3-20 幻想症候群
幻想症候群とは人の肉体が突如として異様な変質を遂げる奇病である。
ある種の中毒症状なのではないかと言うのがシオンの見立てではあるものの、詳細な原因と解決方法は確立されていなかった。
その病を患ったものはある日突然、体が変異し始める。獣のような爪、毛皮が生えるもの。鱗が生えるもの。症状は様々だが、皆一様にまるで物語の中に出てくる異形の存在のように変容してしまうため、その名前がつけられた。
発症者が夢想人と呼ばれているのも同様の理由。御伽話の世界に引きずり込まれた者として、いつしか人々の間でそう呼ばれるようになっていた。
シオンはその幻想症候群の解明、治療法の確立を模索するために故郷である地下街を出た科学者だ。
そしてそんな彼にひっついている少女モネットは、まさに彼が調べている病の発症者、夢想人だった。
ひょんな出会いから共に行動をする事になった二人は、何も無い荒野を旅してゆく。
「解決の糸口を探すためにもまずはサンプルが欲しい」
「はい、提供出来ますよ」
「君のデータはゆくゆく貰うにしろ、それだけじゃ検体の数が足りない。近くの街に向かって、患者がいないか探して見るぞ」
「はぁい」
しかしながら最寄りの街に向かう道中、二人は人が暮らしている形跡のある小さな家を見つける。だがそれは家と言うには余りに質素で、近くの村からも随分距離のある場所にポツンと一つだけ立っていた。
街の外にある畑作業のための家、と言う訳でもなさそうだ。周囲は何もない草っ原が広がっている。
「何しに来やがった。ま、街の連中に言われて母ちゃんを殺しに来たのか⁉︎」
荒屋にはとある親子が暮らしていた。息子の方はどこにでもいる普通の少年。多少の体の線の細さと、暴力を受けたような形跡、それから敵意の籠った眼差しと共にこちらに向けられる刃物を除けば、の話だが。
「やめなさいソウタ。お母さんは良いから、また怪我でもしたらどうするの!」
そんな息子を守るように抱き締める母の姿は、見るからに異様なものだった。
全身と、それから顔の半分を覆う青緑色の鱗。腰の辺りから伸びた太く長い尻尾。モネットのようにただ翼が生えただけ、人に近い形をしている訳でもない。
明らかに人のそれとは異なる異形の姿。
そこにいたのは母が夢想人となった事で街を追われ、たった二人身を寄せ合って暮らしている親子達だった。
初めこそ敵意を剥き出しにしていた親子だったものの、モネットが夢想人である事が分かると警戒を解いてくれた。治療法を探すためにサンプルの提供を願い出たところ、それも快く了承して貰える。
幻想症候群は、余りにも非現実的で人智を越えた過ぎる代物だった。
人々は夢想人を化け物として扱い、迫害を繰り返している。それは国中のどこを見ても同じ事。仕方があるまい。ある日突然隣人の姿が人のそれから大きくかけ離れてしまったとして、その隣人を今まで通り人として扱えと言っても難しいだろう。
「シオンさんはさ、どうして夢想人を人間に戻そうとするの? 昔のわたしは病気がちでろくに外にも出られなかったわ。でもこの体になって翼が生えてから、何処にでも行けるようになったんだ。これは病気なんかじゃないと思うの」
夢想人となった母親のサンプルデータを取ったシオンにモネットは問いかける。
彼女は夢想人となる事を悪しと捉えていなかった。多くの差別を目の当たりにしても尚、変化を否定しようとしない彼女の姿勢にシオンは疑問を抱いている。
「お前、本気でそれ言ってるのか」
この病の恐ろしい所は肉体の変質によって死ぬ事ではない。だが社会的立場は失われる。それがどれ程恐ろしい事なのか、他でも無い彼女自身が身を持って知っている筈なのに、どうしてそんな事が言えるのだろうか。
「私は今日までに何人も、家を追われ街を追い立てられ死んだ夢想人を見てきた。あの親子だっていずれ死ぬ。彼らを街から追い出した人間達によって殺されるだろう」
「そんな……」
「お前だってその体になったからこ人間社会で生きられない恐ろしさを知っているだろう」
夢想人は人によって殺されて死ぬ。
これはそう言う病だった。
体が健康になっても、空を飛べるようになっても。人でなくなってしまった以上、社会で生きていく事は叶わない。
人は一人では生きていけない。それはけして助け合いを求める安易なキャッチフレーズ等ではなく、社会性生物としての当然の真理だった。
「きっと皆んな、知らないから怖いだけなのよ。昨日まで自分と同じ姿をして笑ってた人が突然違う姿になって、びっくりしちゃってるだけ」
モネットはそう言って自分の腕に巻かれた包帯をぎゅっと押さえ付ける。その白布の下には、故郷の人間に石を投げられた時についた傷が残っていた。
それでも彼女は変化を肯定する。
「翼が生えても、鱗が生えても。わたしはわたしのまま。そう伝えることが出来ればきっと分かってもらえる。これは病なんかじゃない。わたしはそう、信じてるわ」
「……夢想人かそうでないか以前の問題だ。お前とは分かり合えそうにない」
幻想症候群を病として考え、人々の安寧のために治療法を探そうとするシオン。
幻想症候群を肯定的に捉えて、新しい自分を受け入れていようとするモネット。行動を共にしておきながらも二人の意見は平行線のまま、交わる事はなかった。
そして結局、モネットの語る理想はただの美しい絵画として砕かれていく。
近くの川に三人が水を汲みに行っている間、荒屋に押し寄せた街の人間たちによって少年の母親は殺害されていたのだ。
理由は街の近くに化け物が住んでいると気味が悪いから。
その程度のものだった。
そしてシオンとモネットが母親の骸を埋葬し、食事の準備をしてから少年の元に戻ると、彼もまた夢想人になっていたのだ。
彼は大きな薔薇のような姿をしていた。
それはまるで亡き母の墓に手向けるための花に、自分自身が変化しているようで……。
花になった少年に別れを告げて、二人はまた次の街に向かうのだった。




