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3-28 和解



 翌朝は雲が疎らに浮いたとても綺麗な空をしていた。澄み切った空気と晴れやかな空とは対照的にチロルは渋い顔で頭を抱えている。


「痛い……!」

「あれだけ飲めばねぇ。チロルちゃん、凄く酔っていたものね」

「あー……最悪だ。もう酒は飲まない」


 シルクスは今日を持ってこのマチを去る。公演が終わればまた次の場所へ。根無し草の宿命だ。


 本日のシルクスは退去のための劇場の解体と、旅支度を行なっている。しかしながらチロルは激しい頭痛に悩まされ蹲ったまま動けなくなっていた。オルトは心配そうに彼女の様子を伺っているものの、なんて事はない。ただの二日酔いだ。


「途中から全然記憶にないな……」

「あらあら、昨日のチロルちゃん可愛らしかったのに残念ね」

「何やったんだボクは……」


 昨日、皆んなのテーブルをグラス片手に回っていたところまでは覚えているのだけれど。あちらこちらで勧められるがままに色んな酒を飲み歩いているうちに相当酔っ払ってしまっていたのだろう、朧気な記憶しか残っていない。


 視界の隅でオルトが何やら胸を撫で下ろしている様子だったが、その理由もチロルには良く分からなかった。気にする余裕もない。


「おまけに顔面が筋肉痛だ……!」

「役者の稽古受けてないチロルちゃんがいきなりあの役を演じたら、まあそうなるわよね……。モネットは感情の起伏が激しい役だったから」


 普段使わない表情筋を無理やり動かしたツケ何だろう。


 そんな事を話しながら何とか作業を進めていた。幸いな事に人間であるチロルはそもそも力仕事で役に立つなんて事は端から期待されていない。そのため頭痛に悩まされながらも大人しく備品の確認や、テントの修繕箇所がないかの確認を行なっていた。


「邪魔をするぞ!」


 そんな中聞こえてきた覚えのある声に、チロルは二日酔いで青くなった顔をゲッと歪めて見せる。


「何しに来た。こっちは忙しいんだぞ。後でかい声を出すな、頭に響く」

「どちらさん? チロルの友達?」

「エトワールの……チロルさんと面識があるって言う役者ですよ」


 不思議そうに視線を向けるバニラにオルトが耳打ちをする。

 やって来たのは劇団エトワールの主演役者であるイルサだった。今日は一人ではなく、何やら罰の悪そうな顔をした若い男を二人連れてのご登場だった。


「どうした? ここでこの前みたいな事言ったらフルボッコにあうぞ」

「もうお前達にそんな無粋な真似はしない」


 おや、とチロルとオルト、以前のイルサの獣人差別的な態度を知っている二人が目を見開く。


「申し訳なかった!」


 イルサが頭を下げると後ろに控えていた二人も一緒に頭を下げた。

 何が起きているのか分からずに困惑するシルクスの面々。


「いや、なんだよ……」


 その疑問を代表してチロルが零した。


「昨日の舞台、チロルが上がっていたのは代役としてだろう。その原因は……」

「お散歩中に階段から落ちちゃったのよ」


 そう言ってフランがギプスの付けられた腕を上げる。


「その怪我の原因なのだが、うちの新人達のせいであった。誠に申し訳ない」


 イルサの告白に一同は皆驚き顔を見合わせる。その新人と言うのが、今日イルサが連れてきた二人の事なのだろうか。


「そちらの舞台の評判が上がっている事を面白く思わなかったうちのスタッフが、たまたま貴方が一人で歩いているところを見かけ、主役の人間を潰せば、注目度の高まった千秋楽を台無しに出来るだろうと……」

「あらあら、そう言う事だったのね」


 イルサはずっと頭を下げたままだった。だが彼がとても辛そうな表情を浮かべている事は何となく想像が出来る。


「僕は、エトワールの舞台を誇りに思っている。だがそれ以前に一人の舞台人として彼らの行動を恥ずかしい……!」


 彼の真摯な態度。背後に控えている新人達も酷く反省している様子だった。恐らくイルサにこってり絞られたのだろう。

 しかしだからと言ってチロルとしては「はい、そうですか」で済ませられる問題ではない。相手がフランであったから大事に至らなかったとは言え、やっている事は立派な傷害だ。ギムの名前を出せば警察に訴えかける事も出来るだろう。


 だが……。


「気にしなくて良いわよ」


 当のフランはあっけらかんと笑ってみせる。


「ゆ、許してくださるのか」

「念の為まだギプスを付けてはいるけれど、獣人は傷の治りも早いのよ。流石に千秋楽には出れなかったし、その事に関しては悔しく思っているけれど……アクシデントのお陰で最高の舞台が見られたんだもの。気分が良いから、大事にするつもりもないし、別に構わないわ」


