3-27 打ち上げ
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「もってこぉい!」
観客達が口々に感想を言い合いながら劇場を去っていってから数時間後。シルクスの吹きっさらしの食堂では、打ち上げの飲み会が開催されていた。
公演期間中に行われていたような小規模なものではない。今日は時間制限もなく、皆んなが好き勝手食べて飲んで騒いで、この日までの自分達の仕事ぶりを称え合っていた。
「おいこら新人。先輩のグラスが空いてるぞ、酒を注がないか」
「珍しくチロルさんが酔っ払ってますねぇ。後そういうの、パワハラになるかやめた方が良いっスよ」
「うるさい。今日みたいな夜に飲まないでいつ飲むんだよ」
「それもそっスね! ではどうぞ、ぐぐいっと!」
頬を赤らめてオルトに絡むチロルの姿に、バニラは溜息を零した。
「人間は獣人よりも酒に強いんだけどな。アイツも普段の飲み会くらいじゃ酔わねぇのに。今日の事が余程嬉しかったんだろうな……それにしても何本飲んだんだ?」
「あら良いじゃない。今日の主役はチロルちゃんだったんだから。ささ、チロルちゃん。甘いラム酒もたんとお飲みなさい♡」
「たんとは良いからせめて割って飲め! 明日からも普通に仕事があるんだからな!」
バニラの警告も耳に入らないのか、チロルは酒の注がれたグラスをグイッと勢い良く傾ける。
「明日仕事にならなくても知らないからなぁ」
苦言を呈しながらもバニラもまた、満足気に口角をあげている。
その日の宴の話の中心に立っていたのは当然、チロルだった。彼女を称える声は、チロルの中に長年あった懸念が杞憂であった事の証明に他ならない。
「はぁ……それにしてもチロルの初舞台で泣かされる日が来るとはな」
「こんなにちっちゃい頃から見てるから、感動も一入だったもんな」
「ボクは豆粒か何かだったのか?」
「俺達からしてみれば豆粒みたいなもんだろ」
最も、古参メンバー達からしてみれば半分娘のお遊戯会を見て感動した後のようなテンションなのかもしれないけれど。それでも彼女が舞台の真ん中で誰よりも輝いていた事実を喜ばないものはいなかった。
「チロルー! こっち来なさい!」
「そうだぞチロル! 今日の功労賞は間違いなくお前だ!」
あっちからもこっちからも激励の言葉と共にグラスに酒が注がれる。
麦酒に米酒。芋酒、葡萄酒。色めき立つアルコールの香り。
倒れやしないかと心配になるような飲み方をさせられ、二十分も経つ頃にはチロルは食堂の長机に突っ伏してしまっていた。
「おーい、チロル。寝るんだったらハンモック戻れよ」
「んー……」
バニラが声を掛けても生返事が返ってくるだけ。すっかり潰されてしまった様子。頬が赤らみ、瞼は重たげにとろんと閉じられてしまっていた。
「オルト、コイツの介抱頼む」
「バニラさんはやらないんですか?」
「俺はこの後ネコ科系の連中集めてマタタビ酒で潰れる予定だ。よってチロルの事はお前に任せる」
「潰れる予定を立てておかないでくださいよ」
「今日の舞台さぁ……」
オルトとバニラの会話に、突っ伏したままのチロルが割って入ってきた。
「すっっっっっっ………………ごく、楽しかったぁ……」
ツンケンした態度は何処に置いてきてしまったのか。いつになく感情を露わにしたチロルの言葉に、二人は顔を見合わせてふっと笑い合った。
「脳汁ぐちゃぐちゃになって、目の前がギラギラして……チカチカしててさ。お客さんの顔、よぉく見えて。わぁって顔してんの分かるの……超気持ち良かった……」
「「分かるわぁ……」」
チロルの言葉に、舞台経験の豊富なバニラとフランが深く頷いた。
「歌いながらさ、まだ終わらないで〜ってずっと思ってたんだ……体の感覚が鋭敏になってるのが分かって、それが凄く気持ち良くて……あー、本当はあと五十万回くらい舞台に上がりたい」
「五十万回って、毎日公演やってても千年以上かかっちまうだろ」
「でも今日のでおしまいでも全然、満足。やり直したい事とは後悔してる事もあるけど、それでもぶっつけ本番ってのがナマモノのショーだし。演劇ってそういうもんだから……」
