3-24 張り付く恐怖
そこで一度モネットの出番が終わるため、チロルはまたハケに移動する。しかし舞台を降りた彼女の表情は険しいものだった。
ここからが正念場。その先はシオンとモネットが離れて行動をするシーンがメインとなってくる。つまりバニラの助けを受けながら演技が出来なくなるのだ。
更にラストシーンにはチロルのソロ歌唱パートが控えている。本来ならばダンスの得意なフランに合わせて演舞のパートだったところを、チロルのためにアレンジしたものだった。
舞台に立ちたい。ヒト前で歌いたい。
長年の夢を叶える、あと一歩のところまでチロルは来ていた。だがその夢が今、鎖となって彼女にのしかかる。
「チロルさん……?」
オルトの視線の先で、彼女は自分の体を抱き締めながら震えていた。
「大丈夫ですか? どっか具合、悪いんですか……?」
「……違う」
体が不調を来している訳じゃない。疲労感はあっても、コンディションとしては決して悪くない状態に持って来れている筈なのだ。
それなのに震えが止まらない。体が冷たくて、言う事を聞いてくれない。夢の舞台に片足をかけている。そう思うと、途端に恐怖に飲み込まれてしまいそうだった。
「声が……出ない」
しゃがみ込んだチロルの背中に手を添えながら、オルトはただ黙って彼女の話を聞いてくれていた。隣に彼がいてくれると言う事実がチロルに、ぽつりぽつりと胸の内を吐き出させてくれる。
「怖いんだ。ボクのせいで、エマが……あの子が死んだ。ボクが人間だから……彼女は殺されてしまった。ボクはシルクスの異物だ。そんな事ずっと分かってた。ボクだって獣人に産まれたかったなんて、何回考えたのかも分からない。それが人間の身でありながら舞台に立てるチャンスを得られた。嬉しいんだ、嬉しい……なのに今になって、体の震えが止まらない。シルクスの舞台で歌える日をあんなに夢に見てた筈なのに……ここに来て、怖くて堪らない……!」
分かっているんだ。もう舞台に上がってしまった。後は歌を歌おうが何をしようが、大した差ではない。チロルがスポットライトの下に立った事実が今更覆る事は無い。
バニラとフランが背中を押してくれて、ギムが許しをくれた。彼らだけじゃない。急な変更に対応するため、今日一日シルクスの全員がは痛い走り回っていた。照明の調整を行なって、アクトの変更をして。色んな事を短時間のうちに詰め込んで、やっと辿り着いた千秋楽。
ここまで来たのだから最後まで走り抜けるのが、チロルを舞台に連れてきてくれた皆んなへの礼儀というもの。
分かっている。分かってる筈なのに、あの日の目が脳裏に浮かぶのだ。チロルが人間である事を知り、絶望と憎悪を向けてきたエマの瞳が、頭にこびりついて離れない。あの時に吐き捨てられた呪詛のような言葉が頭の中に木霊する。
自分が夢を叶える事でまたあんな惨劇が起きてしまうんじゃないかと、そんな嫌な妄想に取り憑かれ、体が強張り動けなくなってしまうのだ。
治まれ。震え、治まれ。
言う事を聞け、ボクの身体。
ここまで来てこんな醜態、晒してどうするだ……!
「バカじゃないんですか?」
「…………は?」
自己暗示の言葉を何度も自分に投げ掛けていた。そんな中で唐突に投げ掛けられた罵倒の言葉に、チロルは目を丸くして顔を上げた。呆けた彼女にオルトは続けて。
「いやチロルさん、バカなんですか?」
と、更なる追撃を加えてくる。
「……お前、仮にも先輩に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは。バニラの下についていらん事まで覚えたのか……?」
「だって馬鹿でしょ。チロルさん、獣人だからってオレらの事をバカにしてるんスか?」
「そんな訳……ッ」
「そうっスよね」
そう言って、オルトはチロルの頬に手を当てる。
肉球のついた大きな掌。ギムのそれとも違う、光沢のある毛皮に包まれた手。
真っ直ぐにこちらを見てくる黄金色の瞳から、目を逸らす事が出来ない。満月に吸い込まれるように、チロルはオルトの事を見つめ返していた。彼はとても穏やかに笑っていた。
「獣人だとか人間だとかそんなの関係無しに……チロルさんがシルクスを好きなのは、皆んなが家族だからでしょう?」
「……」
「おんなじですよ。チロルさんが人間だとか獣人だとかそんな事関係なく、シルクスだってチロルさんの事が好きっスよ」
その言葉に宝石のような目が見開かれる。彼女の視界の中心で、オルトは子どものように柔らかく微笑んでいた。
「オレ、今日の舞台頑張りました。急な変更にも対応出来ましたし、そりゃ端役でしかないけど……結構良い演技出来たと思います」
「……そうだな。夢想人を追い回す街の人間の演技は、良い感じにクソ野郎だった」
「だからご褒美、くださいよ。前に言ってたじゃないですか。仕事覚えたらまた歌を聞かせてくれるって」
オルトの言葉にチロルは小さく微笑んだ。
それからすっと立ち上がると、彼の額にデコピンをかます。ふわふわの毛皮に包まれた彼は額までもが柔らかかった。
「生意気なんだよ、オルトのくせに」
体の震えはいつの間にか止まっていた。
入団間もない後輩にここまでお膳立てをされて逃げていたら、シルクスの先輩としてのプライドが廃る。
「そう来なくっちゃ!」
いつもの調子で口角を少し上げて笑うチロルの姿に、オルトもまたニッと歯を見せて笑った。
そうだ。怯えることなんて何も無い。
自分の出せる全力で、皆んなが作り上げた『辺境のモネット』に幕を引く。
ラストシーンでやる事なんて、とうの昔に決まっているんだ。
「行くぞ……モネット」
自分自身に言い聞かせ、彼女は再び舞台に向かっていった。
これが正真正銘、自分にとって最初で最後の晴れ舞台。ならば思い切り、ぶちかましてやろう。




