!!」」
大門が閉まると二人の口から揃って深い溜息が零れた。
今日だけで考えた事が多すぎる。張り詰めていた緊張の糸が解けると、ドッと疲れが押し寄せてきた。
カレンにその気が無かったから良かったとは言え、ここで「オルトを返してくれ」なんて言われてもそれを止める術は無い。二人を縛り付けていた重たい鎖からの解放感は並々ならぬものがあった。
「今直ぐハンモックにダイブしたい……今日の仕事全部丸投げて寝たい」
「右に同じです……すげぇ、疲れました」
「今なら歩きながらでも寝れそうだ」
そう言い合いながらも二人は一先ず目先の不安を乗り越えられた事を互いに称えて背中を叩きあった。
「そう言えば名付けの事、あのヒトに物申してましたけど、チロルさんも結構適当にオレの名前付けてませんでした。オルトなんちゃらとか言って」
「何、不満でもあんの?」
「まさか。チロルさんは何となしに付けた名前かもしんないっすけど、オレ自身は結構気に入ってますよ、この名前」
そう言って彼は誇らしそうに微笑んでいた。
「オレ……シルクスのオルトになれて嬉しいです。今がきっと人生で一番、楽しい時です」
「そうかよ。それならもっとキリキリ働いてたくさん稼ぐんだな」
「頑張ります! あーでも、明日からで良いッスかね」
「そうだな。頑張るのは明日からで良いや。今日はもう寝る。誰に何と言われようと寝る」
そうやって軽い口を叩き合いながら、二人は帰路に着く。
招待状を受け取った日からずっと今日ここに来るまで、オルトに何かがあったらどうしようと気が気で無かった。
良かった。本当に良かった。
家族がいなくなってしまわないで良かった。
このマチでの公演はもう暫く続く。その間も何事もなく無事に時間が過ぎていけば良いなと、チロルは思いを馳せながら来た道を帰っていった。
……しかしながら、彼女の願望は叶わない。
このマチへの誘致は、これから始まる困難の序章に過ぎなかったのだ。
――ドガンッ‼︎
背後から聞こえてきた爆発音。それと同時に飛んできた余りに強い爆風に背中を押されて、チロルは堪らずその場に転がってしまった。
何が起きているのか理解出来ないまま振り返った二人の視線の先では、烏丸家の別邸が炎を上げていた。
「は……?」
「え、いや……何が……」
つい十数分前まで自分たちが滞在していた屋敷から、煌々と炎が上がっている。炎は建屋だけではなく屋敷全域を飲み込んで、黒々とした煙が天高く登っている。
俄には信じ難い光景、まるで夢でも見ているようだ。
だがバチバチと木材の燃える音と、肌を刺激する炎の熱気がチロルに現実を突き付けてくる。
「スミレさん……?」
燃えている。彼女の屋敷から火の手が上がっている。
彼女は、屋敷の使用人は。たくさんいたはずの獣人達はどうなった?