そう言ってチロルは目を閉じる。脳裏に浮かぶのは幸福で満ち足りた光景だった。
ああ、幸せだ。
今の自分を幸せだと言わないのなら、きっとこの世界に幸福なんてものはない。
「最初で最後の舞台で満点取れちゃった。本当に、今日死んでも後悔無いかも……」
酔いに引きずられていってしまったのか、最後の言葉はふにゃふにゃと輪郭を失っていた。それから直ぐに聞こえてくる寝息に三人は顔を見合わせる。
「落ちたな」
「寝ちゃったわね」
「と言う事でオルト、後は任せた」
「了解でーす」
小さな体を抱き上げる。オルトは人間の体よりも体温が高いのだけれど、今のチロルの体はとても温かかった。
腕に抱えるとチロルが小さく声を漏らした。だが慣れない事をした疲労もあるのだろう、目を覚ます様子もない。
「よろしくねぇ」
そう言いながら他のスタッフと話を始めたフランに見送られてオルトは彼女のトレーラーへと向かっていった。バニラの方はとっととお目当てのマタタビ酒とやらを嗜む集団の方に向かっていってしまったらしい。チロルには明日も仕事だと口酸っぱく小言を漏らしていたけれど、当人は大丈夫なのだろうか。
酒も入ってどんちゃん騒ぎをする食堂から離れると、夜の静けさと風の冷たさがより際立っているように感じられた。
ヒュぅっと風が隣を取りすぎていくと、腕の中にいるチロルが身じろいだ。毛皮もない彼女の体に夜風は沁みるのだろうと、チロルを抱く腕に力を込める。毛皮の温かさを感じたのか、腕の中でチロルが胸に擦り寄ってきた。
(すっかり寝入っちゃってるな……)
彼女のトレーラーはいつでも衣裳倉庫の近くに設置されている。同室のフランは未だに食堂での飲み会に精を出しているため、部屋には当然誰もいない。
鍵のかかっていない扉を開け、暗い部屋の中に入る。女性二人が生活する部屋の中に入るのは少々躊躇われたものの、この状況ならば仕方があるまい。
観葉植物の類はフランが世話をしている物だった筈。部屋の隅に置かれている本棚には古典舞台の脚本だろうか、それらが沢山並べられていた。それ以外には普段着用のラックがあるだけ。
根無草の旅芸人なのだから、大して私物も持てないのは当然のこと。だがこの部屋はオルトの知っている女性の部屋と比べてもずっと物が少なく、簡素にすら見えた。
チロルのハンモックは手前側だった筈。そこに彼女を横たえさせても、変わらず静かな寝息を立てている事に安堵の息を漏らす。
「オレがもう少し早くに舞台に立てるようになってて、もう少し色んな事ができる様になってたら……あの台詞はオレに言ってもらえたのかな……」
なんて、考えても仕方のない事だけれど、どうしても思ってしまう。モネットがシオンへの愛を語るシーン。あの場面でのチロルの姿が焼き付いて離れなかった。
バニラがアドリブで台詞を言い始めた時には焦ったのだが、直ぐにその理由は分かった。オルトにはまだ詳しい演劇の知識もない。どうしてそうなったのかは理解出来なかったけれど、直後にチロルの演技が変化したのだ。
フランの模倣ではない、彼女が演じるモネット。
舞台の上で泣くヒロインの吐いた台詞はあまりに甘美で、美しい物だった。
「チロルさん、オレを外に連れ出してくれてありがとうございます。オレに名前をくれて、オルトにしてくれてありがとう」
寝ている彼女から返事が返ってくる事はない。
どうかそのまま、目を覚まさないで。
ずるいかもしれないけれど、今はまだ起きている貴方にこれを伝える勇気は無いから。
「そんな貴方の事が、誰よりもすきです。……いつかちゃんと言わせてくださいね」
いつか。もしいつか。
彼女の事を呼び捨てで呼べるようになった時には、この気持ちも伝えられるだろうか。そうしたら彼女はどんな反応をするだろう。
きっとまたいつもの調子で罵声を浴びせてくるに違いない。
窓から差し込む月明かりの中でチロルは先程かけられた言葉なんて知らないまま静かに眠っている。
「おやすみなさいチロルさん、良い夢を」
それだけ言い残すと、彼は彼女の部屋を後にして騒がしい家族達の元へと戻っていくのだった。