 フランがそう言うのならチロルが横からあれそれ口を挟む事はない。


「感謝する……!」


 どうやら彼は偶然新人達が犯行について話しているところを耳にして、そのままシルクスのテントまで引っ張ってきたそうだ。


(コイツの事、ちょっと誤解してたのかもな)


 彼の中でどういった感情の変化があったのかは知らないけれど、イルサはそれだけ舞台に対して真面目な人間なのだろう。同じように舞台を愛する者として、今はもう彼を嫌な奴として見る事が出来ない。それはそれとて、最初の獣人差別的な発言は許し難いけれど。


「バニラ、ちょっとイルサと話してきても良いか?」

「どうせ今日のお前は戦力外だ。ゆっくりしてこい」


 余計な一言を貰いつつもバニラの許可に、チロルはイルサを連れ仲間達から少し離れた場所に移動した。

 連れてこられた新人達はイルサの指示で先にエトワールへと帰される。


「うっ……歩いたらまた吐き気が……」

「顔色が優れないが大丈夫なのか?」

「二日酔いだ……」

「ああ、うちの先輩なんかも楽日の翌日はそんな感じだよ」

「何処も同じなんだな……お前は酒とか飲まないの?」

「ボクはカロリー制限を徹底している。糖質の高い酒は口にしないんだよ」

「大変だな」


 そんな話をしに来たのかと尋ねるイルサに、世間話だよとチロルは答えた。


「……どうだったよウチの舞台。悪いもんじゃなかったろ?」


 やっと本題に入って彼女が問い掛けると、イルサは素直に「ああ、素晴らしかったよ」と首を縦に振る。


「そうだろう? ウチの家族は凄いんだ」


 得意げに笑うチロルにイルサは「ああ、そうだな」と静かに目を伏せた。


「……だけど歌に関しちゃボクの完敗だ。本来あのシーンは舞台の盛り上がりを乗せて歌がそれにブーストをかけなくちゃならない場面。ボクは皆に作ってもらった雰囲気の中でやっと歌いきっただけだった」


 チロルの話をイルサは黙って聞いていた。否定も肯定もしないのはきっと彼なりの優しさであり、芸事に関して嘘をつけない彼の利点なのだろう。

 だからこそチロルも正直に思っていた事を話す。


「あれだけの観客がいるホールでしっとりと、でもしっかりと歌い上げる。お前のところの女優さん、やっぱ桁が違うわ。あのヒトだけじゃない。バニラもフランもオルトも、それからアンタも。毎回毎回これをやってるんだな……良く体がもつよ。ボクはたった一回で心も体もへとへとだ」


 恐らく二日酔いが無かったとしても今日のチロルはまともに働けなかった事だろう。


「その桁違いな歌を学んだり、心身共に舞台のために疲労困憊って生活も悪く無いけどさ。やっぱ今日舞台に立って思った。ボクは演劇ってものが好きだけど、それ以上にシルクスが好きなんだ」


 イルサの目が少しだけ見開かれる。


「だからエトワールには行かない。誘ってくれたのにごめん」


 舞台への憧れが消えた訳じゃない。むしろ一度立ってしまったからこそもう一度と思う日はこの先必ず来るのだろう。だがそれでも、チロルが下した決断は家族と共にある事だった。


「……お前がここを離れる気がないのは昨日の時点で分かっていた。あの日言った事は忘れてくれ。君の家族を侮辱した事も、すまなかったな」

「本人に伝えておくよ。ああ、後それから」


 子どものように口角を上げるチロル。


「忘れちゃっててごめんな。まさか同一人物だとは思わなくてさ」

「な……ッ」

「泣き虫イルサくん」

「それに関しても、忘れてくれ……!」


 顔を真っ赤にするイルサに、チロルは楽しそうにケタケタと笑って見せた。


 エトワールもこのマチでの公演は終えている。移動の前に無理を言って時間を作ってもらっていたらしく、直ぐに戻るとイルサは言った。


「次会った時は負けない。正々堂々、お前達よりも僕達の方が凄いものを作ったと胸を張ってやる」

「演劇に勝ちも負けもないだろ。そもそも今回だって動員数も売り上げもこっちが負けてるんだから。でもまあ……」


 差し出された手を強く握る。


「今度もウチの家族が凄いってところ、見せつけてやるよ」


 次彼にいつ会えるのかは分からないけれど、また会えた時にはその舞台をこの目で見に行きたいなと、そう強く思いながらチロルは立ち去るイルサを見送った。



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