あの炎の中に今も彼女達はいるんじゃないだろうか。
庭先でしゃんと背筋を伸ばしていた花々も、ヒトを惑わせるような香りを放っていた薔薇のアーチも。鯉が泳いでいたあの川も。
皆みんな、あの爆炎の中に取り残されているのではなかろうか。
何も理解出来ないチロルの脳内では、在りし日の歌う彼女の姿が映し出されていた。
「これって……」
爆風に乗ってここまで届けられた硫黄の臭い。
「もしかして……」
チロルの頭にとある最悪の状況が浮かんだ。それに気が付いた彼女はオルトの手を取ると慌ててその場から立ち去ろうとする。
「チロルさん⁉︎」
「説明は後だ! 一刻も早く早くここを離れるぞ。今ここに、お前がいるとまずいことになるかもしれない……!」
獣人は基本的に人間からの差別を受けて生活を送っている。
ろくな就職先は無く、獣人だからと入店を断るような店も多い。人間に生まれなかったと言うだけで、彼らは日常生活すら大きく制限をされた中で生きていく事を余儀なくされている。
獣人達が原稿の人間優位な社会体制へ不満を抱くのは溜ごく自然な事だった。獣人街に蔓延った獣人至上主義的な過激な思考が良い例だ。
特に人間の中でも支配階級である貴族達にヘイトを向ける獣人は大勢いる。シルクスのメンバー達だってチロルを含めて、貴族の人間を快く思っている者はいないに等しい。その縁者であるカレンに対してすらあの始末だったのだから。
爆破された別邸を見てチロルが最初に考えたのは、獣人による貴族に向けたテロ活動だった。
十五年前、バニラが飼われていた屋敷は獣人のテロ組織によって襲撃された。その結果彼は奴隷という身分から解放され、ギムと出会った事で今の花形スターのポジションを得ている。だからその事件の是非に関してはこの際どうでも良い。
チロルは、それと同じような事が目の前で起きているのでは無いかと考えた。もし本当にこの爆発が獣人の手によるものだったとしたら、この場にオルトがいるのは危険だ。過激な思想の一派として見做され逮捕される可能性だって十二分にある。
こんな状況下、警察がまともな仕事をする筈なんて無い。獣人と言うだけでオルトに槍玉が向けられる可能性が、今一番懸念すべきシチュエーションだったのだ。
二人は一目散にその場を離れていった。
何が起きているのか分からない。でも何か良く無い事が始まろうとしているのは確かだ。そうなってしまった時、チロルには現状を打破する為の力なんて無い。
「早くシルクスに戻ろう。ギムにこの状況を伝えなくちゃ……!」
追い詰められた状況下、彼女が頼ったのは父だった。
いち早く異変を彼に知らせる事が自分達家族を守る最善手だと考えたのだ。
オルトを助けてくれたあの日のように。父ならばきっと、そう信じて疑わなかった。
だが、二人がシルクスのテントに戻る事は叶わない。
「どう言う事だよ……!」
二人が何とかシルクスの拠点に辿り着いた時、まるで先回りするようにその周囲を警察が取り囲んでいたのだ。
ヒト目を避けるようにして物陰に隠れた二人が確認出来たのは、抵抗する事なく警察に連行されていく家族達の姿。
「なんで、シルクスが……!」
これではまるでシルクスが何らかの犯罪を犯したかのようではないか。
まるで、自分達がカレンを殺したとでも言われているようではないか。
「ギム……ッ!」
「ダメですチロルさん!」
勢いに任せて飛び出して行こうとしたチロルをオルトが抑える。
「今出て行ったらオレ達まで捕まっちゃうかもしれないです……ッ!」
「でも、だって! おかしいだろ! どうして皆んなが連れてかれなくちゃならないんだ!」
「状況が何も分かりません。まずはそれを確認しなくちゃ、オレ達まで捕まってしまったら、シルクスは誰も動けなくなっちゃいます……!」
パニックを起こしてもがくチロルを、オルトはずっと抱き締め続けていた。
「いやだ、待って……待って……! ギム、ギム……ボクを、ボクを置いていかないで……!」
その間にシルクスの面々は全員が何処かへ連れていかれてしまう。そしてもぬけの殻になったテントに警察が押し入っていく。
その様子をチロルはオルトの腕の中から見ている事しか出来なかった。
結局、オルトとチロルを残したメンバーの全員が連れて行かれてしまったらしい。
家族達が連れていかれる様子を見ている事しか出来ない状況に耐えかね、腕の中で声を押し殺して泣きじゃくるチロルを抱き締めながら、オルトはじっと事の行く末を見守っていた。
そんな彼の脳裏に浮かぶのは、別れ際にかつての飼い主であるカレンの残した一言。
「気を付けた方が良い。貴方のところの座長さん、多分相当な嘘つきよ」
その言葉の真意も、目の前で起きている全てに理解が及ばない。
(せめて、せめてチロルさんだけは……!)
ただそれでも腕の中にいる小さな少女の事は守らなくてはと、オルトは心に誓うのだった。




