4-10 空っぽの箱庭
「奥様、客人をお連れしました」
「ありがとう、下がってちょうだい。お茶の用意だけお願いね」
「かしこまりました」
頭を下げ、彼は直ぐにその場から立ち去っていってしまった。
(ボクだって今直ぐにここから逃げ出したいよ)
庭の奥に隠れるように作った秘密の場所で、彼女は何人もの獣人の男を侍らせていた。悍ましい光景にチロルの眉間のしわが深くなる。
「良い子ね、良い子」
そしてそんなチロルの心情を知ってか知らずか、カレンはまるで猫か子どもかでもあやすような口ぶりで、獣人の一人の頭を撫でていた。
ふと、ほんの一瞬だけ頭を撫でられていたそのヒトと目があった。空っぽの目でチロルを一瞥した後で、彼は現実から目を背けるように瞼を閉じる。
「……っ」
彼女の周りにいる獣人達は皆、揃いも揃ってとても美しい容姿をしていた。かつてのあの中にオルトも混ぜられていたのだろうと思うと、腹の底から嫌悪感が湧き上がってくる。
花香に吐き気を覚えたのは初めてだ。
「どうぞ、座ってちょうだい。今日はただ古い知人を招いて一緒にお茶を飲みたかっただけなの。ゆっくりしていってね」
この状況で心休まる筈が無いだろうと心の中で嫌味の一つでも言いながらも、チロルは大人しく席に着いた。それに倣ってオルトもまた椅子に腰を下ろす。
「良く来てくれたわねチロルちゃん。そして……今の名前はオルトだったわね」
チロルもオルトも、カレンの言葉に返す言葉が見つからなかった。暫くの間辺りには沈黙が流れた。先程この場を去っていった使用人がお茶とお茶菓子を運んで来て、また直ぐにいなくなった。
どうぞ召し上がってと勧められたけれど、とても手を付ける気分にはならなかった。何が入っているのか分かったものじゃない
「まさか来てくれるとは思っていなかったわ」
カレンの言葉にチロルの視線が鋭く尖った。
「……断れる訳がないでしょう。貴族の関係者からの誘いなんて」
「あら、そんなに畏まらなくても大丈夫だったのよ。わたしは本妻でも何でもない。あのヒトが沢山抱えている愛人の一人に過ぎないのだから。お茶の誘いを断られたってわたしが泣き付いたくらいじゃ、あのヒトは動いちゃくれないわ」
「……」
その言葉に少々面食らってしまった。それでもシルクスの誘致を行ったのは烏丸卿なのではないかとチロルが尋ねると。
「封蝋を貸してくれただけよ。観たいならどうぞって。サーカスには興味無いって、あの日も別に観に来なかったでしょう?」
さも当然の事のようにカレンは言い放つ。
「……ここには烏丸卿はいないんですか?」
「あのヒトは基本的に本邸にいるわ。彼の奥さん、癇癪持ちなのよ。愛人を本邸に住むなんてなったら、手が付けられ無くなるでしょうね。金で買われてここにいる私が言えた事じゃ無いけど、政略結婚ってのも大変よね」
まるで自分には全く関係のない、対岸での出来事を語っているようだった。
「ところで、聞きたい事があって今日貴方達を呼んだのだけれど……どうしてノワールがサーカス団に入っているの?」
「どうしてって……」
お前が手放したからじゃないのかとチロルは眉を寄せる。
「……無資格の奴隷商人に捕まっていたところをチロルさんが助けてくださったんです」
それまでずっと押し黙っていたオルトが、チロルに変わって答える。するとカレンが不思議そうに首を傾げた。
「非合法……? どうしてそんな事になっているの? 貴方はリヒト様に元いた場所に返された筈でしょう?」
「は……?」
何がどうなってそんな話になっているのだ。オルト自身、彼女が何を言っているのか理解出来てない様子で、怪訝な表情を浮かべている。
「貴方がオレのことを不要だと言ったから、オレは廃棄として奴隷商人に下げ渡されたんじゃ……」
「やめてちょうだい、そんな事していないわ」
この時初めて、カレンが語気を強めた。
その意味が最初は分からなかった。
「そんな酷い事……私の子達にする筈がないでしょう」
よくよく聞いてみると、どうやらカレンは自分の飼っている獣人達を本気で大事に思っているらしかった。恋ビトのように振る舞わらせ、それこそ娼夫のように扱っておきながら何を言っているのかと思ったが、そこではたと、ある事に気が付く。
恐らく、彼女は知らないのだ。性愛の対象として『大事にされる』以外のヒトからの愛され方を。
だから大切に『飼育』している獣人達にもその様に振る舞い、又同じ様な振る舞いを求める。愛し方も愛され方もその他に方法を知らないから。
チロルの脳裏に浮かんだのは「お前が大切だよ」と愛をもって自分を抱き締めてくれる父の低い体温と、ツルツルとした鱗の質感。夢を捨てようとこの身をサーカス団に捧げるとチロルが誓ったのは、そんな父の愛に報いるためだった。
あの温もりをカレンは知らないのだ。
美しい筈の彼女はずっと何かに飢えているような印象を受けた。煌びやかな調度品に囲まれ、見目の良い獣人達を侍らせていても何か満たされていないような顔。その理由が少しだけ分かったような気がした。




